『ネットニュースで世界が良くなるわけがない』第8話

第8話「批判に良いも悪いもあるんですか?」

 ポケニューでは1時間ごとに稼いだPV数を計測している。毎時間、目標数値が設定されており、私たちはそれを目指して運用している。

 もちろん朝と昼のピークタイムの目標数値は他の時間帯と比べて高く、トップページを始めてすぐの頃はまるで届かなかった。
 それでも私は挑み続けた。何本でも記事をあげ続けた。

 遅番に引き継いだ後は中村さんと反省会。
 なぜこの記事がダメだったのか、どんなタイトルが良かったのか。彼を質問攻めにし、知識を高めていった。
 ポケニューで世界をより良くする。
 私から世界へ、情報と議論を広げていく。
 通勤や退勤の時間に聴くようになった金森あずさの曲の数々は、私の野望と食い合わせが良く、モチベーションの維持に繋がっていった。

 そんな日々を続けること1週間。
 ついに私は朝のピークにて、目標の数字を達成した。

「すごいね蒼井さん。目標って基本、簡単に達成できないレベルに設定してあるんだよ。初めて1週間で朝ピーク達成はなかなかできないよ」
「いえいえっ。中村さんのサポートのおかげですし、今日は朝一で『ウナギ食べたいズの川淵が結婚』と『北海道で牛が轢かれるも無傷』って良いニュースが配信されていたので、運が良かっただけです」

 1日として同じ日はなく、あらゆる出来事は前触れなく訪れる。
 ニュースを取り扱っている以上、目標数値を超えられるかどうかは運の要素も強い。だからこそ安定して数字を取れる中村さんやオーランドさんはすごいのだ。
 そう冷静に分析する私だが、トイレの鏡に映った顔には隠しきれぬ笑みが滲んでいた。


 朝の調子は良かった本日。昼に向けた記事と心の準備は完璧だった。
 しかしそれでも、昼ピークの目標は達成できなかった。

「お膳立ては整っていたのに……」

 理想的と言えるほど、下準備は完璧だった。
 だからこそショックは大きかった。

「おしかったよ。昼はあんまり良い記事こなかったしね。いつ目標達成してもおかしくないくらい、ちゃんとできてるよ、蒼井さんは」

 中村さんには毎日のように励ましの言葉をかけられている。毎度気を遣わせて申し訳ないと、余計に心が沈んでいく。
 トップページの運用、その最低限の方法は学んだ。ユーザーの好む傾向も理解したつもりだ。それでも勝てないのは、記事選びやリタイトルのセンスの問題なのだろうか。
 ひとり苦悩する私。その耳に届いたのは、悪魔の囁きだった。

「ゴシップ記事、試してみれば良いんじゃないすか」

 引き継ぎを終えた後、遅番のオーランドさんはこんな助言をする。
 ゴシップ記事とは、有名人に関する噂を記述したもの。プライベートを追いかけ回した内容や、根も葉もない話が書かれることも多く、有名人からは基本嫌われている。

「ゴシップは、抵抗感あるんです……信頼性に欠けるじゃないですか」
「でも真実が書いてある記事も多いっすよ。芸能人の不倫とか政治家の汚職は、ゴシップ記事から発覚するケースもありますし」

 確かに、1本のゴシップ記事からSNSや掲示板などで「祭り」へと発展、というプロセスは近年増加している。
 私は正直、上等なものとは思えないが。

「それにユーザーも今の時代、そこまで信じてないっすよ。あくまで妄想を楽しんでるというか……ゴシップなんて基本、芸能界を舞台にした二次創作すよ」
「それなら尚更、報道メディアが使うのは……」
「ポケニューはエンタメ色強いですから、そういうのもユーザーに求められてますって。騙されたと思って明日の昼ピークで、使ってみると良いっすよ。僕も中村さんも、トップページにほんのりスパイス効かせる程度に使ってますし」

 芸能などサブページを担当していた頃、チラチラ見ていた中村さんやオーランドさんの運用するトップページには、言う通りいくつかゴシップ記事は掲載されていた。
 そこまで言われれば、ゴシップ記事への印象を変えることも、やぶさかではない。
 ただそれでも、使わないに越したことはない。
 この認識に変わりはなかった。

