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稚内平和マラソン 振り返れば愛(笑)

稚内平和マラソン走ってきました


2023年9月3日
ニッポンの北の突端、稚内市宗谷岬。 そこから海岸線はちょびっとえぐれてノシャップ岬。 これが宗谷湾です。 ここを走る42.195キロの旅。
そんなことでもなければ降り立つことはないだろう。
ランアプリにそんな最果ての地の軌跡を残したくてレースにエントリー。

もちろん完走のつもりでした。
結論からいうと、嗚呼、足の攣りに悩まされ、フィニッシュラインは踏めたものの3分足らず。 なんてこと!? 
だけど、くやしさとかそんなのぶっ飛んでしまうような感謝の気持ちであふれんばかり。 その時の気持を忘れないようにここに記しておくことにした。

当日まで

8月、親知らずの抜歯が思いのほかのダメージ。 
練習不足 というか レースにむけたロング走の練習が出来ずにあっという間に9月に突入。  
でも落ち着いていた。 
大丈夫。 
あたしは地道にコツコツやってきた。 (はず(笑))

レース直前の準備はこんな感じ。
ペース表を作る:うまく走れた時のペースをアプリで見返しながら、コースマップの高低差をみつつ(ほとんどないしw)、 何キロ地点で何時何分。
エナジージェル、足攣り対策アプリなど:在庫チェック。ジェルは1時間おきに体に入れることを考えて6個。 ペース表をにらみながら、どのへんでスタミナが切れる(だろう)、どのへんで嫌になってくる(だろう)、どのへんに給食のエイドがある(けど、あたしがそこに着くころにはなくなってるかもしれない。)など考えながら、「カフェイン含有の有無」「味の好み」「粘度」など、なんども入れ替えながら、順番を決め、油性ペンで番号を書いたシールを貼る。 (前回、吸い口の近くに貼ったら、口にあたって気分悪かったので、先っちょのほうに)。
装備予習:スマホ、健康保険証など最低限のものが入ったパスケース、ジェルや攣り対策サプリ、塩飴などをランパンのメッシュポケットに収納して走ってみる。ちゃんとおさまるか?トイレで落とさないようになど、このへんの練習も。
その日の食べ物予習:当日は、スタートの何時間前に何を食べて、あとはレース会場への移動中とか、会場での待ち時間に・・・など、これもまたまあまあうまくいった先の大阪マラソンの食べたもの記録を復習。

前日土曜日は早起きして空港へ。正直体調はあんまりよくない。飛行機で酔ってしまった。でもなんとかみんなといっしょにランチや観光など楽しみつつスーパーで明日の朝ごはんを調達、夕飯食べてお風呂にはいって、計測チップをシューズにつけて、ペース表(横に平べったくレイアウトしてある)をTシャツの裾にさかさまにとめる。いつもの準備をいつも通りに。荷物をつくって就寝。けっこう時間がかかってしまう。早く寝なきゃ、早く寝なきゃ。

当日 起床〜移動〜スタート〜最終関門まで

5時前に起きてインスタント味噌汁とおはぎ、ゆでたまご。あとはおにぎりなんかを荷物にいれる。6:30ホテルのロビー集合。ホテルを出るなり暑い!なにこれ?一応日本最北端の街でしょ?え?え?え? 
finish地点付近の駅前からシャトルバスに。このバスの90分を利用して、持ってきた朝ごはんを少しずつ食べ足していく。バスに揺られて宗谷岬着。ここも当然暑い。みんなで記念写真。整列する場所も暑い。日影がないから、どうせ最後尾ブロックだし、建物の影で避難。号砲なってスタート。規模が小さいからロスタイムは殆どない、これは珍しく、あたしみたいなギリギリランナーにはありがたい限り。
びっくりする暑さ、日陰のないコース、さらにびっくりだったのは毎秒7メートルの鬼な向かい風。途中何度もキャップを風に持ってかれて取りに戻ったりなどあったけど、落ち着いて順調にいけたと思う。 気持ちが急かないように。浮き足立たないように。調子に乗って速くなったりしないように。早いな?って思った時は、あの歌を口ずさむ。あの歌を歌えば、自然にリズムが戻って安定したペースになってくることはこの一週間でカラダが覚えてる。

