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アメリカで出生前診断を受けて妊娠中絶した話

※妊娠中絶の経験談のため、不快感のある方は読まないことを推奨します
※2023年春時点での情報に基づいて記載しています

掲題の通り、アメリカで出生前診断(NIPT、絨毛検査、羊水検査のフルコース)を受けました。
結果、胎児にターナー症候群のモザイクが見つかり中期妊娠中絶をしました。

かなり苦悩した上での判断でしたし、正解というものは存在しないと思います。
私自身、検査や病気について調べていたときに情報のなさに困惑したので、どなたかの一助になれば良いかと思ってノートを残します。
心の整理と備忘も兼ねているので散らかった文章になるかもしれませんがご容赦ください。

【状況】
・夫婦ともに29歳
・初の妊娠
・夫の駐在に伴い、配偶者VISAで渡米
・United Health Careの保険に加入
・かかりつけ医は日本人

【妊娠と初診】
1月の終わりに妊娠が発覚しました。
高温期が終わらず、ピンクのおりものが出て発熱し、3日ほど味覚嗅覚が狂って以来吐き気が続く…という妊娠のサインのオンパレードの後に整理予定日を過ぎても生理が来ないというフルコンボ。
ドラッグストアでClearBlueという妊娠検査薬を使用したところ案の定陽性だったため、日本人医師がいる産婦人科に連絡して1週間後に初診の予約を取り付けました。

最初に医師から問診を受けた時に「6人に1人は流産しますから…」と不穏なことを言われました。あまり期待させすぎないようにしようという配慮かと思いますが、ドキリとしました。
その後尿検査と採血をしてから診察室に移動して経膣エコーで胎児を確認。心拍を確認したときにはじめて「おめでとうございます」と言われました。おそらくこの時が妊娠期間中で1番幸せだったと思います。
仕事の都合で夫を連れて行けなかったので、医師からエコーの動画を撮って良いと言われました。小さな一頭身の赤ちゃんの心臓の部分がピコピコ動いていて、まだ何の生き物かもわからないような姿でしたが強烈に可愛いと思いました。
赤ちゃんのサイズから出産予定日を予測してもらい、この日は妊娠7w6dと予測。

先生から「アメリカではメジャーですし保険も使えますから、NIPTをしましょう」と言われて、深く考えずに賛成しました。性別も早く知りたいし、安心できるかと思ってのことです。
NIPTができるのは妊娠10週からなので、約3週間後に予約をして、エコー写真や書類などを渡されて帰りました。

【余談:家族性地中海熱の因子発見】
初診から2週間後、病院から電話がありました。
「血液検査の結果、遺伝疾患の因子が見つかりました。大した病気ではありませんし旦那さんも同じ病気の遺伝を持っていなければ大丈夫です。旦那さんの血液検査がしたいので、次回診察時に一緒に来てください」とのことでした。
とても驚いて不安になりました。
詳しく聞いたところ、私は「家族性地中海熱」というものの保因者だったようです。(詳しくは上記リンク先参照)
劣性遺伝(潜性遺伝)の病気のため、私は保因者ではありますが無症状です。もし夫も保因者の場合、子は1/4の確率で発症します。
結果的に夫は保因者ではなかったので問題ありませんでした…が、いずれにせよ私の子は1/2の確率で保因者にはなるため、留意が必要になります。

【NIPT】
10w3dでエコーを確認し、NIPTのための採血をしました。2週間以内に結果が出るとのこと。
この時点ではまだ親に妊娠の報告はしていませんでした。アメリカでの妊娠ということもあり、心配させる時間を短くしたかったのでなるべく安定期が近づいてから…NIPTで性別がわかってからにしようかな、と思っていました。今思うと英断です。
検査から12日後、12w0dでお昼過ぎに医師から電話がありました。ターナー症候群が陽性とのことでした。
頭からザッと血が引くのを感じました。「モザイクなどもありますから…羊水検査をするには待たないといけないですから、絨毛検査を受けるのが良いと思います」と言われました。この時はまだ検査内容について知識がなく、言われるがままに絨毛検査を受けることになりました。
絨毛検査はかかりつけ医の病院では受けられないそうで、近所の大きな病院のアポを取ってくれるとのことでした。同日の夕方に再度電話があり、明日絨毛検査をしてくれることになりました。検査前には遺伝子カウンセラーとのビデオ通話があります。
ありがたいことにスピーディーな対応でしたが、あまりにも予想外だったため必死に情報収集をして1日が過ぎていきました。