「そういえば、飲み行った日の帰りに言ったじゃないですか。もっと大規模な飲み会の話。来週の月曜に決まったんすけど、蒼ちゃん先輩もどうですか?」
「え、はやっ。もう日にちまで決定してるんですか」
「週初めなのは申し訳ないっす。みんなの意見合わせたらその日しかなくて。ポケニュー回さなきゃいけないんで何人かは出られないですけど、けっこう集まりそうっす。なんとレアキャラの玉木さんも来ますしね」
「えっ、すごい」
「えっ」

 私の声とシンクロしたのは、当の玉木さん。きょとんとした顔でオーランドさんを見る。

「おかしいな。俺は考えておくと言ったんだが」
「玉木さん。考えておく、は快諾とみなします」
「おい誰か校閲を呼べ。こいつに日本語教えてやれ」

 まったく引き下がらないオーランドさんに、玉木さんの声色も荒くなる。

「典型的な断り文句だろうがっ、断ってんだよ俺は!」
「そんなの横暴だ!」
「完全にこっちのセリフだ!」

 オーランドさんは玉木さんに詰め寄ると、「行きましょーよー玉木さんと飲みたいー」と駄々っ子のように揺さぶる。
 これにはさしもの玉木さんも狼狽。オーランドさんほどのコミュ力があれば、どれだけ人生は愉快になるのだろう。

「玉木さん、オーランド相手に曖昧な言い方は通用しませんよ。観念してください」

 話を聞いていた中村さんも、オーランドさんに加勢。表情からして困っている玉木さんを完全に面白がっていた。
 オーランドさんと中村さんを筆頭に、ポケニュー編集部が一丸となり始める。アウェーの空気を感じ取ると、往生際の悪い玉木さんはこんなことを言い出した。

「ならオーランド、おまえが遅番トップページの総PV数、目標の120%以上を取れたら言う通りにしてやるよ」
「よっしゃ、やってやりますよ!」

 話がまとまると、オーランドさんはすぐさまデスクに戻り、トップページ運用を始める。周囲の同僚たちも、サブページから惜しみない支援をオーランドさんに送る。
 その後何年にもわたり伝説として語り継がれる、遅番トップページ目標120%超えという偉業は、その瞬間に始まったのだった。

      ***

 翌日の朝ピークは、前日とは打って変わって目標数値よりも大きく後退した。入ってくる最新ニュースはどれもネタとして弱く、あげくミスを連発。

「蒼井さんっ、七枠の山城さんは故人だから敬称つけて!」
「す、すみませんっ、すぐつけます!」
「3枠、表示されている人物が別人だよ! すぐ差し替えて!」
「すみません、すみません!」

 完全に、足を引っ張っていた。
 世界をより良くするどころか、この小さな社会の中でさえ、足手まといになっている。確実に、私がいない方がPV数が取れているような状況だ。
 このままではいけないと、私は昼ピークまでの間、必死で使えそうな記事を探す。
 ふと、ひとつのゴシップ記事が目に留まった。

 成沢健と三宅坂ぴんくが熱愛か! ぴんく、縦読みで「けんすき」?

 俳優とアイドルの熱愛疑惑。アイドルのSNSでの「匂わせ」投稿を軸に、熱愛の根拠を書き連ねている。テレビ関係者の証言もある。
 両者ともその業界では一線級の芸能人だ。もしも熱愛が本当なら大スクープだろう。とても刺激的で、これ以上ないほどエモーショナルな内容だ。

 だがこの記事の信頼性は、微妙だ。
 芸能界での接点が見えない2人であり、「匂わせ」投稿はこじつけとも取れる。そもそもテレビ関係者とは何者なのだ。
 スルーする理由はいくらだって浮かぶ。それでもこの記事から目が離せないのは、昨日のオーランドさんの甘言が頭で反響し続けているからだ。

「ゴシップ記事、試してみれば良いんじゃないすか」
「そういうのもユーザーに求められてますって」
「僕も中村さんも、トップページにほんのりスパイス効かせる程度に使ってますし」 

