見出し画像

青白い道程

初めてnoteで記事を書きます。

線維筋痛症という難病と闘いながら、フリーランスでモデルをしている麻宮もころ(まみやもころ)です。

《麻宮もころホームページ》
https://mocoromamiya.jimdo.com

線維筋痛症とは、365日一日中、常に激しい痛みに襲われる難病です。

その他、強い倦怠感や偏頭痛、眩暈など、人によって様々ですが、痛み以外の症状も現れます。原因は分かっていません

私の場合、症状が酷いと、服を着る、自分の髪の毛が頬に触れる、風が当たる、シャワーの水を浴びるだけでも激痛に襲われることもあり、
外出ができない時も多くあります。

今回は、ろうの写真家・齋藤陽道さんと、「寒立馬へ会いに行く旅」をするまでのお話をさせてください。

私が齋藤陽道さんを知ったのは20代前半の頃。もう6年も前でしょうか?

NHKの番組で彼が特集されていた時で、ちょうどその頃は、線維筋痛症の前兆として“うつ病”を発症していた頃でした。

私の前職は、森の中・山の中を案内するネイチャーガイドです。
花や昆虫を撮ることは沢山ありましたが、自分がカメラマンの写真に写る経験なんてありませんでした。

けれど彼の写し出す世界は、私が日々見ているものとは異なり、ただ漠然と

「いつかこの人に撮ってもらいたいなぁ」

と思ったのです。

そんな私が齋藤陽道さんと出逢ったのは4年前。

私が線維筋痛症を発症した年のことでした。

前述の通り、歩くこともままならず、
靴の圧迫感で痛みが走るためサンダルを履き、
太陽の光で目が痛くなるためサングラスを掛け、
髪の毛が顔に当たらないよう髪をひっつめ、
お化粧もできない。

したくてもお洒落ができない日々が続きました。

いつのまにか食欲も消え、ガリガリに痩せ細っていました。

そんな日々が辛くて、ある日友達の家に家出をしました。

少しでも痛みから気を紛らわせたかったんだと思います。

友達とお話をしながらご飯を食べて、布団を敷いて一緒に寝る。

まだ病気になるなんて思ってもいなかった修学旅行の時のような気分をもう一度味わえたのです。

すると、ずっと思い詰めていた私にも、ほんの僅かに心の余裕ができました。

そんな時、
ふと、齋藤陽道さんのことを思い出したのです。

「今、彼は何をしているんだろう」

ネットで調べたその日がちょうど彼の個展の最終日でした。

気付いた時には、杖をついて、陽道さんの個展へ向かっている自分がいました。

幸いにも陽道さんは在廊していて、何時間だろう…

とにかく長い間、筆談でお話をしました。

そして「今の自分を撮ってほしい」勇気を振り絞ってそう伝えたのです。

彼は一つ返事で「撮りましょう!」と答えてくれました。

撮影はそのあとすぐ実現しました。
大好きだった職場の森の中で撮っていただきました。

撮影地へ向かう途中の会話でこんなことを聞かれました。

私は迷わずアンダーラインを引いて答えました。

それを見て、彼は「朝日で撮りましょう」と私に伝えました。
そして、彼はこう書きました。

「光に飲まれる」経験なんてしたことがない私はおそるおそる、

「光に…溶け込む感じですか…?」と聞きました。

すると、

「明日の朝日に殺される」

そう言われた時、もし今の私が死んだら、普通の生活すらできない惨めな自分が無くなるんだ…!

