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人はいつか死ぬ、それは明日かもしれない

癌になった経験のある人はきっと、こんな意味に近いことを言われたことがありませんか?

ここから先は私の個人的な価値観の話し。

私(俺)だって明日事故で死ぬかもしれない。人はいつかは死ぬ。

はい、これです。これ。

うん、わかってる。
これは、その人たちが頭で考えた最大の慰めの言葉ということを。

死は特別なものじゃなく、誰にでも平等に訪れる
といいたいのでしょう。

わかりますよ、それはある意味正しいですから。

それは事実だけど所詮「高見の見物」

もし、癌になった知人がいたとしたら。
この言葉は、言うときは今一度考えてください。

人にもよりますが、きっとそれは慰めにはなりません。

命のやりとりを経験したことがない人からしたら、なんでもない、ごく当たり前の言葉ですが。

(命のやり取り=自分や、ごく近しい人が、命に期限があるかもしれないという事柄に遭遇した経験があること、と私が勝手につけた言葉)

サバイバーというか、私にとっては、すごくモヤッとする言葉。

所詮、安全なところから、高見の見物をしてる人
にしか見えないのです。

一ヶ月後に死ぬという運命が待ってたら?

いやいや、そんな被害妄想というか、大袈裟なー。
と、思ってる方がいたら、ぜひ想像してほしいです。

あなたが、一ヶ月後に死ぬという運命が、あらかじめ分かっていたら?

同じことを言われて、元気出ますか?
と言いたいです。

もし、自分の子供が交通事故にあって、脳死状態になってたとして、ママ友が。

「自分の子供もいつ同じような目に合うか分からないし。ほら、人はいつか死ぬものだから…」

なんて言われて、そうだよね、って納得できますか?
と言いたいのです。

いつか死ぬなら…

そう、人はいつか死ぬ。
事故で、明日突然死ぬ場合もある。

でも、いつか死ぬの「いつか」は

子供が小学校を卒業して
中学を卒業して
高校受験を乗り越え
大学受験を乗り越え
就職して
結婚して
孫が生まれて
孫と旅行に行って
孫が結婚して…。

その後がいい

そのいつかが、約束されてるかもしれない人と、約束されてないかもしれない人。この溝はとてつもなく深く長いんです。

だからこそ…

この言葉を使っていいのは…当事者だけだと、私は思う

そんな思いがあるのでこの言葉を使ってもいいのは、命のやりとりを経験したことがある当事者だけだと、私はそう感じます。

だからこそ、私自身、同じサバイバーの方に対して、この言葉は口が裂けても言えないなぁ…と、つくづくそう思うわけです。

自分を納得させるために…

かくいう、私もこの言葉を使ったことがあります。
でも、それは自分の気持ちを納得させるために、自分自身に言い聞かせるために使いました。

言ってみたものの、納得なんて出来なかったです(^_^;)

きっと死を身近に感じると
「人間いつ死ぬかわからない、いつかは死ぬ」
という言葉が受け入れられないくらい、生きることに執着をし始めるのだとおもいます。

じゃあどうすれば?

じゃあ、癌であることをカミングアウトされたら、どう言葉をかけたらいいのか?

私の場合は、なのですが。
「クロは大丈夫、生きる!」
と言われたことが、励まされました。

告知直後は特に、命に関して臆病になり、後ろ向きになっているから、前向きになれるような、「陽」の言葉はありがたかったです。

ちなみに、今は、人はいつか死ぬ発言をされたからって「失礼しちゃう!」なんてことは思いません(^_^;)

心配してくれている気持ちは分かるので、言葉自体はスルーして、気持ちだけ受け取るようにしてます(^-^)

そこは、大人ですので(^-^)

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