見出し画像

エビは時空を超えない

私が学生の頃好きで毎日のように食べていた冷凍エビピラフが突然(15年の時を経て?)実家から送られて来たのでお昼に少しずつ解凍して食べていたのだけど、今日ついにそれが底を尽きた。何に驚いたかって、待てど暮らせどエビが出て来ず、でもまさかそんな筈はない、パッケージにはでかでかと「エビピラフ」って書いてあるし、明日に期待しよう、明日こそは、と思いながら食べていたのだけど、ついぞエビは姿を現さなかった。エビピラフが時空を超えるとエビは消滅するのかな。

最近美術関連の入門書のようなものを何冊か読んだ。昔からなんとなく美術に関して疑問に思っていたことがあって、家で暇なので調べていたら美術史に興味が出て来て本を読み始めたのだけど、今となってはきっかけの方はもう割とどうでもよくて、美術の歴史や当時の芸術家の境遇なんかを知ることが単純に楽しい。有名すぎるような絵も、当時の文化や政治事情や作品ができた経緯を知ってから改めて見ると違って見える。

高階秀爾さんが美術史の意義を語ったお話の中で、ある美術史家が「千夜一夜物語」を例に説明しているというのがあった。「盗賊があとでアリババを襲おうと、アリババの家の扉に目印をつけた。それを秘かに見ていたアリババの小間使いが、その目印を消すのでなく、同じ印を周囲の家々にも付けた。後で戻って来た盗賊はどれが目的の家か分からず、アリババは難を逃れた。ここでの目印というのが作品と同じで、つまり作品はそのままであるにも関わらず、周囲の状況によって意味や役割が違ってくる。」

作品そのものだけでなく、政治的事情や思想や心理や、およそ美術と関係のなさそうな知識が美術の理解を変えるというようなお話だと思うのだが、私はこの話がとても気に入って、その日は寝る前に何度も「いいな〜」と反芻した。

私はこの「知ることによって違って見える」のが堪らなく好きで、小学校で星座の授業があった日の夜、家のベランダに出て見上げた夜空が恐ろしく大きく見えた感覚が今も忘れられない。世界を変えるのは知識だ。

歴史と宗教にめっぽう疎いので、「美術史入門」だとか「初心者にも分かる西洋美術の見方」だとかそういう本を読んでは俄かな知識を得て目から鱗を落としまくって、今私の小さな世界は美術を通して少しずつ彩色が施されているようである。

何かに興味を持つと軽率に何冊も本を買う癖があるので明日も明後日も美術関連の本が届く予定だけど、それらを読んだ頃にまた美術館に行って、きっと少しだけ違って見える世界を楽しんでみたいと思う。近い将来、小さい絵を買ってみるのもいい気がしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?