心配無用


庭先に、植木鉢を三つ並べてある

母が、チューリップの球根を三つくれて全部同じ日に植えて、毎日水を絶やさないようにした。

そしてもし芽が顔を出してきたら、冬の間は藁をかけてあげるとよいというので朝のたびに息子と観察していて、

二つは芽が出てきたが、真ん中の鉢だけが一週間、二週間経っても芽が出ない。腐ってしまったのか?植える時に球根が傾いたか?など色々考えて心配になり、息子がいないときに少しだけ土をほじってみたら、芽が出てきていた!

土はかぶせ直して、出てくるのを待つ。

のだけど、

なんだか、信じてあげればよかったなぁと思ってしまった

発達具合が心配な息子に重ね合わせてしまった気がする。

息子は息子のペースで成長しているというのに

もし芽が出なかったとしても、それはその球根の運命なのだから受け入れればよかったのに

など、思った。

話は少し変わるけど、「多様性を認める」という言葉が少し苦手

語感として「認める」側が、上にいる気がして。

認める側ってずっと認める側にいる気がして。

お前はすべてにおいて完璧なのか?みたいな。

別に、認めなくてもよいんだ。すべて受け入れなくても。

ただ、「耳を傾ける」「知る」ことはとても大事なのだ。