『ネットニュースで世界が良くなるわけがない』第6話

第6話「あの3人の世界には私なんて必要ないの!」

「蒼ちゃんセンパーイっ、金曜の夜空いてますー?」
「……っ」

 オーランドさんは出勤してすぐ、私のもとへ駆け寄ってきた。
 その声を聞いた直後、ブルっと身体に悪寒が走った。

「知り合いが読書カフェなるものをオープンしたらしくて、割引券もらったんすよー。なんで一緒に行きましょー蒼ちゃん先輩。たしか読書が趣味って言ってましたよね?」
「……私は」
「え、なんすか?」
「私は、読書が趣味ではないです」
「え? でもこの前、飲みに行った時に言ってませんでした?」
「私は飲みに行った時、読書が趣味とは言っていないです」
「なんか英語の教科書みたいな日本語になってますよー、どうしたんすかー?」

 怪訝な顔をするオーランドさんを尻目に、私は周囲を見渡します。
 ひとまず元井川さんらしき人物の姿、視線は確認できずひと安心。うまく断ったとはいえ、こんな場面を彼女に見られていたらどうなっていたか。
 あるいは誘いに乗って2人で読書カフェなど行こうものなら……想像しただけで怖気立つ。

「私は……あなたの存在を認めない」

 先日の元井川さんとのトイレでの会話は、くっきりと脳に刻まれている。
 私がオーランドさんの名前を出した途端、彼女は明らかに不愉快そうな態度をとった。そしてついには私という存在そのものを否定する発言まで飛び出した。

 ここまでヒントを与えられれば、イヤでも理解できる。
 元井川さんは、オーランドさんのファンなのだ。
 オーランドさんのキラキラしたオーラや全方位型コミュ力をもってすれば、遥か遠く校閲部署の女性を虜にすることなど容易いだろう。
 そんな彼女の王子様がぽっと出の新卒と仲良くしていれば、面白くないのは当然だ。
 つまり、ぽっと出の私は速やかに王子様から距離を取るべきなのだ。

 オーランドさんは良い人であり、ポケニュー部署の中では一番年が近いため会話も楽しかった。だが、いたしかたない。
 理由は、言わずもがな。

「蒼井さん、芸能カテの1枠、トップページに掲載するね」
「あ、はい。了解です」

 私と中村さんの会話に、オーランドさんも反応する。

「あ、あの声優同士の結婚、ついにここまできたんすねー」

 雛田のSNSでファン同士が場外乱闘

 私が掲載したこの見出しの記事は、トップページでもぐんぐんPV数を伸ばしていく。
 先日結婚した声優・雛田里香のSNS、そのコメント欄でファン同士が激しく言い争っている、という内容。

 結婚発表した当初は朗らかなニュースも多かったが、1週間ほど経った今では一部のファンらに関するネガティブな内容の記事が多く見られている。
 そんな現状に、オーランドさんが一言。

「いやぁ古今東西、ファンの暴走ってのは怖いっすねぇ」
「…………」

 そう、ファンの暴走は怖いのだ。

      ***

 それからも私は、極力オーランドさんと親しくなりすぎないように心がけた。
 そもそもオーランドさんは仕事中も食事中も、基本的に誰かと会話をしていたいタイプなので、相当に苦労した。
 食事の誘いを断るのも、会話を適当に聞き流すのも、オーランドさん相手では簡単でないのだ。

「えーなんでですかーーっ! 行きましょーよ一緒にーっ!」
「なんかノリ悪くないすかー? 僕の話つまんないすかー?」
「蒼ちゃん先輩、最近僕のこと避けてないすかーーっ? なんでなんでなんでーーーっ?」

 気づいたのだが、この人はコミュ強というより、ただ異常なまでに無邪気なだけではないだろうか。

 ひとつ幸いしたのは、私のシフトが朝番でほぼ固定されていた点だ。
 大学生のオーランドさんは夜番のみであるため、一緒にいるのは2~3時間ほど。
 それだけ接触する時間を短く抑えているため、何とかかわせているのだ。
 が、そんな平穏は突如として崩壊する。

