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"The first step" までの足跡

 「推しの1st LIVEに参加する」という経験をする。
 昨日の1日にXのTLで向けられた数多くのこの言葉を見ながら、「自分にとっては初めての経験だな」とか、「他のオタクたちはそれこそ既に何回か経験していたり、それであっても違う雰囲気を感じ取ったりしてるのかな」とか、そんなことを考えてた。
 ところでぼくにとって初めての経験ではあるものの、1年数ヶ月前までの自分の勢いや熱量と比べて、事情と都合により随分と落ち着いてしまった今、今を目一杯楽しんでいたり苦しんでいたり喜んでいたり踠いていたりしているオタクたちと同じくらいの感動を得られるのだろうか。同じくらい盛り上がって泣くことがちゃんとできて、「ただ楽しかった一つのイベント」で終わってしまわないだろうか。

 そんな心配をするのも、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会中須かすみ役を務めることになってからではあるものの、そのころから今にわたって(濃淡が激しく変わりはしたが)応援してきた数少ないファンの一人だからだと思う。
 今でこそインプレッションや影響力を考えると本人のファンの中ではそうではなくなっているものの、未だ他の声優のファンから相良茉優のオタクとして声をかけられることは少なくない。
 「であればこそ」と思いたくはなっても、ここ1年数ヶ月で自分が求めているものとのすれ違いやそれを素直に受け入れられなかった葛藤、中でも大きかった単純に経済的な負担によるストックの枯渇による、一般的にはファンであろうと以前の熱量や勢いを思えば今や見る影もないほどの凋落ぶり。そんな自分に辟易としながら「成果物が好きだから追えるときは追ってる」「楽しむために現場に足を運んでる」なんて自分に言い聞かせるように言葉を吐いて回り、供給を得られる数の減少と興味・口数は比例し、「(特に全盛期と比較して)大して本人の活動を追うこともできないのに口数だけ減らない自分」を本人及び周りの人の目に映し出すのが嫌で、経済的な面のみならず精神的な面で悪循環に陥っていた。

 周りから見たときのぼくの価値は間違いなく相良茉優に依存している。その自覚があるからこそ、応援できない日々は自己肯定感の逓減として現れる。
 単に自分が諦めた供給の数だけじゃない。インプレッションの減少、影響力の低下、スケールメリットの担保の取れなささ。
 そのひとつひとつが、現場に出向く、配信を視聴する、手紙を書く、プレゼントを贈る、お便りを投稿する、グッズを買う、お花を出す、これら全ての行動にデバフをかける。あらゆる行動が頭の中で記号化して、そこに意味を乗せられなくなる。推しに限らず他人の反応に依存して推してきたオタクの末路がこれだった。

 「応援する」ではなく「純粋に供給を楽しむ」ことも当然ながら一つの在り方である、頭でわかっていて口でそうつぶやいて、時には人をそう諭そうとも、それを自らの心が納得するには自分にとってあまりにも長く前者の状態で居すぎた。
 自分のあらゆる行動がリハビリじみている。推しに限らず、周りの人からの好かれ方や喜ばせ方を忘れたような感じ。だからなんだろう、最近自分が軽はずみに吐く言葉が道化を演じたような中身のない言葉になることが多くなったのは。

 そんな状態で迎える、人生初の今までで一番長く推してきた推しの1st LIVE。お披露目イベントを挟んでいようとも好きな曲しかない上ライブだし楽しめるに決まっている。
 その上で、他に何を思えるかが気に掛かった状態で参加した。


 杞憂だった。
 あらゆるパフォーマンスや表情、歌い方、歌そのものの感想はいろんな人が既に書いているから割愛する。

 夜公演を待たずして昼公演が終わった瞬間に、いや、もう少し前、新曲『星空ワンダー』を歌っている最中に「今日もうこれで終わってもたぶん満足して帰られる」と本能的に感じられた。
 個人的な想いが強い感想にはなるが、完全本人名義の逆境的でロックな楽曲はアルバム『Smile my style』には収録されておらず、似たような曲は今までの活動の中でいくつかカバーや役で歌ってはいるものの他名義で、「相良茉優自身の曲」でそういう曲を歌ったことはなかった。
 「エンゲージプリンセス」で風女王ニンリル役で歌った『僕はボクサー』から「サガラダファミリア大集合〜年末大忘年会」で歌った『SHAMROCK』まで、それこそ長きにわたって聴いてきたからこそ、本人がそういう曲を歌う姿、その歌声がとても映えることはよく知っている。いつかそんな曲を手に入れてほしい。

 そう思い続けて数年。ついに昨日、本人の手中にそんな楽曲が収まった。
 「曲がいい」。もちろんそうだけど、あの時間はぼくにとっては待望の曲が本人の手に渡った瞬間に立ち会えた瞬間だった。

