毒舌美人に「極論と局部論」を説かれた話
昨日の『不適切にもほどがある!』も、クドカン節全開でおもしろかったですな~。
阿部サダヲさん演じる小川市郎が、犬島渚(仲里依紗さん)の働くテレビ局のカウンセラーとして雇われるという展開があり、「地獄のオザワ」がコンプラ無視の“極論”人間であることがキーになってました。
ドラマはドラマで十分楽しむとして、そこでふと思い出したことがありました。
ワタクシ、20代後半から30歳ちょいくらいまで、出版関係のところで編集スタッフとして働いておりまして。そのときに、年齢的には先輩になる同僚のS嬢と仲良くさせてもらっていました。
彼女はワタシ好みの毒舌美人(こういう外見描写もいまは気を付けないといけないんすかね。でも惹かれるんです、毒舌美人)。ワタシは毒を浴びてはいなかったのだけれど、周囲には結構吐いておりました。
それでもワタクシも、たびたび指摘は受けておりました。言葉の使い方が間違っているとか、ランチの際には、「もつおくん(当時のワタクシの愛称)ちゃんと三角食べをしなさい」とか。
基本は正しいのだけれど、放たれる矢(言葉)がキツイ。まあ、ワタシとしてはそういう彼女が好きだったわけです。
そんな彼女に、あるとき言われました。
「もつおくん、私は極論だけど、あなたは局部論(※造語)だから」
この指摘を受けたとき、「ほっほう、なるほど」と唸ったのであります。
「もつおくんは、何かを語るときに、自分の中の常識が一般的なことだというベースのうえで語る時がある。でももつおくんの場合、それ、かなり一般から外れてるから。私の場合はモノの見方、意見が極端なところがあるけど、もつおくんの視点は点だから。井の中の蛙ともまた違うんだけど、端から“みんなもそう”と思って語らないほうがいい」
現在、ワタシはライターとして仕事をしている。これって何気に致命的なことだ。自分の世界観を表現する作家ならば、また違うかもしれないが、たとえば映画やドラマのレビューやコラムを書く上で、一般的な感覚を持ち得ていないのはヤバイ。
そのとき以降、頭の隅にS嬢の言葉を置くようにしている。
自分は局部論(※造語)なところがある。よく言われることではあるけれど、特に自分の考えは常識から外れていることがあるらしいので要注意だよと。
つまりは「自分の常識をみんなの常識だと思うな」と。文字にすると当たり前のことなんだけどね。常識と混ざりがちな“ふつう”って何だよ問題は、全く別の話なのでここでは置いておくとして、いわゆる社会的な常識は知ったうえで、自分自身の感覚も失わずにいけるのが一番かな。
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