「蒼井、おまえ来週は夜番な」
「ひぇ……」
「ひぇ、って……そんな声が出るほどか?」

 やってきた週1の面談。玉木さんと中村さんは私の反応に目を丸くした。

「大丈夫、蒼井さん? 何か問題があるの?」
「い、いえ大丈夫、です……いやもしかしたら大丈夫じゃない……いえやっぱり大丈夫です」
「葛藤が口から溢れ出てるじゃねえか。なんだ、どうした。オーランドにフラれたのか?」
「…………」
「玉木さん、POWどころじゃないですよ、それ。ハラスメントの数え役満ですよ」

 この編集長は一体どんな脳みそをしているのか。どんな思考回路をもってすれば、そんな予想に行き着くのか。

「あれ、蒼井とオーランドって付き合ってたんじゃなかったっけ?」
「いや、それは僕の勘違いだったって言ったじゃないですか」
「ああ、そうだっけ。すまんすまん」
「どれだけ私たちに興味がないんですか……。ていうか仮に付き合っていたとしても、さっきの発言は十分にハラスメント案件ですよ」

 そういえば数週間前、私とオーランドさんが付き合っている、なんてデマが流れていたこともあったな。主に中村さんのせいで。いま考えればなんて恐ろしい噂話だろう。

 閑話休題。私の来週からの夜番勤務は了承する他なかった。
 ファンの反感を買わないオーランドさんとの接し方を考えなければ。なんで私がこんなアイドルのマネージャーみたいなことを考えないといけないのか。

「それと、この前の会議で話した上からのお達し、覚えてるか? 好感度アップ大作戦(笑)」
「ポケニュー編集部の仕事の様子をSNSに投稿する件ですね」

 (笑)って。この人めちゃくちゃバカにしてますよー、上の人ー。

「その業務、ひとまず蒼井に担当してほしい」
「えっ、そうですか、私ですか」
「イヤそうだな。まぁ気持ちは分かる。クソ面倒くさいよな」
「いや写真を撮ること自体は良いんですけど……それ投稿すると、絶対に『おかしな』リプがつくじゃないですか。いちいちそれを確認するのが、辛いなぁと……」

 玉木さんも中村さんも「あぁ……」と妙に納得する。
 ポケニューのSNS運用は現在、基本的にはニュース記事の投稿のみだ。
 批判性のある記事の投稿ならともかく、動物などの何でもない癒し系投稿にさえ『おかしな』返信が飛んでくることが多々ある。SNSとは、魔境なのである。

「確かに、まだあの雰囲気に慣れていない人にはキツいですよ、玉木さん」

 同情する中村さん。珍しく玉木さんも同意見のようだ。

「まぁ一理あるな。分かった、ひとまず保留にしよう。もともと他のヤツにも聞いてみる予定だったしな」

 私のせいではあるが、なんだか微妙な空気のまま面談は終了した。


「うわー見てくださいよ蒼ちゃん先輩、この記事」
「え? あぁ……こうなっちゃうんですね……」

 迎えた夜番勤務。隣の席のオーランドさんが見せてきた記事に、私は苦笑する。
 いまだくすぶり続けている声優同士の結婚の話題。
 その2人が共演し、馴れ初めと噂されているアニメ『戦国プリンス歌劇団』のCDやグッズが、フリマサイトにて大量に転売されている、という内容の記事だ。

「こうやって当事者以外にも影響が及んでいくんですね」
「ホントに大変な商売っすねぇ、声優さんとかアイドルさんって」

 これくらいの会話なら問題ないだろう。と、考えながらオーランドさんとやり取りをするのにも慣れてきた。いつまで私は元井川さんの影に怯えなければならないのか。
 そもそも、多少仲良く会話していたとしても、元井川さん本人に見られなければ問題ないのではないか。
 オーランドさんは誰とでも距離を縮めて話すのだから、私だけ特別には見えないだろう。
 そう考えると、少しは心が軽くなった。

