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曽野綾子『心に迫るパウロの言葉』百八十度の心の転換 パウロの生き方

(要約)

パウロは

ディアスポラ(離散)のユダヤ人として

キリキアのタルソに生まれ

ローマの市民権を持ち

ギリシャ語を自由に話した。

そのため、聖書にあるパウロの手紙は

ギリシャ語で書かれている。

・・・

パウロは

パリサイ派と呼ばれる 正統のユダヤ教徒であり

当時の新興宗教であったキリスト教を弾圧する側にいた。

最初のキリスト教の殉教者となったステファノが石打ちの刑となった際には

偽証する人が脱いで預けた衣服の番をしながら

その刑の一切を冷酷に見つめていたという。

キリスト教を弾圧することを

疑うことなく正義と捉えていたのだ。

・・・

パウロはヘブライ語では「サウロ」と言われていた。


「サウロ」の響きには悪の響きがある。

「パウロ」は温厚であり、強い意志を感じる響きがある。

「サ」が「パ」となるだけで受け取る感じが違ってくるのは何故だろうか。

・・・

パウロがダマスコのキリスト教徒をエルサレムまで連行した時に

パウロの身に異変が起きた。

「ところが、旅を続けてダマスコに近づいたとき、

真昼ごろ、突然、まばゆい光が天から私の周りを照らしたのです。

わたしは地に倒れました。そして、『サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか』という声を聞きました。

そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と聞くと、

『わたしは、お前が迫害しているナザレのイエズスである』とお答えになりました。

わたしといっしょにいた人々は、その光を見ましたが、

わたしにお話になった声は聞きませんでした。

わたしが『主よ、どうすればよいのですか』と言うと、

主は『起き上がってダマスコに行け。あなたが果たすように決められているすべてのことが、そこで告げられるであろう』と仰せになりました。

わたしはその光の輝きのため、目が見えなくなっていたので、連れの者に手を引かれて、ダマスコに着きました」(使徒行録22・6~11)

パウロは盲目となり三日間食べることも飲むこともできなかったという。

生涯の初めての挫折。


ダマスコにアナニアという人がパウロの目を開けるために訪れた。

アナニアがパウロの目に手をおくと、

パウロの目からうろこのようなものが落ちて、

彼の目が再び見えるようになった。

・・・

「目からうろこが落ちる」のいう言葉の語源となった。

・・・

このダマスコでのパウロの回心により

パウロは百八十度の意識の転換をしたのだ。


ユダヤ教徒として将来有望であったにもかかわらず

神の光の中でイエスの声を聞いたことで

物質的なことや現世的な権勢は無価値となり

その代わりに

輝くような魂の世界が見え始めたのだという。

・・・

ほんとうに心が満たされるものは

いかに魂が喜びを知っている生活をするかだと

私は分かるようになったと

曽野綾子は言っている。

・・・

憎んだものによって愛を教えられ

拒否した世界の中に本当の答えを見つける。

この時に価値の百八十度の眩いばかりの

心の転換が起こる

・・・

この痛烈な逆説を経験すること

究極の経験をすることで

起こる価値観の逆転という転換。

・・・

その後パウロは

多くの人にキリスト教を布教するために

様々な厳しい試練とも言える

多くの心身ともに起こる困難を経験しながらも

決してひるむことなく

逆に湧き上がるような熱意を持って

多くの手紙による聖書の言葉を残していった。


パウロにひかれるのは

自分の考えを変えることができる柔軟な思考を持つ人であったということ。

そして

信念を持って多くの人にキリスト教を布教することが

自分の使命であるという腹をくくった覚悟があったということ

そして死ぬ最後まで

その思いが変化することはなかったということ


最後のローマでの死においても

神とイエスのもとに旅立つことを

むしろ喜びとして受け入れていたということ。

・・・

これ程までに

信念を持って生きることは

濃密な人生を送ることができた人であったと思う。

困難や試練があるほどに

満ち足りた充足感を持つこともできたのではないかと想像する。

・・・

わたしも

強烈に

パウロに惹かれていたのだ。



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