良い。

3kごとに時計を見ながら、Tシャツの裾?をペロッとめくる。(そのために逆さまに止めてあるわけね。)予定よりも7分の貯金がずっとずっと続いてる。

悪くない。

向かい風が常にビュンビュン、ビュンビュンというよりはゴーゴーに近い。シャツに止めたゼッケンがバタバタと音を出す。道路には大きく「シカに注意」の表記。こんなのがなんともご当地っぽく、青い海と緑の野辺を楽しみながら進む、進む。
エナジージェルは、時間どおり計画通りに。暑いのと風が強いのをちゃんと?意識して、給水エイドではしっかりと水分補給、

35キロを過ぎる。

「もらった。」

あと7キロ。と思った時に脚が痛い、かな?って思った。

気がついたら、走れない。攣った?え?でもそんな感じだ。ピリピリ動いてる、内腿が。 
その時思い出したのが、30キロ手前で仲間の一人Yぴーさんに追いついた時のこと。背中を見て目を疑った。走力がそもそも違う、さっきすれ違った時なあんなに離れてた、私が追いつくとか考えられない。

「え?どーしたの?」

「攣っちゃったの。今、様子見で歩いてるとこ。もうすぐ復活すると思う。もししなかったらごめんだけど。」

落ち着いていた。 彼は、怪我で長いことレースに出られず、これが復帰第一号レース。

そうだ、私もここは歩こう。落ち着いて、歩いてみよう、治るまで。

もうだいじょうぶかな?ちょっと走る、するとまた脚が痙攣する。結局随分と歩いてしまい。不思議と悔しいとかだめだーとかそういう気持ちの折れはなくて、妙に冷静に、次の関門間に合わないかな?などと、なんだか心が人ごとっぽい。

スタッフの人がなんか言っている。ここを曲がったらもうすぐ関門、あと7分ですよ。

7分。関門は見えない。曲がった先なので。
間に合うのかな?
間に合わないかな?
でもその声は私の膝っこぞうを前方から引っ張った。
走った。たとえ間に合わないとしてもあと7分は走ろう・・・みたいな。まあこの「もうすぐ」という言葉ほど信頼できない言葉はないんだけど。
でも、気づいたら、関門を閉鎖前5分で通り抜けていた。けっこう近かった。というか、ここまで2分で走れたんじゃん?私?

さー、もっと行こう。

忘れられない最後の5キロ


最後の関門を通過できたことで、なんだか行けるような気がしてきた。
足をかばいながら進む。途中痙攣したりする。様子見ながら進む。

随分時間を使ってしまった。
でも行けるかもしれない。
フィニッシュの防波堤ドームが目の前に迫る、ここを眺めながら通過しなくてはいけない。
「ともちゃーん、ふぁいっ!」。
とっくにフィニッシュしてるA子ちゃんの応援に笑って答えながら左に折れる。ここから2.5キロ、ただただいって折り返してここをもどってきて、そして左に折れれば、観光名所の防波堤ドームに沿った、500メートル弱のラストランだ。進みながら、折り返してもどってきた仲間とすれ違う。「だいじょうぶだよ、まだ間に合うよ」。「ゴールでまってるよ~ん。」「おぉ!」

だが。

攣りをごまかしながら走って来たツケがここでまた回って来たみたい。走る→痙攣→止まる→走る→痙攣→止まる を繰り返してたんだと思う。
「ともちゃーーん、お疲れ」Yぴーさん。攣った脚でここまで。追いついてきた。 一緒に歩こう。でもね、そもそもインフラ(足の長さ)が違うから。。。。 無理しちゃだめだよ、自分のペースでとにかく進もう。
軽いノリのおじさんが追い付いてきて、そして追い越していった。「よ、おふたりさん。僕に抜かれるってことは最後尾だからね。」
Yぴーさんは、長い脚で歩いていく。だんだんは背中が小さくなっていき・・・