「少し気になったんですけど、アニメのファンの方々……『箱推し』でしたっけ? その人たちはなんで怒ってるんですか? 声優さんのファンが怒るのはともかくとして……」
「この『戦プ歌』ってアニメの主要キャラは、高本さんを含めた男性が多数で、女性は雛田さんが演じたヒロインただ1人なんですよ。つまり初期設定の時点で、ギリギリのバランスなわけです。そこでヒロインの声優と男性キャラの声優が結婚すれば、一気に世界観が崩壊しちゃうじゃないですか」
「でも、アニメのキャラと現実の声優は別じゃないですか」
「そう割り切れる人もいるでしょうけど、実際問題キビシーっすよ。この2人のキャラが会話してるシーンを見たら、イヤでも意識しちゃうじゃないすか」
「そっか、確かに……」
「まぁだからって、過激な行動に出るのは良くないっすけどね。中にはグッズを捨てる動画を投稿する人もいるみたいっすけど、そこまでするともうアニメに悪いイメージついちゃいますよね」

 ファンのネガティブな行動がそのままアイドルや声優のイメージへと繋がりかねない。
 ファンのあり方というものも、近年議論になりやすいテーマである。

「蒼ちゃん先輩はどうなんすか? アイドルとか」
「最近のアイドルはけっこう知っている方ですけど、ファンっていうほどじゃないですね。昔は女性シンガーソングライターのファンでしたけど」
「いやそうじゃなくて、アイドルになりたいとは思わなかったんですか?」
「ヘっ?」

 質問のベクトルが斜め上すぎて、ついオーランドさんを二度見してしまった。
 なんて不可思議な思考回路をお持ちなのだろう。今の話の流れでなぜそんな質問にいたるのか。

「思うわけないじゃないですか……」
「でも蒼ちゃん先輩の容姿って、なんかギリギリ手が届きそうな雰囲気じゃないですか。アイドルとかにちょうど良いと思うんすよ」
「……褒めてないですよね、それ」
「いやーめっちゃ褒めてるっしょ。僕だったら蒼ちゃん先輩のファンになっちゃうな~」
「何をおかしなことを……ん?」
 与太話をしていた最中、ふと、背後から視線を感じた。
「…………」
「ぎゃあっ!」

 振り向くとそこには、元井川さん。
 冷ややかな、とても冷ややかな目で私を見下ろしていた。
 心臓がバクンッとワンバウンドするほどの衝撃が走った。

「な、な、なんで……」
「……あちらの会議室で面談があったので。たまたま通りかかっただけです」
「そ、そう……」
「それでは、失礼しました」

 元井川さんは律儀に頭を下げ、去っていく。
 まっすぐに伸びる背中を見つめながら、私は必死に呼吸を整える。
 今の話、聞かれただろうか。けして本気にはしていないが、オーランドさんが私を褒めたことに変わりはない。元井川さんの目には、耳には、どう捉えられたのか。

「知り合いっすか?」

 当のオーランドさんが無邪気に聞いてきた。

「えっと、同期の人です。この前の研修で一緒になって……」
「へー、けっこう美人さんですねぇ。背筋がピンとしててカッコいいなぁ」
「はは……今度本人に言っておきますね」

 人の気も知らないで、このチャラチャラ男は。

「どこの部署の人なんすか? 見覚えがあるような、ないような……」
「えっと、それは……あ、すみません校閲からチャットが……」

 ディスプレイにポンッとポップアップが表示される。クリックするとそこには……。

「ひぇっ」
「え、どうしたんすか? またヤバいミスすか?」
「い、いえ……気にしないでください」

 元井川。差出人の欄にはそう書いてあった。
 つい数分前、いかがわしい場面を見せてしまった彼女からのメッセージ。恐る恐る開いてみる。

『見出し:山越徹が議員のロジハラ問題に苦言 問題点:山越徹さんは政治評論家でありタレントではないので、敬称をお願いします』

 つい安堵のため息が漏れる。中身はごく普通の指摘メッセージであった。
 私は指摘点を修正したのち、返信を送る。本来はここで校閲とのやり取りは終了する。
 が、なぜか元井川さんからもう一通、メッセージが届いた。

『余談ですが、私も信長さんのファンになってみたいものですね』
「…………」

 怖い。すごく怖い文章が届いた。
 やはり聞かれていた。そしてやはり、怒りを買ってしまった。もはや信長の同級生でもない、信長そのものになってしまった。
 次に目が合った時、殴りかかられるのではないだろうか、私。

