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もしもキーストンがウマ娘になったら

【名前】キーストン
【性別】女性
【年齢】中等部(1年)
【身長】150㎝
【体重】45Kg
【血液型】О型
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【家族構成】
関係丨居るか丨生存してるか丨何人か
父丨いる丨YES丨1匹(ソルナウェー)
母丨いる丨YES丨1匹(リットルミッジ)
兄or姉丨いない丨NO丨0人
妹or弟丨いない丨NO丨0人
息子丨いない丨NO丨0人
配偶者丨いない丨NO丨0人______________________________

【好きな物】トレーナー、釣り
【嫌いな物】露出度の高い服(トレーナーが
頼んできたら、露出度の高い服でも着る)
【趣味】ボードゲーム
【種族】ウマ娘
【役職】お嬢様
【同室】ダイコーター
【寮】栗東寮
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【過去】
〈誕生〉
生誕:1962年3月15日
日本:北海道浦河町

〈2歳〜3歳〉
トレーナーと出会いデビュー。
初戦を10馬身差で圧勝する
以後(初戦含め)、5連勝。
レコード優勝3回の内2つは
コースレコードという成績。
3歳シーズンを終え、この年の最優秀
3歳牡馬に選出された。
3ヶ月後、前哨戦の弥生賞を3馬身差で制し、重賞初勝利を挙げた。
次走のスプリングステークスで
ダイコーターとキーストンが再戦。
当日はキーストンが単勝支持率65.9%という圧倒的1番人気に支持されたが、
栗田の予告通り、1馬身強の差で
ダイコーターが勝利。キーストンは
6戦目で初めての敗戦を喫した。
20日後に迎えた皐月賞では
ダイコーターが50%超の単勝支持を受けて
1番人気、キーストンは2番人気となった。
試合結果は、キーストンがダイコーターを
3馬身差でリードし、ゴール。

〈4歳〜5歳〉
日本ダービーで。
レースではキーストンが2番枠から
先頭に立ち、後続を引き離して
逃げを打った。後続はこれに競り掛けず、
キーストンは単騎のまま楽なペースで
道中を進んだ。ダイコーターは
不良馬場の上で追走に苦労しており、
キーストンは2番手に数馬身の差を
付けたまま最終コーナーを回ると、
最後の直線を逃げ切り、追い込んだ
2着ダイコーターに1馬身3/4差を付けて
ダービー優勝を果たした。

〈6歳〜最期(ウマ娘の設定。付け足し無し)〉
スタートが切られると常の通り逃げを打ち、周回2周目の最終コーナーを回った時点では
順調だった。しかし…直線を向いて
スパートを掛けた際、ゴール手前約300mの地点で故障を発生。キーストンは前のめりにバランスを崩し、落馬した山本は
頭を強打して脳震盪を起こし、
一時的に意識を失った。
キーストンは惰性で数十メートルを
進んだ後に転倒したが、再び立ち上がって
昏倒する山本を振り返り、故障した
左前脚を浮かせた3本脚の状態で
傍らへ歩いていった。この時、山本は一
時的に意識を取り戻しており、以降の
出来事について以下のように語っている。
「あー、えらいことになった。
と思いましたが、気がつくとすぐそばに
キーストンがいたんです。ということは、
そこから離れていったのに、
また僕のところに帰ってきたわけですよね。そういうことは朧げに理解できました。
それからキーストンは膝をついて、
僕の胸のところに顔を持ってきて、
鼻面を押しつけてきました。ぼくはもう、
夢中でその顔を抱きましたよ。
そのあと誰かが来たので
その人に手綱を渡して『頼むわ』と
言ったまでは覚えてるんですが、
また意識がなくなりました」

この様子を目の当たりにしたのは
場内のファンに留まらず、テレビ中継に
おいても一部始終が放映されており、
実況を担当していた
関西テレビアナウンサー・松本暢章は、
声を詰まらせながら必死に様子を伝えた。
観客席も騒然とし始め、「もう歩くな」と
呼び掛ける者、係員に
「何とか助けられんのか」と涙ながらに
詰め寄る者もいた。キーストンは
山本の手を離れて馬運車に収容された後、
左第一指関節完全脱臼で予後不良と
診断され、直後に安楽死の処置を施された。山本が再び意識を回復したのはキーストンの死後であった。
**安楽死の際、普通の馬は数分で
死んでしまうのに対し、キーストンは
なんと15分も頑張って耐えて、山本騎手が
来るのを待ち続けたと言う**

死没:1967年12月17日(6歳没・旧表記)

〈死後〉
キーストンの事故、山本との最後の様子は
ファンの間で反響を呼んだ。
競馬ファンであった文筆家の寺山修司は
キーストンをテーマに「夕陽よ、急ぐな」というエッセイを書き、阪神大賞典で
テレビ中継の解説者として事故に遭遇した
詩人の志摩直人は、「ソロナ家の紋章」という詩を発表、また、タレント・歌手の
諸口あきらは、自身のレコードアルバムで「キーストン・ブルース」という曲を
発表した。キーストンの「物語」は、
往時を知らないファンにも
広く伝えられており、競馬漫画家の
よしだみほは、競馬を知り始めたファンが
触れる「教科書系名馬」と評している。

山本は1973年をもって騎手を引退、
調教師に転身した。調教師としては、
その引退までに通算555勝、GI級競走8勝を
含む重賞32勝と、第一線で活動を続けた。
山本は「キーストンが生きていれば、
その子に跨ることを楽しみに、
もっと長く騎手を続けていた」と語る
一方で、自身の調教師活動に関する
キーストンの影響について、
以下のようにも語っている。
「騎手として、たぶん多くの人の印象には
残らないタイプだった僕が、
キーストンでダービーに勝てて、
あの日の事故で、これは不幸を
キーストンがひとりで背負ったんだけど、
人の心に僕のことも印象づけてくれた。
それが調教師になった後の
僕をどれほど後押ししてくれたか
分からない。馬主からの救援や
依頼が絶えないのも、本当にあの子の
お陰だと心から感謝しています……」______________________________

【情景】
〈目的・夢〉
一生心に残るようなウマ娘になること

〈自分自身への感情〉
不安と葛藤と心配。
(トレーナーがいれば安心)
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【性格】
優しすぎる、甘えん坊
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【口調】

一人称:私
二人称:名前
三人称:みんな(チームメイトに対して)
みなさん(親しい人以外に対して)

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【セリフサンプル】

〈ブチ切れ〉「もう!なにしてるの!」

〈悲しみ〉「もう…やだぁ…」

〈ムカつき〉「はぁ………やめてよ」

〈胸キュン〉「ありがと!大好き!」

〈呆れ〉「ちょっと…〇〇(名前)…」

〈喜び〉「やったー!」

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