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曽野綾子『心に迫るパウロの言葉』民主主義の解説者

「人間は等しく平等である」という発想は実に快いものであるけれども

実際には才能という点においては、それぞれ違いはある。

そして、才能を羨むということはかなり高級な意識の操作であるという。

・・・

人間が嫉妬するのは、才能ではなく、

もっと明らかな「運」や「結果」であるという。

すると

運というものは、実に不公平なものであるという判断となる。

・・・

この不公平や不運に対して、

パウロは

「わたしたちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、

それが予言の賜物であれば信仰に応じて予言をし、

奉仕の賜物であれば奉仕をし、

また教える人は教え、

励ます人は励まし、

施しをする人は惜しみなく施し、

つかさどる人は心を尽くしてつかさどり、

慈善を行う人は快く行うべきです」(ローマ12・6~8)

・・・

「賜物」という言葉にはカリスマというギリシャ語が使われる。

カリスマは霊的道徳的能力であるが、

特に神の好意によって

恩恵として与えられたものを指す。

よって人よりも優れたところがあれば

自分の力ではなく

それは神から与えられたものであるということだ。

・・・

それぞれの人間に与えられた賜物には優劣はなく、

人間が優劣を感じるというのは、

神の意図が分からないからであるというのだ。

・・・

人間一人ひとりに与えられた使命において

パウロは

「愛には偽りがあってはなりません。

悪を忌みきらい、善から離れてはなりません。

互いの兄弟愛をもって心から愛し、競って尊敬し合いなさい。

熱心でたゆまず、心を燃やし、主に仕え、希望をもって喜び、

苦難を耐え忍び、たゆまず祈りに励みなさい。

聖なる人々の貧しさを自分のものと考えて力を貸し、

手厚くもてなしなさい。

あなたがたを迫害する者の上に祝福を願いなさい。

祝福を願うのであって、のろいを求めてはなりません。

喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。

互いに思いを一つにし、

高ぶらず、

身分の低い人々の仲間となりなさい。

自分は賢い者だとうぬぼれてはなりません」(ローマ12・9~16)

・・・

人間は何一つ分かってはいない。

この世の仕組みは複雑であり

賢いように見える人でも、実は何も見えてはいないのと同じであるという。

たとえ、多少なりともましなことができたとしても

それは

神から与えられた能力、賜物によってであるというのだ。

パウロは、人間が驕り高ぶることを

戒めている。

・・・

「身分の低い人々とともにいる」ように。

この表現はパウロの時代のことであるので

現代においては適切ではないかもしれない。

・・・

しかし

神から見ると

すべての仕事は全く同じであるということ。

神から与えられた賜物であることを生かしていることから

仕事において上下はないというのだ。

なぜなら

すべての仕事がなければ人間の生活が成り立たない。

すべての仕事があってからこそ

わたしたちの生活ができている。

・・・

すべての人に対して感謝するべきことなのだ。

・・・

神の前においては

すべての人がその存在価値が平等であるということ。


どんなことにおいても

ただそこにいるということだけにおいても

わたしたちの賜物を生かして生活していることとなり

わたしたちの存在の価値は

平等となるのだ。

・・・

神の前では

すべての人は

平等となる。


そして

すべての人が

神に

認められいる。

愛されている。


そう考えると

十分に生きる価値が

私にはある。



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