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アメリカの警察

2019年12月5日に、フロリダ州ミラマー市で個人的にショッキングな事件があった。銃に絡む事件に慣れているフロリダ州民でも、これはやりすぎだと思った人が少なからずいる。ミラマー市はマイアミ市から車で北に30分ほど車ではしった郊外にあり、住宅地が広がる。事件は、東西に走るミラマー・ハイウェイで発生した。娘が昔日本食レストランでバイトをしていたころ、よく通っていた道路でおこった。わたしは、この2ヶ月前に日本にもどっていたので、この事件のことを娘から電話で聞いて知った。

事件の発端は、マイアミに隣接するコーラルゲーブル市の宝石店に2人組の強盗が押し入り、宝石店経営者と撃ち合いを演じけがをさせた。逃走中に、たまたま通りがかった運送会社のUPSのトラックの運転手にピストルを突きつけ、人質にとって、高速道路の75号線を北に30Kmほど走らせた。数十台のパトカーに追われて出口を出たミラマー市の路上で劇的な終焉を迎える。

このクライマックスを、まず数字で見てみよう。

  • 発砲された銃弾の数 196発 (犯人数発、残りは警官による)

  • 発砲した警官 19~21人

  • 警官一人当たりの発砲数 平均 10発

  • 死者 計4人 (強盗犯 2人、人質 1人、通勤帰りの人 1人)

この事件に関して、日本のテレビのニュースでも取り上げていたので、覚えている方もいるかもしれない。ユーチューブで人質の茶色の制服をきたUPSの配達員が右側の助手席からずり落ちてくる映像をみたかたもいるかもしれない。ニュース映像ではぼかしたものが多いが、それでは人質の最後の瞬間何がおこったのかわからないので、あえてぼかしのないビデオのリンクをのせる。見るか否かはご自身で判断を。

警官は、夕方の帰宅を急ぐ車で渋滞している道路で、犯人の乗ったUPSのトラックに発砲した。特に問題となったのは、警官が発砲した銃弾の数もさることながら、警官が帰宅を急ぐ一般市民の車の後ろに身を隠し、犯人と人質が乗っているトラックめがけて無差別に撃ち、犯人もろとも人質を殺したこと。

警官の撃った流れ弾にあたって、帰宅途中の乗用車の退職まじかの男性が運転席で死んだ。アンラッキーな人くらいで、あまり注目されていないようだったが。あの時刻にあの場にいれば自分が同じ運命にあったかもしれない想像すると、ぞっとする。

警官が無実の帰宅途中の市民を盾に取っているところがら放映され、いったい警官は誰を守るためにあるのか、という疑念を生んでしまった。警察の本当の姿を垣間見たと感じた人もいたかもしれない。UPSの運転手を人質にとった、すなわち盾にとった犯罪人と、人命軽視ではあまり違わないといえなのではないかと。しかも、人質まで撃ち殺してしまうのだから。

そうした批判に対し、いつものことで、保守層を中心に、警官の行為を盲目的に弁護する声は多い。もちろん、警察官にも家族がいて自分の命を守るのは当然だが、一般市民の命を守るのが職責でもあるはずだが。

その後の警察の対応をみてると、いつもながらと思わずにいられない。事件の直後に、警察の報道官が、悪い奴がこうした事件をおこさなかったら、こうした悲劇は起こらなかったと開き直った発言をしていた。こう言ってしまうと、改善する余地はなかったということになってしまう。

警察は、誰が撃った弾が人質であるUPSトラックの運転手と帰宅中に居合わせた人に命中したかに関しては、3年半経った今も捜査中としている。命を落とした運転手の家族の怒りはおさまらず、真相究明とビデオのリリースを要求しているが、警察は警官が装着していたボディカム記録の公開を拒否している。 

警察官の5人に一人は退役軍人だ。警察官は仲間意識が強い。法執行関連の職に就いている警察関係の人が殺されたりすると、警察は異常とおもえるほどの反応を示す。あらゆる手段で犯人を捕らえることに執着する。

身近な一例をあげると、2008年、家の近所の郵便局の駐車場で、朝の通勤時間帯に国境警備局の職員が射殺された。この時の、警察の反応は明らかに過剰で一部批判を浴びた。警察を総動員し一般道路での検問、ヘリコプターからの上空からの捜査、テレビで逮捕につながる情報提供者への懸賞金、殺人事件は珍しくない市で、このケースが特別扱いされていたことはあきらかだった。後日、犯人は逮捕されて判明したのは、若い国境警備局の職員が老人の運転に腹をたて車で追い回し、老人が目的地の郵便局の駐車場で車を降りたところで口論となり、老人がピストルで撃った、というものだった。フロリダ州法だと、正当防衛となるべき事件だった。