 私の中で、道徳心とオーランドさんがせめぎ合う。社会的に正しくないが、手っ取り早く数字を取れてしまう。ゴシップ記事とはなんて悩ましい代物か。

 結局は決断できないまま12時になってしまった。
 ゴシップ記事を使おうか迷ったまま迎えたピークタイムは、例によってネタが枯渇しており、幕開けから厳しい戦いが強いられた。
 例えばひとつ大きな話題でもあれば、それを軸に複数の枠を埋められる。そこで、今日イチで伸びた記事を探ってみた。

 路上で女性に「汗ちょうだい」逃走

 ダメだ。まず今のところ続報はないし、そもそも変態おじさんの事件を軸にしたトップページなんて、地獄絵図だ。

「今日も厳しそうだね……もう記事のストックない?」
「そうですね、ストックはもう……」

 そこで再び目に入った、成沢健と三宅坂ぴんくのゴシップ記事。掲載する勇気はなかったが、ストックから取り去ることもできなかった。まるで自身の中途半端な覚悟を示しているかのように、そこにあった。

 ピーク時間は残り三十分。私は、腹を決めた。
 絶対条件として、リタイトルには細心の注意を払う。確定情報でないことを強調しつつ、エモーションを誘発する言葉を使う。

 成沢健と三宅坂ぴんくに熱愛疑惑か

「疑惑」という曖昧な単語、更に「か」の1文字で真偽の不明瞭さを演出。慎重に慎重を重ねたリタイトルを終え、恐る恐る掲載した。 悪戯をした後のような緊張と興奮が、身体から湧いて出る。これが、初めてゴシップ記事に頼ってしまった瞬間だった。

 掲載して3分で、その効果は如実に表れた。
 ゴシップ記事のアクセス数は爆発的に伸び、思わず慄いてしまった。他の記事と比べて、2倍以上の伸び率を記録。ここまでの好反応をもたらした記事は、不倫騒動に関する大学教授の不適切発言以来だった。

 ネットの反応を見てみる。信ぴょう性を疑う声もあるが、大抵は面白がっていた。オーランドさんの言う通り、真偽のほどは置いておいて、その記事自体を楽しんでいるようだ。

 ゴシップ記事はピーク終了まで伸び続けた。
 結果としてトップページの総PV数は目標数値には届かなかったものの、これまででも上々の数字を叩き出した。ほとんどゴシップ記事の功績と言っても過言ではなかった。
 だからこそ、後悔せずにはいられなかった。

「もし、あの記事をピーク序盤から入れていれば……」

 初の目標数値達成のチャンス、自らの臆病さが邪魔をした。


「タイトルに気をつければ、芸能ゴシップは入れても良いぞ」

 この日の反省会には中村さんだけでなく、玉木さんも参加した。ゴシップ記事の取り扱いについて、彼はこう述べた。

「読み物として面白い記事はけっこうあるからな。芸能ニュースなんて、そもそもがくだらないんだから、そんな噂話を掲載するのも良いだろ。うちはそこまで硬くはないしな。ただ政治と宗教のゴシップはやめとけよ」
「ポケニューの信頼性も問われるから、諸刃の剣だけどね。それでも数字は取れるから、ヤバいって時には使っちゃうよね」

 中村さんも手放しに肯定してはいないが、ある程度許容しているらしい。
 上司2人に承認されながらも、しつこい抵抗感に苛まれている様が私の表情から伝わったらしい。玉木さんは「バカ真面目だな」とボヤくと、一つ提案する。

「そんなに気になるなら、記事へのコメントを見ればいい」

 ポケニューでは記事が表示されるページに、ユーザーがコメントできる欄がある。記事の内容に対する賛同や批判など、様々な反応が寄せられる。
 時にはコメント欄でユーザー同士の議論に発展することもある、特殊な場所だ。
 玉木さんはPCで、私が昼にあげたゴシップ記事のページを開いてみせた。

「半数は面白がっていたり本気にしているコメントだろ。こういう反応が多ければ掲載しても問題ないってことだ。だから今後はゴシップ記事を掲載したらコメント欄を確認して、許容範囲かどうかの線引きを自分で確認するんだ」
「でも、批判もありますよね……」

 半分以上は好意的だが、中には『くだらない』『こじつけだ』『他に掲載すべき記事がある』などの批判も多く見られる。これらを無視するのは、難しい。
 中村さんは苦笑しつつ告げる。