【絨毛検査】
電話があった日の翌日午前中、自宅にて遺伝子カウンセラーとビデオ通話をして絨毛検査ターナー症候群について説明を受けました。(詳しくは上記リンク先参照)

◎概要
・絨毛検査:胎盤の一部である絨毛を採取して培養する検査。羊水検査が妊娠15週〜可能なのに対して10〜13週で受けることができる。
・ターナー症候群:性染色体が一般的な女性ではXXになるところ、Xが1つ欠損してXになっている疾患。低身長、不妊、たまに心疾患などが症状として出る。

カウンセラーは私たちの知識を確認、補填した上で「NIPTはあくまで13,18,21トリソミーを発見するためのもので、ターナー症候群については精度が低くなるから悲観しすぎずに…」と慰めてくれました。

午後に病院に行き、まずは夫婦とも採血。看護師いわく「両親の血液をパズルのピースのように確認するのよ」とのことです。
診察室に入ってまずはエコーを確認しました。胎児の全長、首の後ろの厚み(NT: Nuchal Translucency)を測って、血流を確認。胎盤の位置も確認しているようです。エコーの精度が高くてハッキリと見えました。

そこから医師が入ってきていよいよ検体採取…なのですが、これが今回経験した諸々の中で1番痛かった。
仰向けに寝かされてから消毒液をお腹一帯に塗りたくり、下腹部のあたりを指でトントンしながらエコーを確認しています。医師が「動かないでね」というようなことを言いました。この時点で少し嫌な予感がしたのですが…まさかの無麻酔でブッスリ。(日本では麻酔するらしいです)
この時点で「ウッ」と声が漏れたのですが、この針がさらに奥へ奥へと刺さっていきます…(いくつか膜を突き通る感覚が)
そして目的地に達したらなぜかピストン運動!(検体採取のために少し組織破壊が必要らしいです)
痛みには強い方だと自負していましたが、どうしても悲鳴が漏れる…針が刺さってますし動いてはいけないことはわかってますが、足に力が入って硬直、すぐ横で手を握ってくれていた夫の手に私の爪がめり込みました。
時間としては1分くらい?とは思いますがようやく針が抜かれて、ペチリと絆創膏が貼られました。すぐにエコーで胎児を確認。無事に心拍を聞いたので診察終了です。
しばし放心していましたが看護師たちはどうということはない様子で、「サッサと回復して出ておいき」という雰囲気でした。刺されたお腹はズキズキ、冷や汗ダラダラ、子鹿のように震える脚で夫に支えられてフラフラと退室しました。

【結果待ち、判断基準について】
検査の結果が出るまでは現実味がなく、どこかで「きっと何かの間違いだ」と思っていました。「検査は痛かったけどこれで安心できるはず…」と自分に言い聞かせて、不安で吐きそうな気持ちを宥めていました。
これから結果が出たら次々に判断を要することが増えると思ったので、数日の間でポツポツと夫と考えを共有していました。
子が正常であれば何の問題もありませんが、もしも病気があったらどうする?諦めるとしたらそれはどこで線引きをするのか?
夫と共通していたのは「子が幸せな一生を送れるのかどうか」で判断するということでした。私たち親はきっと子より長生きできません。だからこそ子が自立して、私たちなしでも幸せに生きられるのかどうか…。

