妊娠発覚〜最近まで

時系列で大きかったとこをつらつらかきすすめます。めちゃくちゃながい。

今後は妊娠糖尿病のこととか無痛分娩の話にする予定なのでここまでがまあ前提。コロナ許さない、というところがサビです。

超初期とジェットコースター(比喩ではない)

タイミングをとっていたとはいえ1年ほど妊娠しなかったことから若干の諦めも滲んでいたので、妊娠判明前、タイミングをとった日から生理予定日前あたりで富士急ハイランドに行った。フジヤマと高飛車その他に乗っていつも以上の酔いと寒気とだるさを感じ、風邪でも引いたのかな…などと呑気に構えていたが、自宅に帰ってからの検査で妊娠検査薬が陽性。ジェットコースター乗っちゃったしめっちゃホテルで生物たべた…よ…??驚きと不安が大きかった気がする。

奇しくも年の瀬、病院は行ったがまだ胎芽は確認できないと言われ、かといって妊娠中食べちゃいけないものリストには留意しなければと思い、クリスマスとお正月の低温調理肉や刺身や大きい魚のカマ煮を食べる予定は全て吹っ飛んだ。妊娠生活最初の洗礼は食の楽しみが半分以下になった状態で新年を迎えたことだった。(あと新年2日目からひどい風邪をひいて吐いてつわりと勘違いしたり補水点滴をしたりした…ひどい目にあった)

なお、かかった近所の産婦人科でジェットコースターのっちゃったんです、と小声で申告したところ、先生に散々笑われたのちにまだまだ小さいから全く問題ないし大丈夫だよと言われ、たいそう安心した。

産院選びと妊娠糖尿病

その後無事に母子手帳をもらうことができたが、近所の産婦人科は分娩ができなかった。とにかく無痛分娩が可能で引っ越し前後であまり遠くならないところを探し、順天堂大学医学部付属練馬病院を産院にきめた。(なお、のちのち希望していたあたりに引っ越す家が見つからず、結果的にタクシーで40分以上はかかるところに引越したことにきづく)

無痛を希望したのは会社の先輩がいかに産みの苦しみが大きかったかというのを熱弁していたのと、自分でも想定していない痛みをひたすら感じるのは地獄だし最後まで生み切れるか不安になってきたの理由。あとは無痛分娩自体に単純に興味があった。ミーハーなのかもしれない。

後々、順天堂練馬について調べるうちに、セレブ病院だの高すぎだのメシマズだのという話はでてきた。ただ、何かあってもとにかく安心、というところを重視して結局は順天堂練馬にきめた。なお無痛分娩費用を別としても我が家の給与とは全く釣り合わないところであるのでけっこう響く出費ではあり、いまから最終の精算が心配になってきている。

通院について、分娩予約にあたり1回は分娩する病院を受診してその後は引越しまで産科オープン制度を使おうと思っていたが、近所の産婦人科で必要な検査を済ませるうちに血糖値が基準にひっかかった。ブドウ糖のスクリーニング検査をし、NGをだし、あれよといううちに妊娠糖尿病なので今後の検診も分娩する病院でお願いしますと言われてしまい、そこまで妊娠糖尿病に関する知識がなかった私はめんどくさいなあと思ったことを覚えている。

そして14週という早期に妊娠糖尿病とはなんぞや、というキョトン顔で順天堂練馬を受診し、当日に検査入院を言い渡され、なんだかえらいことになってしまったと思いながら数週間後に検査入院し、その後の食事管理、血糖値に一喜一憂(上手くいかずに肯定感が地に落ち泣きじゃくることたびたび)する生活がはじまった。ただ、この辺については妊娠糖尿病の検査と入院時の内容と、コントロール方法だけ別記事で書こうと思う。ここが1番共有しておきたい、私が死ぬほど検索したところなので。

普段の食事の栄養、カロリー管理と妊娠によって生魚生肉生卵などが食べられない生活は覚悟していた。でも、たまの甘いもの、普通の炭水化物も通常の量食べられないこと、頑張って工夫や制限をしても食後の血糖がうまく下がらない事実を毎日突きつけられるのは食事が大好きな私には辛かった。たべなくていいならむしろ食べないと思ったこともある(もちろんお腹の人のためには食べなければならない)。これは現在も進行形で続いている。

悪阻の経過

ちなみに、のつわりの話。全期間通してつわりは軽い方だったのでは?と思うが、超初期から熱っぽさとだるさが続き、母子手帳をもらったあたりからどんどん吐き悪阻方向に症状がシフトしていった。

