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A PERFECT DAY

日曜日の朝にしては早い時間に家を出て、駅に向かって自転車を走らせる。日曜日の朝だけは自分一人だけのものとしたいと考えているのだが、それさえも手放さなければならないほどにスケジュールは過密を極めている。憂鬱な朝? いやいや、そんなこともない。頭の中ではFLIPPER'S GUITARの「Friends Again〜フレンズ・アゲイン〜」が自然と流れて、何ならご機嫌である。それはひとえに、この空の青さゆえ。

近所の果樹園に差し掛かったところで、グレーのロングコートを着た一人の女性が道路脇に佇んでいた。今、まさに写真を撮ろうとコートのポケットからスマホを取り出しているところで、視線の先には青く晴れ渡った空。女性の表情は柔らかな笑みを形成しようと変化していく。すべては自転車に乗った僕が、その女性の横を通り過ぎる、ほんの一瞬の光景。ただ、その時の女性の表情はあまりに美しく、尊い。

朝食もままならず、昼食の用意も無いままに出てきてしまったので、道中でファミリーマートに立ち寄る。普段は車が入ってこないような細い路地の中にある店舗の前に、珍しく車が一台停まっている。助手席から一人の女性が降りてくる。どこかで見た…と思うのとほとんど同時に、「ああ、このお店の店員さんだ」と気付く。この女性は小柄でお年も召しているが、いつもハキハキとした接客をされていて気持ちがいい。その女性の後に続くようにして入店すると、今度は背の高い白髪交じりの男性店員。先ほどの女性と明るく挨拶を交わしながら、するりとレジへ入っていく。この方のレジは楽しい。一つひとつの動作、一つひとつ言葉かけに、この方の強いこだわりを感じる。「接客する自分」を心から愉しんでいることが伝わってくる。あまり愛想がなく、自分の買い物をさっさと済ませたいタイプのお客さんの応対をしている時は、二人の温度差に思わず吹き出してしまいそうになる。僕は僕なりに店員さんの間合いを意識しながら、袋の有無や支払い方法などを伝えるタイミングを探る。うまくハマると、とても気持ちがいい。キャンペーンが行われている時は要注意で、予想していなかった質問に面食らっている間に僕たちの連携は乱れきってしまう。

大学の正門、初等学校の桜橋門。守衛さんと挨拶を交わしながら、誰もいない教室にたどり着く。窓を開けて、昨日までの空気を外へ流し出す。一昨日の放課後はバタバタと出なければならず、昨日も研究会のあれこれで教室の整頓まで手が回っていない。机から椅子がはみ出したままの席や、やや乱れた机の線を整えていくと、慌てて下校していった子どもたちの痕跡が少しずつ遠ざかっていく。そうして体を動かしていると、じんわりと汗ばんでくるほどに、今日は暖かい。

コーヒーを入れようと外階段へ向かう。ここ数日は残雪が溶け出した水でいつも濡れていたために通ることができなかったが、ようやく雪も消え、カラカラに乾いている。足元に目をやると、持ち上げた足の下に黒い影――。

「影は重なると、濃くなるんですかね。」
「やってみましょうか。」

「どうですか。濃くなってますか。」
「どうでしょうね。」
「ほら、なってますよ。」
「どうでしょうね。」
「なってますよ。濃くなるに決まってますよ。濃くならないなんて、そんなはずないじゃないですか。」
「熱弁しますね。」

ヴィム・ヴェンダースと役所広司の手掛けた話題の映画を、先日、ようやく観ることができた。上映後はしばらく席を立ち上がることができず、自分の体内を駆け巡る余韻に浸っていた。視察から帰国したタイミングもあったのだろう。ここ数年のうち、最も自分に合う映画であった。特に上述した二人の男の会話(言葉は正確ではない)の場面では、突然涙が込み上げてきて止まらなくなってしまった。今もふとした時に思い出すと泣き出しそうになるほどに、自分の深いところへ溶けている。

かつて、アレックス・カーは、西欧人がなぜ日本に引きつけられるのかについて、「日本は社会的に停滞した国になり、日本に引きつけられる多数の外国人は、そうしたところに安らぎを感じる人々だった」と述べている。カーの言う停滞は、今もなお、淀みながら続いていることだろう。そんな中で、僕も小さな影となり、この美しい朝を通り抜けていく。もうすぐ教室には、クラスの保護者の方々がやって来る。この仕事をしていなければ、この場所に勤めていなければ、決して重なることのなかった影が、重なっていく。「濃くならないなんて、そんなはずないじゃないか」という平山の言葉は、紛れもなく自らに向けられている。

「わたしの幻灯は、これでおしまいであります。」

淹れたてのインスタントコーヒーの香り。丸まったアルコールティッシュ。それから、やはり、教室に差し込む朝日。




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