ターナー症候群はほぼほぼ不妊です。これが私にとっては1番のネックでした。
他の症状はどうにかできると思っていました。低身長でも、身体的特徴があっても、それは些細なことだと感じています。心疾患のリスクは怖いですが、出生前に知っていれば注意深く観察して必要に応じて迅速に医療ケアをすれば解決できると思います。
ただ不妊は…。ターナー症候群だけではなく色んな経緯で子を持てない人がいることも、その人たちもそれぞれ幸せに生きていることも知っています。それを理由に生を受けられないのは残酷だとも思います。
でも、私は今ものすごくこの子を産みたいと思っています。夫との子が欲しいと思っています。昔から子が欲しいとは思っていましたが、夫と出会って結婚して、その気持ちはとても強くなりました。「この人との子が欲しい」と思うのは衝動的とも言えるほど強い気持ちです。
「この願いを、この子には叶えてあげられないのか?」というのがとても受け入れがたかったのです。
私は至って普通の平和な家庭で育ちました。自分の家が好きだったから、自分にも家族が欲しかった。これから夫と一緒に、良い家庭を作る気でいます。その家庭で育った娘は、私と同じように家庭を望むのでは?それが得られないのはどんな苦しみでしょうか。
「自分には子供ができない」と知ったら、どう感じるのでしょうか。思春期に周りの女の子たちはどんどん大人の体になっていくのに、自分には二次性徴が来ない。好きな人ができたときに身を引こうとしてしまうのではないか。結婚できたとしても子ができない負い目があるのではないか。子がいない、後の世代ができないまま親の世代を見送るのはとても寂しいのではないか、夫に先立たれたら孤独に死んでいくのだろうか…考えれば考えるほど、悲しみ苦しみが多い人生にしてしまうのではないかと思えました。生まれないとそもそも無です。それと比べてどちらが良いのか考えるのは、とても難しく…
でも、子が散々苦しむのをずっと見るより、今私が苦しむだけで済ませる方がまだマシなのではないかと思うようになってきました。
不妊なのであれば、産まない。私の気持ちはそういう形になってきました。

夫は同様の結論にすぐに達していたようでした。私が散々悩んでいたので、私が流されないようにしばらく黙っていたようです。
ターナー症候群はそもそも流産になる確率がとても高いです。夫としては母体保護のためにも、ターナー症候群なのであれば早いうちに、少しでも母体の負担が少ないうちに…という考えもあったようです。

【絨毛検査の結果】
検査から週末を挟んで4日後、速報の結果が来ました。結果は「モザイク」。確定結果は数日後に来るものの、おそらく同じ結果になるだろうとのことです。確定結果は4日後、13w2dの日に来ました。やはり「モザイク」で、リングXも見受けられるとのことです。
難しい用語が飛び交い大混乱しました。
モザイクというのは、異常のある染色体と、正常な染色体が入り混じっていること。確定結果では全体の75%の細胞が異常な染色体を持っていたそうです。
リングXというのは染色体の形状の異変で、知的障害が起こる可能性があるとのこと。

もう頭がぐちゃぐちゃで、わんぎゃん泣きました。泣くのを我慢しようとして嗚咽を殺そうとしたら呼吸も止まってしまって、夫に「泣いていいから呼吸して」と言われてから堰を切ったように顔から出る液体が全部押し寄せてきました。「なんで、どうして、いやだ」とワンワン泣きました。体力の限り泣いて、泣いて騒いで疲れ果てて消沈しました。大声で泣くなんて物心ついていらい初めてで、通報されるかもしれないとも思いましたがさすが大らかな国アメリカ、大丈夫でした。

【羊水検査】
絨毛検査では胎盤の組織を検体としています。
しかし「胎盤性モザイク」という現象があり、モザイク(染色体の異常)が胎盤のみに留まっていて、胎児には問題がない場合があります。
そのため絨毛検査でモザイクだった場合はさらに羊水検査をする必要があります。
羊水検査は15週以降で可能になり、私は15w2dで受けました。

かかりつけ医の病院で検査が可能だということなので、まずエコーで胎児の位置を確認します。偶然子宮内の端に寄ってくれていて、空気の読める偉い子だと思いました。
胎盤性モザイクはとても稀な現象なので、正直私はほぼ望みを失っており、エコーで胎児を見た時はすでに涙腺が決壊寸前でした。
またしてもお腹をかなり広範囲で消毒され、下腹部にプスリ…絨毛検査よりかなり針が細く感じました。でもやはり深くまで刺さってくる。呻き声は出てしまうけど耐えられる痛み…と思ったのですが、ついつい先生が確認しているエコー画面を見てボロ泣きしてしまいました。
呼吸が乱れて針が胎児に刺さっては大変と思い、嗚咽を殺そうとすると息が止まり、サポートに入ってくれていた医師に「Breath!」と言われながらマスクを外されました。過呼吸か何かだと思われたようですが…問題児で申し訳ない限りです。
結構な量の羊水を採取され、絆創膏も貼られずに検査終了。「羊水が減って居心地が悪くなってたらごめんよ」と思いました。