症状としてはシャワーに入ると湯気が気持ち悪くて吐く、朝ごはんが食べたくない、たべても吐いてしまう、所構わず吐きそうになる(吐きはしないがオエッとえづいてしまう)など。あとよだれの粘度があがったのか、常に口の中がねろねろして気持ち悪かった。とにかく悪阻のある間はミニトマトを食べて凌ごうとしていた気がする。ミニトマトは偉大。

つわり自体は16週以降収まるという話が一般的だが、わたしのつわりはえづくところだけずっと残り続け、結局、新型コロナ流行に伴う緊急事態宣言が発表され自宅待機+リモートワークになるまで所構わずひっそり嗚咽を漏らしていたように思う。家以外では実際に吐かないタイプで本当によかったが、会社の残業もその頃は22時まであり、かなりつらい状態だった。今となってはストレス起因もあいまって悪阻が長引いていた気もする。

コロナの諸々

妊娠糖尿病の検査入院をしていた3月中旬あたりからコロナウイルスの話と妊婦への影響云々についての話がSNSを通じて耳に入ってくるようになり、満員電車での通勤が次第に怖くなっていった。理由がちゃんとわからない、病状も固定されていない、不明点があるものはとにかく本能的にこわい。3月下旬には通勤電車の人が若干減ったりはしたものの結局は満席、立ってる人もそれなりにいる状態で自分が、お腹の人が感染したら何が対応としてできるのか、死ぬしかないのか、こんな通勤(と22時までの残業)をしていてよいのかということをまいにちぐるぐる考える状態になり、精神状態が千々に乱れた。なんなら通勤電車内でちょっと泣いた。

あまりに思いつめすぎて緊急事態宣言が出る前日(4/7かな)には会社が何か対応をとってくれないなら仕事を辞めようと決意して会社に行き、話をする前に上司から仕事を休んで自宅待機としてよい旨のお達しをもらった。燃え盛る案件の対応者が減ってしまう罪悪感は多分にあったが、安心ですこし涙ぐんだ。この時ほど自分の勤める会社に感謝したことはないと思う。当時妊娠5ヶ月だった。その後、リモートワークのみで勤務してそのまま産休に入り、今に至っている。

4月の自宅待機以降は外出は最寄り駅までのスーパーやらドラッグストア、病院のみで生きていける環境が整ったが、コロナのせいで残念なこと、心配なことは尽きない。

まず、エコーで見える姿がはっきりしてから検診に付き合ってもらおうと思っていた夫は、コロナの影響で検診付き添いNGがでてそのまま臨月を迎えてしまうことになりそうだ。胎動を手で感じたりエコー写真をみたりしてうわー人じゃん、などと曰っているので子が生まれる自覚はあるとおもうが、動く我が子を見てほしかったし、本人もみたかったとおもう。未だに立ち合い分娩不可、面会不可、いざと慣れば無痛分娩も不可かも、など諸々の制約はついたままなので、この辺はまた臨月に詳しく聞いたところで整理して書こうと思う。私の産む時もマスク着用になるのかもしれない。

また、安定期が非常事態宣言とその後のゆるい自粛期間、あとは6月7月の感染数増加とだだ被りだったので、妊娠生活の本やブログなどに書かれてるようににして「安定期にふたりだけの生活で悔いがないようにすごす」ことは到底無理だった。4月までは仕事やらインフル流行のおそれやらつわりやらでそんなに外に出ず家にこもっていたので恨みは深い。

仕事ですらリモートで環境に制約があって結局引き継ぐしかなかったものがあったし、それ以外の、たとえば子供のグッズを店舗でじっくり吟味することや、特に実家近くに帰って孫が入っているはずの腹を見せ、いい温泉でも泊まろうと思ってたことなどはまるっとできなくなってしまった。もう臨月近いので諦めているとはいえ、コロナ禍前の本でそんな記載を見るたびにハンカチを噛み締めて悔しがるあの絵が浮かんでくる。

正直7月中旬現在でも胎児への母子感染があるとかないとかの話が研究で出てきている状態で、外にはスーパーと用事以外ほぼ出ないようにしているし、夫の出勤日や外出に過敏になり、不安でメソメソないている。私が怖がりすぎなのかもしれないが、まだまだ病態も、「自然免疫でやっつけられる程度のウイルス」であるかもわからず、かつ自然免疫が低下すると言われている妊婦においての言及は5月末以降ほぼ更新されていないから、精神の安定をとると引きこもるほかない。

妊娠イコール幸せ♡とは元々思っていなかったが、思っていた以上に期待よりもありとあらゆる不安が勝った妊婦生活だったと思う。

猫と子と夫と私のおやつ代になります