身口意三業

20231111身口意三業

 身口意三業とは仏教の修行をあらわす言葉で、身は体、口は口、意は心を意味します。業とは働きの事なので、身は体を動かすこと、口は呪文を唱えること、意は心の中で瞑想をしたり、ものを考えること、これを合わせた修行ということになります。

 本当の幸せな人生を生きるためには心と体の両方の健康が大切です。その健康を得るために、身口意三業にわたる修行が必要であると仏教で説いており、仏教とヨーガは相互に影響しあいながら成り立ってきたので、仏教の言葉はヨーガに当てはめて考えていきたいと思います。

 身口意三業の口、呪文を唱えることとは、仏教では般若心経などのお経を唱えることで、ヨーガはマントラを唱えること、と考えることができます。
お経やマントラは仏様や神様を礼拝するものや、自分の修行の成功を願って唱えるものです。口を使う修行は、言葉の意味も重要ですが、音の構成によって生まれる神秘のエネルギー、バイブレーションを使って、精神を落ち着かせ、心を高い意識のレベルに引き上げてくれます。マントラのマンは考えること、トラは束縛やネガティブな思考パターンから身を守ること、解放することを意味します。

 この音というものについて、現代の物理学では、ビッグバンによって宇宙が生じた際、音が真空から発散され、そのバイブレーションがゆっくりと宇宙を形成したとされています。尚、キリスト教の聖書の中にも「初めに言葉があった、言葉は神であり、言葉は神とともにあった」と記されています。ヨーガの宇宙論ではビッグバンの事を「サブダ・ブラフマン」つまり「神の音」としているように、全ての形態の可能性を含んだエネルギーと色々な教義で説明されています。そのパワーのある音を組み合わせ、神にささげる言葉や文章となったお経、マントラは、神とのつながりを深める働きをもたらしてくれます。

 身体と心の修行に加え、このような修行をすることで、目に見えない存在との連絡がつくようになってきて、三昧へ進むことの手助けをよりしてくれるようになります。自分が蒔いた種は自分が刈り取るという因果応報の法則の中にあっても、神様とのつながりを持てると大難が小難に、災いから逃れられるなど、報いを軽いものにしてくれたり、そもそも報いの受け取り方が変わり、それすらも三昧へ役立てるというような心持ちになるのではないかと思います。

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