見出し画像

ぽんが売れた日。

小学生の頃、犬が欲しかった。
当時仲が良かったAちゃんもそうだったのだが、Aちゃんの家には間もなくして犬が来た。
羨ましくて、ますます欲しかったけれど、何度言っても我が家に犬はやってこなかった。
中学生になって、我が家に犬がやってきた。
妹が欲しい欲しいと何度も頼んだかららしい。
わたしのプレゼン力が弱かったのか、いや、もしかしたらわたしはそんなに強く、犬が欲しいとお願いしていなかったのかもしれない。

連れられてきたのは黒色のコーギー。
一人留守番していたわたしのところにやってきたときには、すでにころという名前に決まっていた。
ころはわたしが考えた名前だ。
犬を飼うならころという名前にしたかったのだが、わたしはてっきり柴犬だと思っていたのだ。
コーギーのころ、メス。
なんだかいろいろちぐはぐだが、ころはころころしていてとても可愛かった。
大きくなっても美人(犬)で、ぽっちゃりで、そして性格が悪かった。
外面は良いが、家ではなかなか狂暴、そして自分勝手である。
あのルックスでなければ、そうそう許されるものではない。
ドレス屋さんになるために引っ越す日の少し前、ころと散歩に行った。
いつもあまり行かないくせに、あと少しで実家を出ると思うと名残惜しくて、ころと出かけたのだ。
すぐ近所の公園で、一緒にうろうろする。
寂しくなってちょっと泣いたことは、ころしか知らない。

ころは情報誌を作る人になった頃も生きていた。
たまに実家に帰ると、相変わらず自由気ままに過ごしていた。
歳をとってちょっと穏やかになっていた。
たしか15歳くらいで、ころは亡くなった。

ころが亡くなってしばらくして、まるが来た。
よく見るベージュのコーギー、オス。
ころ(56)の次にきたからなっぱ(78)とかどうかと思ったのだが、却下された。
まるは、母が決めた名前だ。
小さい頃はまるっこかったまるだが、成長するにつれ瘦せっぽちになった。
食べても太らないらしい。
ちょいぽちゃくらいのコーギーが可愛いのになぁ…なんて思っていたら、気付いたらまるまるに太っていた。
まるはころと違ってよく懐いた。
べたべたとくっついて歩き、世話焼きとしては可愛がりがいがあるが少々うっとうしい。
うっとうしいけれど、それもまた可愛い。
まるは先日4歳になった。
60代の両親と4歳のコーギー。
大丈夫だろうか。

そんな風に、犬と言えばコーギーが一番!と思っているわたしだが、はじめにちらと書いたように、柴犬愛も強い。
犬好きが年々強まり、柴犬を飼いたい欲もむくむく大きくなる。

ある日、パートナーと一緒にショッピングモールに出かけた。
マッサージやら、散髪やら、細々とした予定を一度にこなせるので都合がいいのだ。
そこにはペットショップも入っていたから、パートナーが髪の毛を切っている間、そこで待つことにした。
中を覗くと、柴犬が何匹かいる様子。
店の前通路に面したところに、ころころと可愛い柴犬の子犬がいた。
しばらく外で見ていたが、たまらないので中に入る。
入ってすぐの黒柴の子犬をしばらく眺めたあと、さっき出会ったころころ柴犬のところへ行ってみた。

あまりに可愛い…!
まるまるしていて、ふわふわころころ、たぬきみたいな顔の柴犬。
そこへ髪の毛を切り終わったパートナーがやってきて、ふたりでその柴犬を飽きずに眺めた。
すると店員さんがやってきて、「抱っこしてみますか?」と声をかけてくれた。
全く飼う予定がないのに、「いいんですか?!」と抱っこさせてもらった。
ふわふわのまんまるでめちゃくちゃ可愛い。
暴れてじたばたするのも可愛い。
パートナーはというと、抱っこしたらほしくなるからとかたくなに拒んでいた。
ぬいぐるみのようで、そのまま連れて帰りたい気持ちをぐっと我慢し、またねと帰ってきた。

帰りの車で、さっきの柴犬に「ぽん」という名前をつけた。
たぬきみたいな顔だったからぽん。
ちょっぴり田舎臭い顔とまんまるフォルムにもよく合っていて、それから我が家ではぽんと呼んで「元気かなぁ」と気にしていた。
ぽんがいたペットショップはブログを毎日更新していたから、ぽんが登場するかもしれないと毎日チェックし、登場したらふたりで大喜びしていた。

初めてぽんに会った約2週間後、その日パートナーは残業で遅くなると言っていた。
夜、ひとりでペットショップのブログをチェックすると、ぽんが売れたことが書かれていた。

まったく飼う予定はなく、飼う準備もなく、ただの「ぽんファン」だったわたしだが、心ではすっかりぽんを飼っていたものだから、その記事を見て大号泣してしまった。
ぽんの話をしていた母と妹に連絡し、悲しみを伝えた。
そして慰められた。
まったく呆れた理由で大号泣する娘(姉)に寛大な人々である。
しかし、慰められても悲しみはなかなか消えない。
売れ残らなくて良かったと思うものの、もう、あのペットショップに行ってもぽんには会えないのだ。
もう、本当の本当にぽんを飼うことができなくなったのだ。
悲しくて悲しくて、いつまでも泣いた。
それは、日が変わりそうなくらい遅い時間に帰ってきたパートナーを泣きながら出迎えるくらい。
すでにLINEでぽんのことは伝えていたが、「ぽん売れてん…」。
号泣するわたしに、パートナーは爆笑である。

その後、柴犬=ぽんとなり、道行くぽん、テレビのぽん、インスタのぽんを愛でながら暮らしている。
いつかぽんを飼いたいと思っているが、果たして実現するのだろうか。
多分、一番重大なのは、わたしもパートナーも犬アレルギーだということだと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?