「あ、僕にも校閲から指摘きましたわー。ひぇー、相変わらず元井川さんはキビシーなぁ」
「え?」
『見出し:浮間礼央が共演した田島の態度に激怒 問題点:浮間礼央はあくまで冗談半分で、怒ったフリをしているようです。なのでこの見出しはタイトル詐欺と取られる可能性があるため、修正お願いします』

 元井川さんによる理路整然とした主張が、オーランドさんに送られていた。
 そういえば、と私は違和感を覚える。

「……校閲の元井川さんって、オーランドさんにもけっこう厳しいですよね?」
「そうっすよー。僕に対してが一番厳しいんじゃないすかー?」

 そこへ、会議から玉木さんと中村さんが戻ってくる。中村さんはその流れで会話に入る。

「そんなことないだろー。元井川さんなら僕にだってキツめの注意を飛ばしてくるし」
「えぇっ、元フーリガンの中村さんにそんなマネしたら、元井川さんが大変な目に……」
「そうそう、昔の僕ならただじゃおかない……ってやかましいわ」

 オーランドさんによる執拗な元フーリガンいじりを、ノリツッコミに昇華するようになった中村さん。たくましい人である。

「玉木さんに対してもけっこう強めに来ますよね、元井川さんって」

 呼びかけられると玉木さんは「あー……」と考えたのち、答える。

「まぁ、元井川ってヤツが一番厳しい印象はあるな。ただ主張には一分の隙もないから、有能なんだろうとは思う。ていうかオーランドはリタイトルがきわど過ぎるんだよ」
「でも玉木さん的にはそんな僕が好きなんすよね?」
「ああ、おまえはそれで良いよ」
「いえーっ! ほら玉木さんっ、いえーっ!」
「うるせえ、しねえしねえハイタッチなんて。とっとと仕事しろ」

 玉木さんとオーランドさんが謎の信頼関係を見せつける中、私の頭にはひとつの疑問が渦巻いていた。
 なぜ元井川さんは、オーランドさんに嫌われるような指摘を送っているのか。
 仕事は仕事として割り切っているのか。でもそんな器用な人が、私にあんなストレートな敵意を向けるだろうか。
 もしくはネガティブな感情でも良いから、自分に意識を向けさせたいとか。
 もしそうなら、うまくいっていると言える。

「なんにせよ、一度でいいから会ってみたいっすねー、元井川さん」

 現にオーランドさんは、ここまで言っているのだから。

「……あ、そうだ」
「え、どうしたんすか蒼ちゃん先輩?」

 灯台下暗し、とはこのことだ。なぜ初めからこうしなかったのか。
 私は私の平穏を守るため、オーランドさんに魔法の一言を口にした。

「オーランドさん、実はさっきの人が、元井川さんなんですよ」

 驚きのあまり、あの饒舌なオーランドさんが数秒ほど、言葉を失っていた。

      ***

 翌日の夜7時ごろ。
 社内のカフェテラスに入ると、見覚えのある黒髪ロングの女性が入り口に背を向けて座っていた。

「元井川さん、お待たせ」
「……なんですか、急に呼び出し、て……」

 振り向いた元井川さんは、こちらをみた瞬間、ピタッと動きを停止した。
 それもそのはず、私の隣には、思いもよらぬ人物がいたのだから。

「どーもーっ、初めまして三田オーランドっす! ていうか初めましてじゃないっすよね! いつもお世話になってるっす、校閲の元井川さん!」

 オーランドさんはいつも通り、初対面でもパーリーピーポーで元井川さんに挨拶。これにはさすがの元井川さんも面食らっていた。
 初めからこの2人を引き合わせれば良かったのだ。
 オーランドファンの元井川さんと、校閲の元井川さんに会いたかったオーランドさん。奇跡の初対面である。

「…………」
「あ、あれ?」
 ただ元井川さんの反応は、予想したのとは異なるものだった。
 ここへ呼び出してサプライズで会わせたため、初めこそ驚いていた。しかしその後は特に変わった様子はない。平静そのものである。
 ファンならばアイドルの突然の登場には、動揺を隠せないはずだ。泣き喚き興奮するのではないのか。
 なのに元井川さん、なぜにあなたは能面ヅラ?

