豚箱入り娘
捕らわれたスパイほど惨めなものはない。
今、鉄格子の檻の中、一人の女が拷問を受けている。
「目的は何だ?」
詰問が耳朶を打ち、間髪入れずに鞭が跳ねるように舞っては背中を打つ。
反射的に鼻孔が広がり、絞め殺された雌鶏みたいな悲鳴が漏れた。
嘘でしょ、これが私の声?
気が触れそうな痛みにわななく口の端から血混じりの泡が噴き出る。
捕らわれた間抜けなスパイ、それは私だった。
簡単な任務と使いに出されたのは敵地の大要塞。
その道半ば、権謀術数が如く張り巡らされた罠と監視装置と兵隊の目を掻い潜るのが簡単な筈ないが、それでも私は目的地に至った。
「答えろ」
掴まれた頭を無理やり塩水の張ったドラム缶にぶち込まれる。
塩揉みされた傷口が一斉に自己主張を始め、私は水中でバグったボブルヘッドみたいに頭を振り続けた。
「もしもの時は奥歯の仕込み毒で自害しろ」
お前の為でもある、と言った上司に心の中で中指を立てたことを今になって後悔した。
毒入りカプセルは自宅待機中。毒って苦しそうだし嫌、なんて思った当時の自分を毒殺してやりたい。
水面から顔を引き起こされる。
久しぶりの空気を目一杯吸い込もうとして激しくえずいた。
生まれたての小鹿のように体はガクガク震えたが、拷問官の母性にはちっとも刺さらないらしい。
頬を伝うのが塩水なのか、涙なのかもわからない。
もう無理。限界。
諦めて吐露してしまおう。
だが待って。何かおかしい。
目的は超小型爆弾でこの要塞を跡形もなく吹っ飛ばすこと。
そしてそれを私は逮捕直前、胃の中に隠した。
スパイたるもの胃の中の物を自在に出し入れ出来て一人前。まさかの時の身体検査を免れる為にも習得は必須であり、在りし日の私はひねもすゲロ塗れになった。
しかし、その極めて繊細な均衡は激しい拷問によって崩れた。
人心地付いた今ならわかる。
間違いない。
爆弾は胃にない。
私は恐る恐る尋ねた。
「トイレ行かせてください」
「駄目だ」
起爆まで残り一時間。
【続く】
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