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ラン&ついでの自由学習-馬喰町篇-

走った日 2022.2.20
走った距離 19K 行くか行かないくらい(多分全然行ってない)

JRスタンプラリーランを始めたわけで、そのスタートを馬喰町に設定しました。 その理由は些細な便宜的なことだったけど、ふだん行き慣れない駅をスタートとするのもなかなか良いです。

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馬喰町駅。 JR東日本で最も低い駅として、最も高い小海線野辺山駅と姉妹関係にあります。 この、最も低いという称号? は、京葉線八丁堀駅ができた時点で失ってしまうのですが、野辺山駅との姉妹関係は維持されています。 ほんとーに、総武線を降りると、地下鉄か? と思わせるようなホームでした。

馬喰町野辺山姉妹駅

さて。 この町。 

日本有数の『現金』問屋街です。 衣料服飾バッグ類などが大半ということですが、とにかくありとあらゆるたぐいの問屋さんが集まっています。 タイトル画像の右側は新しい(懐かしくない方の)スタンプなんですが、洋服とかバッグとか額縁? とかがフィーチャーされて、とにかく『問屋街でーす』アピール満載です。 街に降り立つと、『ビジネス』よりも『商い』ってムードが漂ってきます。

で、どうしてこのへんがこういう問屋街になってきたんでしょう。


そして、この『馬喰町』という街、すぐ隣に『小伝馬町』『大伝馬町』があります。  

街の名前に『馬喰』とか『伝馬』とか、すごく『馬』が出てくる、単なる『馬』はもとより、『馬関連の職業的』なものが絡んでいそうなにおいがします。 

タイトルの画像左側、復刻スタンプ(”なつかしいスタンプ”)でも馬がフィーチャーされています。 さらに調べると、こんな駅スタンプもあったようで、これがいつ駅スタンプとして働いていた(? )かは確認できなかったのですが、江戸時代の馬喰町を描いているということで、 もう、これは『馬』『馬』『馬」ですよね。

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で、調べてみました。

『馬喰町』と『博労』

馬喰(ばくろう)とは、もともと博労(ばくろう)と書き、馬の仲介人。 全国の馬の産地から集まってくる馬を見立てて品定めして転売する。 同時に、馬の獣医のような役割もになっていました。 

で、幕府おかかえの博労に高木源兵衛という人と富田半七という人がいて、この二人がこの町に住んで、この界隈にあった『初音の馬場』を管理していた。 博労がいた街だから博労町、それが後に馬喰町という綴りになったわけですね

というと、その『初音の馬場』って何? という問題が出てきます。 このあたり(今の靖国通りの交差点のアタリ)に初音森神社というのがあって、その神社の前に『初音の馬場』というのが作られて、馬追いの催事などでにぎわっていた。 徳川家康は、関ヶ原の戦いに向け、その初音の馬場で馬揃えをおこなった。 馬揃えというのは、軍馬を集めて優劣の差や調教の状況を検分すること。 合戦に挑む優秀な馬をそろえようとしたわけですね。その馬の検分をこの二人の幕府の博労がしていたわけだ。

そこまでわかったところでもういちど駅スタンプをみると、馬の真ん中に人がいる。 これ、きっと博労よね。 馬をチェックしているわけよね。

ここまでの話はここを参考にしました。


『伝馬』『小伝馬町』『大伝馬町』

さて、馬喰町の隣町に小伝馬町、大伝馬町という地名がある。

こんどはそっちの話。 やっぱり江戸時代に遡ります。

まず、小伝馬町も大伝馬町も、それから馬喰町も正式な名称は日本橋がつく。 日本橋小伝馬町、日本橋大伝馬町、日本橋馬喰町。 ここが日本橋ということをまず頭に入れておかないとね。 お江戸日本橋。 五街道のスタート地点です!

『伝馬』とは江戸時代の交通制度で人や荷物を馬に載せて次の宿場までもっていく制度のこと。 江戸時代の交通の要は五街道。脇路も含め、いずれも道。 移動手段は、馬、籠、あるいは足です。 まあこのなかで最も頼りになるのは馬ですね。 だけど、いくら馬といえども、目的地までずーっといくのは大変だし日数もかかるし、どう考えても効率が悪い。 そこで登場するのが伝馬制度。 宿場の拠点(『宿駅』という)に馬を用意しておいて、馬でリレーをさせるわけ。

それぞれの宿場ではそういう伝馬用の馬を用意していたわけですね。 日本橋にはなんと言っても五街道の元締め、交通の要。当然大掛かりに馬が用意されていなくてはならない。そこでより多くの馬を準備させていたところが『大伝馬町』、馬が少なかったところが『小伝馬町』という名前となったんだそうです。

宿駅では『伝馬役』という『お仕事』が発生します。 これは、幕府や大名のための伝馬や人足を手配する役。 宿駅ごとに伝馬を用意して、リレー方式に荷物や書状を受け取って次につながるようにしないといけない。 いつなんどき書状や荷物を届けなくてはならなくなるかわからない。常に用意してスタンバって、そういう手配をしておくのが伝馬役。これは大変な負担ですね。で、その元手(経費)はその宿場がある地域持ちだったということで、本当に苦労が偲ばれます。

このように宿駅と伝馬によって成り立つ交通制度を『伝馬制度』というんですが、これ、正しくは『宿駅伝馬制度』。 宿駅は拠点、つまり中継地、伝馬はリレーです。 さあ、声に出して発音してみましょ。 しゅくえきでんませいど。 しゅくえきでんませいど。 そう、お正月にみんなが興奮する、あれだ! と思った私でした。

さて。
というわけで、伝馬を用意していた『大伝馬町』『小伝馬町』。 馬の品定めや健康管理などの役割も担う馬喰がいる『馬喰町』。 この3つの街が隣合わさっているのはきわめて腑に落ちます。

ここまでのことは以下を参照にしました。


で、その馬喰町がどうやって『問屋街』になっていったか。 次はこれ。

隣の横山町とともに日本有数の問屋街へ

馬喰町は、そんなこんなで馬の競りが行われたり、そしてそもそも日本橋ですから交通の要で人がいっぱい、西からも北からも集まってくる。 収容する旅籠がいっぱいあった。 で、明暦の大火というのがあって、その後、ここに『関東郡代』の屋敷がおかれた。 『郡代』というのは耳になじみがないが、要するに『お奉行様』です。 だからいろんなところから訴訟に関係した人が集まってくる。 収容するためにまた旅籠が増える。 どんどん大きくなっていく。 またまたどんどん人が集まる。

地方から集まってくる人たちは、訴訟人だけではない。 西のものを東で売りさばこうという、商いの人も集まってきます。 隣の『横山町』には、そういった旅籠に泊っているひとたちが、江戸のものを品定めして、仕入れることができるようなお店が増えていきます。 『問屋街』の起こりですね。 『馬喰町に泊って』『横山町で仕入れる』。 こうして横山町で問屋がどんどん増えていくと、問屋がなだれみたいに、馬喰町にもできてくる。 こうして、横山町と馬喰町と隣同士でいっしょくたになって、大きな問屋街として発展していくのでした。 ちなみにJRの馬喰町のすぐそばにある都営新宿線の駅名は馬喰横山です。

この辺の情報は主にここから。


ということで、スタート地点の馬喰町界隈を調べながら、江戸時代の交通網の話、馬の話、博労(後の馬喰)や伝馬役といった馬にまつわる職業の話から、問屋街の起こりまで、なんだかんだと調べていきながら、そしてエキデンにたどりつくなど、ラン&ついでの自由学習としては出来過ぎの落ち。(笑)

読んでくださった方、ありがとうございました。

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