「いやー一度会いたかったんですよー、元井川さんと」
「そうですか」
「元井川さん、ちょっと僕に厳しすぎないすかー?」
「いえ、私はあくまで表記ルールに則り、見出しの誤りや不備を指摘しているだけです。厳しすぎると感じるのは、三田さんのミスが多いからではないですか?」
「ひぇーやっぱキビシーっ! あ、三田じゃなくてオーランドでいいっすよ!」
「いえ、三田さんで大丈夫です」
「えー。じゃあ僕は元井川さんのこと、もっちーって呼んでいいですか?」
「お好きにどうぞ」

 その後もオーランドさんと元井川さんの会話は、まるでチャットそのもの。
 元井川さんはひとつひとつキチンと応えるものの、そこに親しみやすさはない。ましてオーランドさんのファンだとはまったく思えない態度だった。

「それでは、私この後もあるので」
「おっすおっす、いやー実際に話せてよかったっすー。今度飲みに行きましょ!」
「あ、ありがとう元井川さん、また今度ね」

 元井川さんの姿がエレベーターホールの方へ消えていくと、オーランドさんは笑顔で一言。

「いやぁ、想像通りの人でしたねー元井川さん! メガネもかけてたし!」
「そ、そうですね」
「蒼ちゃん先輩と同い年とは思えないほど落ち着いてましたねぇ。楽しかったぁ」
「あ、そうですか。意外です」
「はい! あのつれない感じイイっすね! お堅いのもあそこまで突き抜けると好きっす!」
「それは良かったですねぇ」

 オーランドさんはお気に召したらしいが、私からするとどうにも消化不良だ。
 オーランドさんと夢の対談を実現することで元井川さんからの敵意を和らげようとしたつもりが、当の元井川さんがあまり嬉しそうではなかった。
 もしかして、オーランドさんのファンというのも私の勘違いなのだろうか。

「……ん?」

 不意にスマホが振動。社内PCと連動しているチャットアプリだ。
 差出人は、元井川さん。

『あす、同じ時間。会社の前のカフェに来なさい』
「…………」

 私にお礼がしたいのかなぁ、なんて曲解を許さないほどの怒気が、文面から滲み出ていた。

      ***

 翌日は朝から何事にも集中できなかった。
 きょう、私は元井川さんに何を言われるのか。何をされるのか。腹に漫画雑誌を仕込んでおくべきか。

 そもそもオーランドさんのファンではなかったのか。ではなぜ私は敵視されているのか。
 もはや私には何も分からなかった。
 そうして迎えた約束の時間。休憩に入った瞬間、運用から抜け出してエレベーターホールへ向かう。
 指定されたカフェに着き、昨日と同様、彼女の後ろ姿を発見する。

「お、お待たせ元井川さん……」
「ええ、どうそ座って」

 注文を終えると、元井川さんはしばし沈黙。私は彼女の一言目を待つ。
 まずなぜ社外のカフェなのか。社内では憚られるような行動に出ようというのか。

「……昨日のは、何?」

 突然、元井川さんが口を開く。そんな第一声に、私は慌てて答えた。

「え、えっと、オーランドさんが元井川さんに会いたいって言ってたから……」
「なんで、私に何も言わず連れてきたの?」
「それは……元井川さんが喜ぶかなって」
「なんで?」

 質問に答えてもノータイムでさらなる追及が待っている。こんな怖いことがあるか。
 もはや隠しても意味ないと、私は素直に白状した。

「元井川さんが、その……オーランドさんに気があって、一緒に仕事している私が鬱陶しいのかと。だからオーランドさんと会わせれば、少しは敵意を緩めてくれるかなって思って……」
「…………」

 元井川さんは沈黙。メガネの奥の大きな瞳がじっと、見定めるように私を見つめる。
 そうしてひとつため息をつき、口を開いた。

「……余計なお節介ね。私が三田さんを特別意識しているわけがないでしょう」
「え、そうなの……?」
「そうよ。あんなミスが多くて、ユーザーを煽るような見出しばかり考える人。アルバイトとはいえ、遊び半分でやっているのが見え見えなのよ」