【羊水検査の結果】
検査から6日後、16w1dで速報結果が来ました。結果はやはりモザイク。胎盤性モザイクではありせんでした。
子がモザイクの場合、どうなるのかを医師に確認しました。
モザイクの部分がどこに出るかによって発現が異なるそうです。流産を免れるかどうかも、モザイクは症例が少ないからよくわからないようです。つまり、確定的なことはほぼ何もない。余計に私の頭はぐちゃぐちゃになりました。
16w0dで一度だけ胎動を感じたように思いました。この子に会いたい、産みたい。自分と夫の娘、この子を死なせたくない。気持ちはそれでいっぱいです。
でも理性では75%もモザイクで、母子共に無事に産めるかわからない、知的障害が出たら余計に産まれても幸せにしてあげられないのではないか…という葛藤で混乱していました。
でも「産みたい」と強く思えば思うほど、「娘が同様に産みたいと思うであろう気持ちを無視するのか」という理性が産むことを否定しました。
夫も産まないという立場で、確定結果が出次第に中絶をする方向で話が進みました。

確定結果が出たのはその4日後、16w5dのことでした。結果が出るまで本当にドン底の気持ちで、泣いて騒いでは疲れ果てて眠るを繰り返しつつ、「せめて最後まで居心地の良いお腹でいてあげたい」という気持ちで外を歩いたりしていました。
外はちょうど桜が満開で、夫と一緒に写真を撮りました。普段は写真を撮らない夫婦ですが、今撮らないとお腹にこの子がいる写真がないということに気がつきました。せめてこの子のことを一片も忘れたくない、記憶に残したいという気持ちで必死に撮影しました。

【中絶前の処置】
最終的な検査結果が出た16w5dの日、当日の夕方に前処置を行って、翌日に中絶の手術ができるという段取りをしていただきました。
病院の前に検査機関に寄って血液検査を受けて(手術前に必要らしいです)、病院に行きました。
改めて羊水検査の結果を対面で伝えられて、中絶手術について説明を受けて、前処置という流れです。

処置前に薬を飲むかどうか聞かれました。妊娠継続ホルモンを止める薬です。つまり、翌日の手術を待たずにお腹の中で胎児の命を止めるかどうか、ということです。少し悩みました。最初にどちらの方が安らかだろうか、と考えました。でもこの週数の胎児には苦痛を伝える神経などがまだ発達していないらしいので、少しでも一緒にいたいと思って薬は飲みませんでした。

前処置として、ラミナリアという海藻でできた棒状のものを子宮頸部に差し込むことになります。夫は処置中は部屋から出されました。前処置をしたらもう中絶を中断できないと言われていたので、内診台に上がった時点ですでに泣いていました。ここ1ヶ月で完全に涙腺が馬鹿になっています。
膣鏡を入れる時かなり痛くて呻きました。そして子宮頸部を消毒。押される感じの痛みが3回。子宮頸がん検診と少し似ていました。
その後子宮頸部に痛み止めをするのですが…「3,2,1で思いっきり咳をしてください」と言われて、まさか自発的に何かしないといけないとは思わず、怖くて5秒待ってもらいました。ゲホゲホ!!と咳き込んだ間に何か処置され、痛みはありませんでした。これをもう1度繰り返し、何か耳がおかしな感覚になりました。頭周りが少し麻痺したような、頭部周辺に麻酔が回ったような感覚です。でもこの異常を伝えて処置が中断してしまっても困る、サッサと終わらせて欲しいという気持ちで黙っていました。もう子の命を奪うことになった以上、自分の体が多少どうにかなってもどうでも良いと思っていました。妊娠してからは子のために自分の身を大事にしていたので、反動で少し投げやりになっていました。
しかしこれで恐怖がMaxになってしまい、泣きと震えと体の硬直が止まらず…看護師さんに両膝を抑えてもらう羽目になりました。看護師さんに脚を撫でて慰められながらメソメソと耐えていました。
処置自体に痛みはそこまでないのですが感覚はあるので圧迫感があるのと、恐怖と拒絶感が強かったです。何本もラミナリアを差し込む内、たまーに痛い時があって黒ひげ危機一発のような心持ちでした。最後に膣鏡を抜いてこれで楽になると思いきや、タンポンを入れられてこれがとても痛い…まさかのラスボス、アメリカのタンポンでした。今までタンポンを使ったことがなかったので余計に違和感がひどかったです。