ちょっと後ろを振り返ってみたら、大会の車、その後ろに、あの、バス。収容バス。🚌 通称ドナバス。
後ろから明るい声がかかる。
『足、大丈夫ですかぁ?』 大会公式車の窓から首をだして、スタッフさんが聞いてくれている。

「足はちょっとダメっぽいすけど、まだ行きたいです」と私。
「はい、お元気そうですね。まだ時間ありますからね。走れなくなったらそこで止まっててくれれば大丈夫ですよ。」

なんかここからは大名行列というか花魁道中というか。
公式車もバスも、あたしのうしろをゆっくり進む(笑) 気が付いたらとら両脇に救護と大きく書いたビブスとリュックを背負ったバイクのお兄さん。

「大丈夫ですか?」
「ダメです笑」
「でも、元気じゃん。そうそう、その速さで行きましょ。行けるイケル。あそこ、あそこまで行きましょ?あのビルまがったらあとはもうゴールだから」
「どのビル?」なんて聞いたりするけど、聞くだけ野暮。この稚内、ビルとおぼしきものは、あのホテルしかないから。

「ともこーーーーっ!いけーーーーっ』
声がした。A子ちゃん。「あーー、あのね、脚の感覚がないんだよーーー」
「そーなの?あるよ、ちゃんと、ついてる。しかも、二本も!!」

「元気なお友達ですね」「とっくにフィニッシュして、あのね、すっごく強いんです。でね、すっごくやさしいんです・・・・」
「やさしくて強いお友達も応援してるし、行きましょ、行きましょ?」
そのうち友達口調になってきた。
「塩飴いる?おーえすわん、呑む?」

おーえすわん。
ソフトフラスク、どこかで落としてしまったみたいで、私はいま、水筒がない。500mlのおーえすわん、持って走る気にはならない。逡巡する間もなく、救護バイクのおにいさんは、つーっと私を通り過ぎて何メートルか先、自転車を降りてリュックのなかからおーえすわんだして、キャップを拭いてぴっとゆるめて、腕をつきだして持っててくれて。
「はい、飲んで!」
二口飲んだ。そしたら、「はい、貸して。」って、手を出してきてくれて。
「自分、片手でこれもって、ゆっくり進むから、欲しくなったら手を伸ばしてね。いつでもね。」
なにこれ?コースで動きながら水分の配給って、あの、1月2日の箱根みたいじゃん?

さあ、防波堤ドーム。進む進む。 ゴール目の前。大会終了を告げる時報が鳴ったようだけど、だれも私を止めようとしない。ありがたい。放送が流れる。「おかえりなさい!2840番!42キロ楽しみ切った充実の笑顔ですね」え?え?え? 
横から声が聞こえてきた。
『ともちゃん、ばんばれーー。あと30メートル。みんな待ってるよーー』
声がちっとも小さくならないのは、一緒に走ってくれてるからだ。 
そして私の目と耳が知覚したのは仲間の顔や声だけではない。
走り終えたランナー、大会スタッフ、応援の人たち、とにかく知らないひとが、みーんな、あたしにむかって拍手拍手。

え?なんか、あたし、貰ってる???

制限時間より2分オーバー。残念だったけど、こんなに温かいこんなにありがたいゴール(ゴールって言っていいかわかんないけどw)。
  
仲間に会う前に、救護バイクのお兄さんのところへ。

『本当に、お世話になりました。有難うござい‥‥』って言いかけたところで逆に言われてしまった。

『ありがとうございました。感動しました』
『自分、救護やってて一番嬉しかったです』
え????
もう、ハグよ。
『来年絶対また来てくださいね、待ってますから』

本土最北端稚内。
予想外の強風と暑さの北の最果て、忘れられない場所になりました。

ありがとう。ありがとう。



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