冬が好きなわけ
「冬が好き。」
好きな季節をきかれると絶対に冬と答えている。
理由は、と言われると、様々に浮かぶ。
空気が冷たくて澄んでいるから、
お正月とクリスマスがあって大切な人と睦まじく過ごせるから、
冬服が好きだから、毛布が好きだから、おでんが楽しめるから、
暖かい部屋でアイスを食べるというぜいたくを味わえるから、
冬に入る前の、秋の終わりの冬のにおいもすきだ、
「ふゆ」という音も優しくて可愛い感じがして好き。
いや、私にはもっと「冬が好き。」ということについて、常々考えている理由がある。
冬は平等だから好きなのだ。
冬が好きである理由の半分は上のような積極的な理由で、もう半分は消極的な理由である。
夏が嫌いなのだ。
自分の意図反して汗をかくことが兎角苦手であり、あの理不尽なまでの暑さには毎年辟易している。
メイクやヘアセットがくずれ、どんなに薄着しても限界がある。
ただ、それは私の場合である。
街ゆく人を見てみると、夏を楽しんでいる人もいるではないか。
ノースリーブとホットパンツで風を切って歩く人、日焼けにいそしむ人。
挙句、上裸でランニングする人などもいる。
私はそういう人たちを見て思うのである「羨ましい」と。
自分だって極力露出面積を上げて、体温を逃がしたいが、日焼けも気になるし、何より公共の福祉に反してしまう。
できない。心底嫉妬する。
一方で冬はどうだろう。
夏にホットパンツだった人も、上裸でランニングしていた人も、老若男女、皆コートを着てマフラーを巻いて、手袋なんかもして、寒そうに歩いている。
皆、同じように寒さに震えながら歩いている、誰一人として羨ましいと思える他人はいないのだ。
嫉妬に心を乱されることはない。
ただ寒いということだけを考え、穏やかに街を歩けるのだ。
冬はすべての人に平等に降りかかるのだ。
そんな心穏やかな冬も、きっともう少しで終わるだろう。
桜の開花が始まれば、また夏を予感する。むせかえるような熱気と緑のにおいの充満した夏がやってくる。
冷たい安寧の季節を、例にもれずながら震えながらながら過ごす。
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