結局処置には15分ほどかかったようで、涙やら汗やらでぐちゃぐちゃになった状態で夫に引き渡されました。座ると股間に体重がかかってタンポンが痛い。
その後水を数杯飲んでトイレに行かされます。医師から「何も出て来ちゃわなければOKです」と言われて「何か出ちゃうことがあるんですか?」と聞き返したら気まずそうに頷かれました。もう一度何かねじ込まれるのは勘弁だったので、過去最高に慎重に排尿をして、無事に帰宅の途につきました。股間の違和感がひどくてペンギンのような歩き方です。

処置後すぐに処置室でタイレノールという鎮痛剤を飲んで、3時間後に自宅でモートリンを飲みました。鎮痛成分が違うので3時間おきに交互に飲んで良いらしいです。痛みは3種類、生理痛のような重い痛みと、子宮頸部の物理的な痛み、タンポンの圧迫感と摩擦感です。
シャワーを浴びても良いと言われましたが身動きするだけで何かしらが痛かったので、諦めて眠りました。明日、娘がお腹から引き摺り出されてしまうと考えると憐れで悲しくて悔しくて、だったら今一緒に死んでしまえば…と夜中に思いつきましたが夫を遺せないので5秒で考えるのをやめました。検査結果から手術までの時間が短かったおかげで変な発想に浸らずに良かったと思います。

【中絶手術】
翌日、16w6dで中期中絶の手術日になりました。
ご飯を食べて良いのは前日24時まで、飲み物は当日朝5時までと言われていたので、早朝にコップ半分くらいの水をチビチビ飲んで出発しました。
11:30に大きな病院に行って書類に記入をしたりあれこれ質問をされたりして、12時過ぎに待機室に入りました。カーテンで仕切られただけの簡易個室に、リクライニングする椅子がセットされています。ここで夫と引き離されましたが通訳のiPadを準備してもらい、患者服に着替えて腕に点滴の管を刺されました。夫が戻り、かかりつけ医、担当の麻酔医、看護師が順々にやって来てはあれこれ質問や確認、書類を記入して去っていきます。
13:30オペ開始予定でしたが案の定ずれ込み、13:30くらいに事前に服用する薬を渡されました。2錠を口の中に含み、頬の中でゆっくり溶かします。もう何の薬かは聞きませんでした。何と言われても動揺するとわかっていました。
14:00ごろにオペ室へ案内されました。オペ室まで普通に歩いて行きます。どんどん廊下の雰囲気が無機質になっていって、途中から夫は入れないのですが、担当の中国人の看護師さんが片言の日本語で「ダイジョウブ」と言ってくれて、私と夫は少し笑って別れました。
その後も看護師さんが話しかけてくれて、なんとか平穏を保ってオペ室まで辿り着いたのですが、部屋に入って手術台を見た瞬間にまた涙腺が決壊しました。看護師さんが狼狽え、麻酔科の先生が私をハグして「I know,I know…」と慰めてくれました。
ずっと医師にとっても嫌な手術だろうな、「モザイクターナーなら産めば良いのに」と思われているだろうか、医師から見たらこれは身勝手な中絶なんだろうか、と思っていたので、寄り添って対応してくれた彼女に少し心が救われたような気がしました。
落ち着いたら手術台に登るように言われ、(手術台が高すぎてよじ登るのに苦労して、看護師さんがまた狼狽えてました)、脚にマッサージャーがつけられました。担当医が私の顔に酸素マスクをつけて、深呼吸を促します。ぐちゃぐちゃに泣きながら嗚咽だか深呼吸だかわからないものを数回して、そこで意識が途切れました。