「でもそういう批判は、ほぼすべての記事にあるからねぇ」
「おまえもニュースサイト運用者の一員なんだから、良い批判は拾って悪い批判は無視、くらいしてくれよ」

 何だか不思議な言い回しが聞こえた気がした。

「批判に良いも悪いもあるんですか?」
「そりゃあるだろ」と言うと、玉木さんはまた別の記事のコメント欄を見せる。
 記事の内容はこうだ。バラエティ番組にてお笑い芸人がアイドルの顔をイジり泣かせ、ファンから批判が殺到している、とのこと。

「この2つのコメント、どっちが悪い批判かわかるか」

 1つは『女の子の顔を悪く言うクズ』。
 もう1つは『自分も変な顔してるくせに』。

「前者ですかね。クズは言い過ぎのような……」
「確かに強い言葉を使うのはいただけないが、正解は後者だ」

 中村さんは問題の意図に気づいているらしい。玉木さんに促され、解説する。

「この芸人が非難されるべき点は、人の顔をバカにしたってところだよね。前者はちゃんとそこを突いているけど、後者は微妙にズレてる。顔の良し悪しに関係なく、この行為は非難されるべきでしょ」
「そうか、確かに……」
「つまり後者は批判の皮を被った罵言なんだよ。この芸人を傷つけることを目的としているコメントなんだ。攻撃を優先するがあまり、ズレが生じていることに気づいていない。これが悪い批判の例だ」
「良い批判は、相手を正すという目的での発言のこと。まあクズって書いている時点で、前者のも攻撃的な要素あるけどね」

 つまりは記事のコメント欄にある、こちらの間違いを正すような批判だけを受け止め、傷つけるのが目的の批判はスルーすべき、とのこと。

 理屈はわかった。必要な行為だということも理解できる。
 しかし、そう簡単に割り切れるだろうか。

「記事への反応のデータを少しでも頭に入れて、より世論に沿った線引きができる脳みそに仕上げたほうが良いだろ、頭ガッチガチ子だからな。どうせいつかまた炎上するんだし、ビビらずどんどんゴシップ記事あげればいい」
「今のも前者が良い批判で、後者が悪い批判だね」
「…………」
 2回傷ついている時点で、どちらも立派なパウ案件です。


 実はこれまで私は、記事のコメント欄をあまり見ないようにしていた。
 原因はただ1つ、春先の「信長の同級生」事件だ。致死量ほどの批判が寄せられたあの記事のコメント欄はトラウマになっていて、今でも夢の中で蘇っては飛び起きるほどだ。

 あれから3ヶ月。
 トラウマと向き合うのはまだ早い気もするが、仕事なのだからそうも言ってはいられない。私は一旦トップページの担当から外れ、芸能ページにて再び修行。ゴシップ記事をいくつか試してみた。

 芸能人夫婦の別居や有名人同士の確執、薬物使用、枕営業、整形、カツラなど、様々な疑惑がひしめき合う、ゴシップネタを中心としたメディア。ポケニューで取り扱っているのは四社と数は少ないが、それらの記事はどれも刺激的で異色の存在感を放っている。

 掲載すれば、やはりと言うべきか数字の伸びは良い。
 見出しのお尻に「?」や「○○か」と付けることで真偽のほどを曖昧にしているが、それでもユーザーを好奇心をしっかり掴んでいた。
 そうして玉木さんの指令通り、コメント欄を確認する。

 意外だったのは、想像していたよりも批判的なコメントが少ない点だ。前にオーランドさんが言っていた通り、噂話という前提を理解した上で楽しんでいる人も多い。
 好意的コメントに分類すべきかは定かでないが、おそらく登場する芸能人のことがそもそも嫌いなのだろう、記事を肯定した上で徹底的に攻撃する人もいる。それは正直、人としてどうかとは思う。
 では批判が少ないかと問われれば、もちろんそんなことはない。