そんな嬉しさで涙を流しました。

そして私たちは、夜明け前に森の中へ入りました。

昔は軽々歩いて、案内していた道も、足が痛くて少しずつしか進めない。

足元が真っ暗で見えない、杖が木の根っこに引っかかって邪魔…私は杖を捨てました

歩けなくなったって、這ってでも行けるじゃないか。

今の自分が無くなるのなら、痛みなんてこれっぽっちも辛くない。

必死に必死に寒くて凍える森の中を進みました。

そこで私たちを待ち受けていたのは、見たことのない光でした。

「この光は、絶対私を殺す光だ!!」

胸が高まりました。

あとのことは覚えてません。

ただ、おおきな光を浴びて光にのまれていたこと、凍てつくような寒さだったこと、そのことだけが心に残っています。

それから、私は表現することの楽しさを知り、モデルになろうと決めました。

相変わらず痛み止めを大量に飲まないと生活できない身体ですがその夢は叶いました。

そして今回、齋藤陽道さんにもう一度撮影をお願いしたのです

その理由のひとつは、昨年の4月に同病の大切な友人を亡くしたからです。

線維筋痛症は、肩こり程度の軽症の方から寝たきりの重症の方までいるため、患者数は人口の約2%と、指定難病になるには患者数が多いのです。

そのため、国からの補助を受けることも出来ず、生活に困窮している患者さんは少なくありません。私もその1人です。

痛くて動けない日々が多いため、フルタイムで働くことは困難です。ですが治療費が高く、その悪循環が患者を追い込みます。

亡くなった友人と出会った時、彼女は、電気・ガスを止められ、麦を水でふやかして食べていました。
しまいには水も止められていました。

お互い支え合って、その時は彼女もなんとか立ち直りましたが、彼女と連絡が取れなくなってから3年後のことでした。

彼女に身寄りはなく、知人づてに自死したことを知りました。

陽道さんに、友人の死を伝えると「寒立馬に会いに行こう」なんの迷いもなく私にそう提案してくれました。

青森に着いた日、早速、寒立馬に会いに行きました。

その日はひどく吹雪いていて、寒さに加え吹雪の竜巻が身体に当たってとても痛かったのです。

寒立馬を目の前にした時、陽道さんは言いました。

「もころさんの姿が寒立馬と重なったから連れて来たかった」

私は泣きました。

陽道さんの言葉が嬉しかったから。

でも同時に「寒立馬のように強くない」と思いました。

凍えるような吹雪の中ひたすらに枯れ草を食んで生きる寒立馬。

その日彼らの瞳をずっと見ていた私は、その瞳の奥の生命力に圧倒されたのです。

わたしは、こんなに強くない。

帰り道、自信がなくなって、宿泊先のホテルで寒さで痛くなった身体を抱えてずっと寝込んでしまいました。

「ほらやっぱり、私は弱い」

翌朝、ずっとベッドで寝込んでいた私に、陽道さんからメールが届きました。

「この旅はもころさんの旅です。何をしたいかもころさんが全部決めてください。」

悩みに悩んで、こう答えました。

「苦しいけれど弱い自分に向き合うために、もう一度、寒立馬に会いに行きます。そして夜は海に…葬いに行きたいです。」

そして緊張しながらまた寒立馬に会いにいきました。

すると、群れから離れて横たわってる馬が一頭いたのです。

「寒立馬でも立たずに休むんだ」

なぜか心がホッとしました。

わたしはそのメスの寒立馬とずっと一緒にいることにしました。

何十分、彼女と会話したでしょうか、このあと、びっくりすることが起きたのです。

今回、旅をするに当たってお金がない私に、陽道さんは支援金を募る提案をしてくれました。

ポルカというクラウドファンディングです。
https://polca.jp/projects/x9Q7k6k7zc4

今回の旅で、陽道さんには「私が撮られていると感じないように撮ってください」とだけお願いしていました。

だから、涙でぐちゃぐちゃな顔も、悲しくて歪んだ顔も、緊張した顔も、全てリアルな私を写してくれています。

この企画をご支援してくださった方には、そのスライドショーをお送りします。

ご支援は、この旅をするためにかかった費用、そしてそれ以上いただいた金額は、陽道さんのご厚意で、私の線維筋痛症の治療費に当てさせていただきます。

私自身いつ動けなくなる日が来るか分かりませんが、この身体が動く限り、

日本ではまだ知られていない線維筋痛症の認知のため

そしてその他の病気や、病気でなくても環境や何かしら苦しんで生きている人達の励みに少しでもなるために、今後も活動し続けます。

長くなってしまいましたが、これからも少しずつ発信していけたらと思います。

よろしくお願いいたします。

麻宮もころ



線維筋痛症という難病と闘っています。サポートしてくださると治療費に充てられます。宜しくお願いしたします。