かかりつけ医が私を呼ぶ声で目が覚めました。
バッとお腹に手を当てて、「いない」と思ってまた泣きました。担当医は「旦那さん呼んできますね」と言って去りました。
夫が枕元に来て、看護師と一緒に何かゴソゴソしていました。このあたりは記憶が曖昧ですが、わんぎゃん泣いている間に鼻から酸素チューブが抜かれたりしたようです。
リンゴジュースと水を与えられて、しばらくして落ち着いてから着替えるように促され、自分の服と一緒に生理用のパッドとウェットティッシュを渡されました。ベッドに敷かれていたパッドがグッチョリするほど出血していて恐ろしかったですが、どうにか夫に介護されながら着替えました。
点滴を抜かれてからかかりつけ医が再び様子を見に来て、落ち着いたら帰って良いと言われました。帰ることを伝えると看護師さんが私を車椅子に乗せて出口まで運んでくれました。
しかしなぜか出口に人だかりが…。出産して退院する人をお祝いしようと待ち構えているらしいのです。そしてなぜか人の出入りを止めている。こっちは早く帰りたいのだから、邪魔しないでくれと思いましたが車椅子で強行突破するわけにもいかず待ちました。花束を持ってニコニコしている人を見て、虚無の心で泣いていたら周りの人にギョッとされました。じゃあどいてくれ。

そんなこんなで帰ったらもう19時でした。
体は前日の方があちこち痛かったくらいでしたが、お腹に子がいないということが悲しくて寂しくて、ぐずったまま眠りました。麻酔が残っているせいか理性も記憶もあまりありません。

【術後】
2週間後に術後検診があり、それまでは浴槽に入ること、膣に何か入れること(性交やタンポン)を禁止されました。2,3日は安静にしているようにとのことです。
手術当日は生理2日目のような出血があり、翌日以降は生理終わりかけのような出血です。トイレでペーパーに血が付着するものの下着は無事…という感じです。
2日ほどは軽い生理痛のような腹痛があり、一応タイレノールを1日2回ほど飲んでいました。
3日後くらいから胸が張って、5日目にちょっと何か分泌されました…。下着にティッシュを入れて対応しました。体は産む気満々で準備していたのだと感じて悲しくなります。
医師は感染症を懸念しているようで、発熱や尿道痛があればすぐに連絡するようにとのことでした。

点滴跡(麻酔中に手首に太い管が1本増設されたもの)が1番重傷な程度で、体は思ったよりも無事です。むしろ妊娠中の方がつわりなどでしんどかったので体が軽くなったくらいです。
ただそれが逆に寂しく感じていたり、メンタルが追いつかないような感覚があります。
お腹にいなくなってしまった、本当に産めなかった子なのだろうか、私の覚悟が足りなかっただけなのではないか、16週まで頑張って生きてくれたのに踏み躙ってしまった、もしもまた検査で引っかかったらどうしよう…とグルグルしては泣いたり落ち込んだりしています。
我が子を死なせたのだから地獄行きかもしれない、もう子がお腹に来てくれないかもしれないと思って絶望したりすることもありますが、自分の決断に責任を持って受け止めて生きるしかないと思っています。
娘には残酷でひどいことをしたと思っていますが、お腹にいてくれた間に最大限に愛して、考えて、下した決断です。

【術後半年ちょっと経って】
もしも私が本当に心の底から「障害があっても幸せにしてみせる」という覚悟が持てたら、もしかしたら産めたのかもしれません。でも私はきっと「可哀想」と思って娘の一生に接してしまいます。そんな親の元では幸せになれないのではないか、というのが正直な気持ちです。
綺麗事ではなく、ただ私に覚悟が足りなかった。これに尽きます。一生忘れずに悔いることが責任だと思います。
親には妊娠中絶のことは今でも伝えていません。孫を死なせたことは、知らない方が幸せだと思っています。私はすべて吐き出した方が楽になるかもしれませんが、親を悲しませることの方が辛いように思います。代わりに夫が「責任は半分つ」と言ってくれたことが今でも救いになっています。悲しみや自責を同じ立場で分かち合ってくれる相手が1人いるだけでかなり心強いものです。

少しでも娘の存在に意味があるように、このノートがどなたかの一助になることを願います。

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