日記のはじまりは、すもも。
初めて日記を書いたのは、小学校2年生だったと思う。
きっかけも、タイミングも忘れてしまったけれど、母が日記帳を買ってくれたのが、人生における日記との出会いだった。
初めて手にしたそれは、ピンクの小花柄で、厚さは1.5センチくらいだっただろうか。
しっかりとしたハードカバー、表紙にはサンリオキャラクターのマロンクリームが控えめに描かれていた。
そして、なんと、鍵がついていたのである。
表紙と裏表紙を留めるように施されたプラスチックの鍵。
これが何とも言えない、心くすぐるポイントだった。
当時のわたしにとって重厚で特別感たっぷりの日記帳。
すっかりお気に入りになったけれど、日記自体は1日か2日しか続かなかった。
わたしが日記をきちんと書くようになったのは、それからしばらく後、小学校5年生の秋である。
なぜ覚えているかといえば、最初に書いたのが学習発表会(学芸会)のことだったからである。
年間行事の中でも学習発表会が大好きだったわたし。
この年の演目『桃次郎の冒険』で、わたしはヒロインすもも役をやりたかった。
この役を希望したのは、わたしを含めて3人。
ダブルキャストだったから、枠は2つ。
体育館のステージで、オーディションが行われた。
オーディションの内容は、歌を歌うこと。
すももがソロで歌う、「すもももももも」をみんなの前で披露するのだ。
ピアノやブラスバンドで舞台慣れしていた方ではあるが、一人で舞台に上がったのは初めてのこと。
緊張と、気持ちよさと、楽しさと。
たくさんのことを味わったオーディションだった。
その後長く続く日記の一番最初は、このオーディションのことが書いてあった。
緊張したこと、声が少し震えてしまったこと、でもしっかり歌えたこと…
あの頃のわたしは、どうしてもどうしてもすももが演りたかったのだ。
その行き場のない溢れる思いを、どうにかしたくて、文字に託したのだと思う。
思い返せばすもも役は、人生の中で「どうしても手に入れたい」と強く願った一番最初のものだったかもしれない。
A6サイズの青いCampusノートは、すももへの熱い思いで埋め尽くされた。(歌を歌う、リボンをつけた棒人間イラストとともに。)
そうして、次のページにはオーディションに無事受かったことが続き、日常の記憶が少しずつ綴られていった。
1日に書く量はまちまちだったけれど、休むことなく毎日書いた。
A6の青いCampusノートが終わってしまった後は、マロンクリームの日記帳に書いた。(お気に入りだった鍵は全然使っていなかった。)
最初のページを破いてしまったか、残しておいたか、どちらだっただろう。
ともかく、中学生になっても、大学生になっても、日記は続けた。
社会人になっても日記を書いていたが、しばらくして、5年日記を買った。
1日分のスペースは4~5行ほどで、たくさんは書けない。
それでも、毎年同じ日が縦に並ぶようになっているのがおもしろく、はじめてみることにした。
5年日記のおもしろさは2年目からのような気がする。
「去年のこの日はこんなことしていたんだ」とか「ここに行ったのって去年のこの日だったっけ」とか、まるでタイムカプセルみたいなワクワク感があった。
未来の自分へワクワクを提供しているような気持ちも相まって、5年日記も休まず続けた。
時折パラパラと読み返すことも多かったし、それを楽しいと思っていた。
ところが、いつの頃からか、日記を書くことが辛くなったのだ。
5年日記の4年目だったか、5年目だったか。
だんだん書けなくなって、そのうちに読み返すこともできなくなった。
過去を目にするのが辛くてしんどくてたまらなかった。
だから、日記を捨てた。
5年日記はもちろんだけれど、それまで書いていた日記も全部捨てた。
捨ててしまってからしばらく、そこそこ長い時間をかけて、元通り元気になったけれど、日記はもう書かなくなった。
日記を捨ててから、5年は経っただろうか。
今のわたしは、週末の分だけ、こっそり日記をつけている。
正しく言えば、楽しかったこと、うれしかったことだけ、日記にしている。
もう、2年は経っただろうか。
キッチンの一番左側の戸棚に100円ショップで買った文庫本サイズの分厚いノートが入っているのだけれど、それがわたしの日記帳だ。
書き始めたきっかけは、パートナーと出会ったこと。
1年過ぎた頃、楽しい思い出が形に残っていないことがもったいなく感じたのだ。
日記には、少しばかりトラウマがあったけれど、どうにか記憶を保存しておきたい。
考えた末、絶対忘れたくないハッピーな記憶だけを書き記すことにしたのだ。
過ぎてしまった最初の1年は、思い出せる限りで年表のように記して、その後のページから楽しかった日だけ日記にした。
別に隠しているわけではないから見られてもいいのだけれど、なんとなくこっそり続けていて、大体月曜の朝、お弁当作りが終わった後に大急ぎで書いている。
土日分、ときどき金土日分。
書き終わったら戸棚に放り込む。
キッチンで書いているからところどころ油染みができているし、こっそり書いているから読み返すことはほとんどない。
それでも、楽しかった記憶が残っているという安心感は何にも代えがたいものである。
やっぱり日記はいいものだ。
実は、日記を捨ててしまったことを、少しだけ後悔している。
小学生の自分が書いたものを、書く仕事をしている今、読んでみたかった。
どんなことに悩んで、どんなことを考えていたんだっけ。
でも、あの頃は生きるために必死だったのだ。
日記たちが身代わりになってくれたのだと思いながら、すもも役のオーディションをときどき思い出している。
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