 実に校閲社員らしい見解である。
 元井川さんは最後に一言残し、去ろうとする。

「とにかく、今後あんな不意打ちみたいなことはしないで。それでは……」

 ただひとつ、気になる点があった。

「オーランドさんがアルバイトって、なんで知ってるの?」

 ピタッと、元井川さんの動きが止まる。
 オーランドさんは金髪で恰好はいかにも学生っぽい雰囲気ではあるが、ITベンチャーにはそんな容姿の社員はざらにいる。
 ポケニューの内部事情を知らなければ、オーランドさんが学生バイトだと普通は思わないはずだ。

「……それは、ほら。あの人の噂はイヤでも耳に入ってくるから……」

 急に歯切れが悪くなった元井川さん。先ほどまであんなにハキハキ話していたのに。

「でも最初に会ったとき、トイレで私に怒ったでしょ。オーランドさんを下の名前で読んだ時。私の存在を認めないって」
「それは……感情が高ぶったから……」
「なんで高ぶったの?」
「あ、あなたが『信長の同級生事件』みたいなくだらないミスをしたからっ、その時からずっとムカついていたのよ。三田さんは関係ないわ」
「…………」

 怪しい。玉木さんをして主張に一分の隙もないと言わしめた元井川さんの発言から、明らかに整合性が失われている。
 絶対に何か裏がある。私は休む間も与えず追及していく。

「ウソだよ。元井川さん、本当はオーランドさんのファンなんでしょ?」
「ファンって……そんなわけないでしょ。あの人はアイドルでも何でもないじゃない」
「でも前にオーランドさんと中村さんと飲みに行った時、本人が言ってたよ。ファンみたいな存在がいるって」
「……それは知らないけど、とにかく私はそんなのじゃないから。もう行きますね」
「待って、絶対におかしい。さっきから主張が全然元井川さんらしくないよ。あの皮肉屋の天邪鬼な玉木さんですら『有能』って言っていたのに……」

 私はこれでもかと追い詰めていく。
 すると次の瞬間、彼女から思いもよらぬ発言が飛び出した。

「玉木氏と中村氏の名前まで出すなしッ!」
「ッ!?」

 何かしらのスイッチが入ったらしい。
 元井川さんはその発言の後、はっと我に返った。

「……氏?」
「いや……今のは何でも……」
「玉木さんと中村さんが、なんで……?」

 その時、私の頭に浮かんだのは、先日のオーランドさんとの会話。
 結婚発表した声優をめぐる、女性向けアニメの話題だ。
『戦プ歌』のファンが憤慨した理由。キャラクターの相関図。ヒロインの立場。
 私の思考が、ひとつの可能性に行き着いた。

「元井川さんって、もしかして……」
「な、なに……?」
「ポケニュー編集部の『箱推し』?」
「…………」

 押し黙った。かと思いきや徐々にその目は鋭く、憎しみの色を帯びていく。まるで漫画のように、ギリッと歯さえ鳴らしている。
 そして元井川さんが放ったのは、魂の叫びだ。

「あなたさえいなければ……ポケニューは楽園だったんだ……っ!」

 私さえいなければ、ポケニューは楽園だったらしいです。


 元井川さんがポケニューの魅力を知ったのは2年前、オーランドさんがポケニューに入ってすぐの頃だったという。
 彼女はポツポツと語り始めた。

「会議とか面談で会議室に向かう時、必ずポケニュー編集部の横を通るの。だから玉木氏とか中村氏の端麗さは前々から知っていた」
「端麗……」
「そこに三田氏というキラキラ無邪気系ボクっ子が加わったことで、最高の三角関係が完成した。絵画のように美しいトライアングルがこの世界に現れたの」
「…………」

 言うまでもないが、これは元井川さんの脳内で繰り広げられていたフィクションである。

「こっそりポケニューの横を通って、至高のトライアングルを観察するのが唯一の楽しみだった。なのに突然……邪魔者が現れたの。みずみずしい新卒女子という、目障りな存在がね!」

 つまりはそれが私。だから私がオーランドさんらと仲良くしているのが許せなかった。
 彼女の世界では、私の存在は認められなかった。
 不条理が過ぎるというものだ。

「で、でも私以外にも女性社員はいるよ? なのになんで私だけ……」
「あなたはその新卒という立場を利用して、中村さんを教育係に仕立て上げ、独り占めしたでしょう」
「いや私が仕立て上げたわけじゃないけど」
「玉木さんの極上の嫌味も存分に浴びて」
「代われるものなら代わってほしいんだけど」
「何よりオーランドさんと付き合ってるなんて噂まで流して!」
「だからそれも私主導じゃないって! 理不尽にも程があるわ!」