 いろんな楽曲を引っ提げてライブパフォーマンスをする姿を見ながら、「声優アーティストってこんな感じだよなぁ」とそれまで楽しみながら観ていたものの、『星空ワンダー』と『むくわれないや』を歌っていた時間は「近い未来にアニソンアーティストとしてステージを沸かす相良茉優」の姿をこの目に映し出していた。
 相良茉優は公式プロフィール上では身長155cm、普段の画角からはあまり感じ取れないが、どちらかと言えば少し小さめの身長であり、近いステージや目の前に立った時にその背丈の低さに普段の達観した様子やややぶっきらぼうな振る舞いとのギャップを生み出すことが多い。
 齢28とはいえ、遠くからでも長年見てきた推しがその小さな躯体をもって全力でステージからぶつかりにくる姿に、自分の中で期待しないよう選択肢から外していた可能性を嫌でも感じずにはいられなかった。アニメ主題歌をどんどん取っていって、大きいフェスに名前とアー写が大きく張り出されて発表され、フェス特有のコラボパートで大いに盛り上げてくれる。恥ずかしく無責任かつ数字根拠の伴わないようなことを口にしたくない性分ではあるが、あの短時間でそんな妄想を本気でするぐらいには、昔から夢見ていたかっこいい相良茉優が確かに目の前にいた。
 京セラドームの真ん中で堂々と歌っていたときよりもずっと、ずっと、ずっと、この小さな箱の中で足を踏み出した姿が大きく見えた。自分の推し方や精度に後悔はあれど、推してきてよかったと心から思えた時間だった。


 その分、記事の前段に書いた思いもあり、『あなたへのアイリス』がとてもいい曲なのにその曲で泣けなかった。
 正確には、「泣いていたのに本人が歌う姿に目を向けることができなかった」。
 夜公演で聴いた人にはわかるかもしれないが、あの楽曲は「推しからファンに向けた感謝の気持ちを歌った曲」であり、それも歌詞にあるとおり一緒に、あるいは本人よりも強く一喜一憂するようなファンに向けた、応援に対するアンサーソングのようなもの。
 つまり、今の自分に向けられた曲ではない。

 と、そんなことを書くと「考えすぎ」とか「捻くれすぎ」とか「相良茉優がそんな選民思想持ってるわけないだろバカか何年見てきたんだ」とか思われそうだが(なんなら同じことを思う人に自分が言うまである)、単純に気持ちの問題として、自分の中に1年数ヶ月前までの自分の姿がはっきりと見えるからこそ、「そのころの自分に聴かせてやりたい」という気持ちの方が強かった。
 嫌な気持ちとかはまるでなくて、単純にそういう歌を自名義で歌われることが嬉しいのと、同時にそれが刺さるまで歩幅を保てなかったことの悔しさが混在したというのが正しい。

 似たような楽曲で温泉むすめに『追伸、ありがとう』という楽曲があるが、こちらも「ファンに対する感謝」をテーマに作られた楽曲である。
 2019年11月17日に「Kleissis Resonance〜Kleissis×温泉むすめ 2マンライブ〜」で相良茉優含む3人がゆのはな選抜で歌っていたのだが、正にこれを目の前で聴いた時を思い出していた。このときは、別名義の借りた曲だろうと、少しでも自分に返ってきている気がして涙を流した記憶がある。
 それがあったからこそ、あの頃と同様に曲に向き合えない自分の不甲斐なさに余計に悔しい思いをした。裏を返すと、それだけ素敵な楽曲だった。


 ライブ初披露の既存曲もあれど、大きく印象に残ったのは個人的な想いが強く出た初解禁の新曲3曲だった。
 『Sing so free』みたいな勢いに任せない曲が少し硬いところあったなとか、『Daisy Days』を作った声じゃなくてもう少し細くてもいいから地声に近い歌声で聴きたかったなとか、夜公演では疲れからか少し歌声途切れたところあったなとか、これから良くなるところとかもっと他に見たいところは挙げたらいくつか出てくる。
 もちろんいろんなコンテンツのライブがあるたびに言っている歌詞間違えなくなったとか、歌詞間違えても気にならないようなパフォーマンスするようになったとか、MCが堂々とするようになったとか、体力が初期の頃とは段違いについたとか、誰が観ても明らかに良くなっている部分はある。

 そんな違いが些細に思えるほどに、昨日見た相良茉優の姿は声優アーティストとして大きく映ったし、少し遅いぐらいだと思っていたデビューも気にならないほど今後活躍してくれる期待をせざるを得ないパフォーマンスだった。
 MCも小気味良くキレッキレで、あの空間あの雰囲気を相良茉優が作り出し、会場全体を掌握して一つの作品にしたと言っても差し支えない堂々っぷりだった。

 そんな素敵な時間を過ごすことができた「推しの1st LIVE」、人生で初めて体験して感じ取れたものがこれで良かったと心から思える。
 推しに限ったことではなくこの先あらゆる選択に後悔は尽きないと思うが、期待が膨らんだ以上、見たいものが見られるときには見に行けるよう引き続き自分のペースで応援していこうと思う。
 自分の後悔や自責の念に推し含め他人の立ち入る隙はないと思っているので(外的要因であれどあくまで自分の中で発露するもので、他人に転嫁するものではないと思っているので)、折り合いは自分で付けながら精一杯楽しみたい。

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