「わっ、蒼井さん鼻血出てるよ!」
「えっ、うわわ、すみません」

 中村さんは慌ててティッシュ箱を手渡す。鮮血が滲んでいくティッシュペーパーを見て、中村さんは顔を青ざめさせていた。

「ど、どうしよう……医務室行く?」
「大丈夫です大丈夫です、たまにあるので。じっとしていれば治ります」

 中村さんは最後まで老婆心の塊のような顔をしていた。彼が温かな感情を表に出すたび、フーリガン時代の写真が脳をかすめるのは、私の最近の悪い癖である。

 それはそれとして。
 ゴシップ記事のコメント欄には、常に一定数の批判がある。どんな内容の記事でも大抵あるのは、「報道機関が噂話を載せるとは、けしからん」「芸能人のプライベートをなんだと思っているのか」など。ごもっともだ。
 中には鼻血が出るほどの人格攻撃もある。これがいわゆる悪い批判だろう。

 つまりはゴシップ記事とは、ドーピングなのだ。
 ひとたび掲載すればPV数をグンと伸ばす。しかしポケニューの信頼性に陰りを与える、という代償もある。一歩間違えれば「信長の同級生」事件の再来待ったなしだ。

 そんな諸刃の剣をどう扱うべきか。
 そこで必要になるのが「バランス感覚」だ。
 ゴシップの中にはあまりに現実味のないネタや、不謹慎なネタもある。それはまず何があっても使わない。あくまで噂話として面白さを担保しつつ不健全でありすぎないネタ。こんな微妙なボーダーラインを把握しなければならない。

 玉木さんが言っていた「線引きができる脳みそ」づくり、ある程度ゴシップ記事とコメント欄に触れたことで、やっとその意味が理解できた。
 なればこそ私は、鼻血を出してでも、ユーザーの忌憚なき意見を受け止めなければならない。すべては早番トップページ、昼の目標数値超えを達成するために。

      ***

 再び早番トップページを任されたその日の朝。
 電車内でSNSを開くとすぐに、とあるニュースがネット上を賑わせていることがわかった。

 サッカー選手の溝上拓海と元局アナの和谷美加が離婚。

 去年の国際大会で大活躍し、現在はドイツのクラブに所属する溝上は、スポーツに疎い私でも知っている有名選手だ。和谷も局アナ時代は人気アナウンサーランキングで3位を獲ったことがある人物。彼らの結婚が発表された時は大きな話題になった。
 それが結婚生活3年にも満たず離婚となれば、世間が騒がないわけがない。

「いやーびっくりびっくり。お似合いだと思ったんだけどねぇ」

 日本のサッカー事情にも詳しい中村さんは、職場で顔を合わせた途端にこう語った。
 列島がどよめく、ひと組の夫婦の終着点。溝上さんたちには大変申し訳ないが、それは私にとって大きな追い風に他ならない。

 果たして朝のピークタイムは、溝上と和谷の離婚の第一報記事が大反響を呼び、目標数値に余裕を持って到達。最高の滑り出しだ。
 しかし、幸先の良いスタートから右肩下がりで昼ピークは散々、という最悪の一日を私は経験している。改めて気を引き締めなければ。

 何か騒動が起こった時、ネットニュースにおける大まかな流れは決まっている。第一報の後にワイドショーの司会やコメンテーターの反応、ネットの反応を書き起こした記事、その後騒動を紐解く考察記事、そうして何も問題が発生しなければ収束していく。

 ちなみにそこで騒動の当事者がウソをつくなどの余計な行動、いらぬ発言をしてしまうと更に長引いてしまう。悲しきかなそんな人物を我々日本人は何人も見てきた。

 今回の離婚騒動は早朝に発表された為、朝のワイドショーでの発言やネットの反応は、昼前には使用しなければならない。古く感じてしまうからだ。

「蒼井さん、どう? 溝上関連の良い記事きた?」
「うーん、芳しくないですね……」
「たぶん記者たちも寝耳に水だったんだろうね、今回の離婚は。昼ピークまでに良質な考察記事が来るとは思わない方がいいね。昼のワイドショーもあるし、溝上関連は一度置いておいて、別のネタを探すべきかも。良い記事があったら教えるよ」

 中村さんの言う通り、一度頭を切り替えようとした、その時だ。
 ずらりと並ぶ配信記事の中から「溝上不倫?」との一文を見つけてしまった。言わずもがな、ゴシップネタを中心としているメディアからの記事だ。