 沼に沈みきったファンは、ここまで思い込みが激しくなってしまうようだ。
 私からしたら迷惑でしかない。

「そんなに私のことが邪魔で、あの3人をじっくり観察したいなら、普通に声をかけて仲良くなれば良かったじゃん。普段からチャットで繋がってるんだし」
「分かってないな! あの3人の世界には私なんて必要ないの!」
「えぇ……」
「だから私は校閲としてあの3人に憎まれるポジションを選んだの! 私という共通の敵を作ることで、3人の絆を深めようとしたの!」
「えええぇ……」

 だから校閲の中でも人一倍、私たちに厳しく指摘していたのか。特にオーランドさんに対して。

「昨日は本当に余計なことをしてくれたわ……キラキラしてる三田氏を前に、顔がにやけそうになるのを必死で堪えていたのよ。私はヒールでいなければいけないから」

 すさまじい自己犠牲である。
 たとえ嫌われても、守りたい関係性があったのだ。

「本当にもう……あなたが現れた4月から、もう精神のバランスがめちゃくちゃよ。どうしてくれるの」
「そんなこと言われても……」
「これからもあなたを見かけるたび、ありったけの殺意を投げかけるからね」
「すごいイヤだ、そんなの……」

 とんでもなく理不尽な主張だが、このままでは常に元井川さんの殺意に怯えて生活しなければならない。
 どうにかできないものか。
 元井川さんの精神の安定のため『楽園』に住む私にできること、とは。

「……あっ、そうだ」

 ひとつ、呪いを回避できそうなアイデアが浮かぶ。
 私は改めて、元井川さんへ尋ねた。

「あの3人の『ありのままの姿』を、見られれば良いんだよね?」

      ***

 玉木さんの2人きりでの面談にも、ぼちぼち慣れてきた。
 それはつまり、嫌味に慣れてきたのと同義である。

「まーだ堅いんだよなぁ見出しが。今週もオーランドの隣で国内・芸能カテ運用してたんだろ?」
「はい、すみません」
「オーランドの大胆さが少しはおまえに移って、おまえの堅さが少しはオーランドに移ればと思って夜番にしたんだがなぁ。大して変わらねえじゃん。強情かよおまえら」
「ウイルスじゃないんで、そう簡単に移らないかと」

 いつも通りの皮肉な言葉を、いつも通りヘコヘコ頷いて聞き、面談は終了した。
 お互いに席を立とうとした瞬間、玉木さんが思い出したように言う。

「あ、そういえば。好感度アップ大作戦(笑)だけど……」

 SNSにポケニュー編集部の仕事中の様子を投稿する、という企画のことだ。もはや玉木さんの中ではそんな名前で定着しているらしい。

「おまえの撮った写真、地味に反響があるらしいな。上も喜んでたぞ」
「主に中村さんとオーランドさんのおかげでしょうね。中村さんは顔出さなくても清潔感が伝わるようで、オーランドさんなんて後ろ姿でもオーラが隠しきれないみたいで、2人ともファンがつき始めてますよ」

 初めは批判的なリプがわんさかくるだろうと身構えていたが、蓋を開ければ『楽園』の住民の2人のおかげで好評だった。

「でも意外だったな。アレだけ嫌がっていたおまえが、急にやりたいと言い出すなんて。どんな心境の変化があったんだ?」
「……まぁ、私が一番新人ですし、担当すべきかなと。やってみたら意外と楽しいですよ。ポケニュー編集部の写真をいっぱい撮れて……」

 玉木さんは「ふーん」と納得しているようなしていないような反応。
 そうして改めて、面談は終了した。

 自分の席に戻ると、私はひとつ安堵のため息。
 そしてこっそりと、スマホを操作。本日、好感度アップ大作戦と称して撮ったポケニュー編集部の写真を、とある人物へ転送する。
 返事は秒で返ってきた。短く、一言。

『ごくろう』

 まさか言えるわけがないだろう。
 私が撮った『楽園』の写真を、我が身かわいさゆえ、箱推しファンに横流ししているなんて。

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