警官の間では、"Blue Wall of Silence"、すなわち沈黙の青い壁、という暗黙のルールがある。青は、警察官が着る典型的な制服の色で警察を表す。同僚が犯した違法行為をチクらない。報告すると仲間を売ったということで、仲間から敵視され、危険な時も、助けてもらえない、すなわち死を意味する。そして、Blue Wall of Silenceによって、仲間の法に逸脱した行為は見て見ぬふり。そうした行為が、自然となり、普通となる、特権意識を醸成し、なにをやっても大丈夫となる。

アメリカでは、警察組合が強く、政治的影響力が強い。警官が勤務中におこした不正、違法行為にたいし検察は不起訴にする場合が非常に多い。というか、起訴されるのは稀である。特にマイノリティが被害者の場合は、まず不起訴となる。警官が被害者を撃っても、被害者が銃らしきもの、をもっていて、身の危険を感じたので撃ったということで、起訴を免れることが多い。特に、被害者が死んでしまえば、死人に口なしである。たとえ、公になっても、大抵は不起訴となるので安心だ。

このミラマー市の事件に関連した警察署は、マイアミ・デード郡警察署、ドラール市警察署、ブロワード郡警察署、ミラマー市警察署、ペンブローク・パイン市警察署、フロリダ州高速道路警備隊と6つ。アメリカでは、州、郡、市といったコミュニティレベルで警察が存在し、警察官の給料は警察署が所属する州、郡、市の財政からでている。

各コミュニティで、人種構成、政治的、社会的、経済的状況がまったく違う。金持ちの多い、高級住宅街の市もあれば、スラム化した地域もある。そうした地域ごとに異なる問題と利害関係がある中で、どうせ責任を問われないのだからといって、警官が自分の属する人種、信仰する宗教を利するように恣意的に法を執行すれば、どういったことが起こるか想像してほしい。何故、特定の地域で警官に対する反感、怒りが存在するか理解できると思う。

1990年代にニュージャージー州に住んでいた時、上司の中国系シンガポール人の妻が他の車と接触する交通事故にあった。非は明らかに相手にあったが、現場にかけつけた白人の警官は、彼の妻の過失という事故記録をつくり、抗議しても全く聞く耳をもたなかったそうだ。事故の相手は、白人だった。

ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が盛り上がりを見せた2020年夏を契機に、アメリカの警察の実態、体質が少しはしれたように思うが、日本とはあまりにも置かれている状況が違うので、理解するのは難しと思う。マイノリティーの間では、小さいころから、警官に気をつけるよう教える。特に、親としては、車を運転できるようになって一人で出かけることが多くなる高校生になると心配になる。夕方日が暮れてから息子がジョギングして来ると言った時は、とめようとして口論になった。偏見を持つ誰かが警察を呼んで、警官に撃たれるのではと心配になる。

もちろん、すべての警官が悪いというわけではないし、いらないといっている訳ではない。僕の知り合いが、コロンビアン料理レストランを経営していた。彼は、銃の携帯許可証をもっていたので 護身用にいつも小さい9ミリピストルを携帯していた。夜、店を閉めたとき、売上げ金を奪われないように。雇っていた若いウエイトレスにしつこくつきまとう元ボーイフレンドがたびたび店までおしかけてきたときは、警告を与えて撃退した。勤務中の警官が立ち寄ると、いつも食事、コーヒーを無料で提供し、しょっちゅう警官がくるようにして、犯罪者に狙われないようにしていた。

警官は、副業を自由にしてよい。僕が住んでいたコミュニティには、かなりの数の警官が住んでいた。多くの住人が働きにでている昼間に空き巣が起こりやすい。だから、自治会は、非番の住人の警官をアルバイトで雇って、昼まだけコミュニティを巡回させていた。といっても、市から貸与されたパトカーを木陰にとめて、犯罪抑止のためにらみをきかせるだけだが。

警察官も人間であり、頼らざるを得ない人たちがいる。警察官よりある意味では強い立場にいるといえる。医療従事者だ。警官が撃たれたとき、助けてくれるのは、医者、医療技術者、看護士たちだ。私の知り合いは病院で働くものが多い。緑色の医療服をきて出勤する。スピード違反で何回かつかまったが、罰金の切符を切られたことはないという。

ちなみに、冒頭の話の強盗は2人とも黒人である。この事件で人種が影響を与えたかどうかは知るよしもない。が、マイノリティに対する不当な扱い、過度な暴力等、過去の事件と照らし合わせると、人種といった要素が過度な武力の行使に心理的に微妙に影響していたと考えても不思議ではない。





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