 溝上は飛躍を遂げた国際大会以降、女癖が非常に悪くなり、結果和谷に見限られたことで離婚に発展。そう「関係者」が証言している内容。記事には先月撮られた、溝上を含めた男女複数人がはしゃいだ様子で繁華街を闊歩する写真も載っていた。

 信憑性という点では微妙だ。毎度のことながら「関係者」とは誰なのだ。写真もただの会食の帰りと言われればそれまでだ。
 ただSNSでは「関係者」同様、溝上の女性問題による離婚と予想する意見も多い。

 溝上は結婚する前に一度、派手な合コンの様子を写真週刊誌に撮られたことがあった。だが和谷と結ばれて以降は夫婦でのCM出演などで好感度を上げ、それまでのイメージを払拭。だが、人の醜態を絶対に忘れない人間というのは、けっこういるものだ。

『人はそう簡単に変わらない』

 溝上と会ったこともないだろうに、彼の不倫を予想するSNSの人々はこう評していた。

 このゴシップ記事は、使える。
 一部SNSの流れもこの記事に傾いている。写真に映る姿も、はっきり言って不誠実に見える。この状況ならトップページに掲載しても、批判地獄には陥らないはずだ。
 そして間違いなく、この記事は伸びる。
 いま列島が求めている情報は、離婚の原因だ。この記事はその可能性の一つを提示している。ユーザーのエモーションを加速させる、最高の起爆剤だ。

 そうして迎えた12時。世間の皆さまが休憩に入ると同時に、私は件の記事を掲載した。

 和谷との離婚 溝上に女性問題か

「今日はいけるよっ、蒼井さん!」

 開始十分で、中村さんが満面の笑みでこう言い放った。
 溝上不倫のゴシップ記事は大方の予想以上に大爆発。SNS上でもあっという間に拡散されていき、他の掲載記事と比べて異次元の伸びを記録している。

 他にも、つい先ほど昼のワイドショーのコメンテーターが溝上と和谷を痛烈にイジり、その書き起こし記事も上々。溝上ネタ以外にも、中村さんが見つけてくれたマンガの盗作疑惑をめぐる記事もグイグイ伸びていく。
 あとはここに堅めのネタが入れば、ラインナップのバランスも良くなるのだけれど。

「蒼井、11年前の事件の判決がいま出たらしい。すぐ記事来るだろうから、準備を……」
「超それです!」
「えっ」

 脳がヒートアップしているせいで、ついハジけた返答をしてしまった。玉木さんは怪訝な表情で「まぁがんばれ……」と露骨に心の距離を取る。
 玉木さんが薦めた判決記事も、ものの数分で配信されてきた。大きな波紋を呼んだ事件だけあって反応が良い。現状トップページに並んでいる9本のすべてが好調という、夢のような光景が広がっていた。

 熱くなっている頭が、胸にある高揚感の正体を突き止める。
 その時私は初めてこの職場が、愉快に感じていた。
 自身が情報の先頭にいること、そして自身の発信で多くの人がエモーションを感じていること。その事実に自覚すると、良い知れる快感が身体中を走った。

 昼のピークタイムも終盤だ。
 今までで最も忙しかった1時間、その終わりが刻一刻と近づいている。脳は疲労を感じ始めた。
 それでも、この時間が永遠に続けばいいと、そんな感情さえも生まれていた。

 時は過ぎて、14時前。
 出勤したオーランドさんは、疲労困憊の私を見て不思議そうに首を傾げていた。だがパソコンを起動し、本日の成績表を見た途端に目を見開く。

「蒼井ちゃん先輩っ、ついにやっちまいましたね!」
「問題を起こしたみたいに言わないでください……」
「いやーけっこうギリギリだよー、このゴシップ記事。燃えてもおかしくなかったよー。蒼井さんはポケニューの炎上姫だからなぁ」
「1回しか炎上してないのに変な肩書きやめてください中村さん!」
「いや、あのゴシップ記事はいい攻めだったぞ。コメント欄の反応も悪くないしな。おまえはこのままポケニューのゴシップ姫になれ」
「もちろん嫌ですからねっ、玉木さん!」

 その日、私はこのおかしな職場において初めて、一人前になれた気がした。

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