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私立に入って実際どうなのか(小学校中学年ver.)

小学校受験の記憶を一通り吐き出したのを良いことに、すっかり記憶が薄れつつある最近であるが、娘が小学校中学年に進級したところで、入学した当初と少し感じることが変わってきたので、追記しようと思う。(2021.05現在)

低学年のカリキュラムはごく普通。ただし英語授業はネイティブに習える。

低学年を終えた今、思い返してみると、内容はごくふつうのカリキュラムだったんじゃないかなと思う。国語も算数もいわゆる文科省が提供している例の教科書を使って学ぶので、そこから外れた事は基本的にはしない。

強いて言えば英語はネイティブの先生に学べるのが良いが、英語が毎日あるのならまだしも、週に2度、1時間に満たない英語授業が果たしてどの程度効果を発揮しているのかはわからない。・・・やらないよりはもちろん良いのだが、帰国生である自分から見ると色々と物足りなくてもどかしい。

カリキュラムの内容自体は普通なのだが、授業の進め方や先生の話から、至る所に遊び心が散りばめられており心の余裕を感じる事が多かった。ルールで縛りつけるような事が少なく、良い意味で放任でゆったりと育ててもらった印象を受けた。

中学年からのカリキュラムはかなり充実している

中学年になってからはカリキュラムの豊富さにありがたみを感じている。科目が増えてきたことはもちろんだが、各科目にスペシャリストがつくような形で学ぶ事ができる。それを子供が吸収できるのかは、これから数年経ってみないとわからないが、機会をちゃんと与えてもらっているのはひたすらありがたい。

本当の意味での「勉学」ができる。

本編を読んでくださった方はご存知であろうが、娘は中学受験が必要ない私立学校に通っている。よって、通常は小学2〜3年あたりから意識せざるを得ない「中学受験」を視野に入れずに、じっくり勉強することができる。

中学年になってくると算数もレベルアップしてくるのだが、この時期の算数というものは正直、公式を知っていればパパッと解けるし、数をこなせばパターンを覚えられる。言ってしまえば先取りしておけばこの時点で高得点を出すのは、さほど難しくないのだ。

しかし、先取り学習とは無縁のクラスの中で学ぶと、かけ算ひとつの式をとっても色々な考え方がある事をじっくり学ぶことができる。娘のノートを見ながら思ったのだが、この考え方はこの先、中学・高校の難易度の高い算数に進んだ時にこそ必要になってくる思考能力なのだ。

自分の持っている材料を駆使して、次の答えを導き出す謎解きのような感覚。これは、公式を最初から知ってしまっていると、後から考え直すのは難しい。

例えば、6x7と7x6、これがどうして同じなのか?axb=bxaを知ってしまっている人間があとから考えようとしても、「え?いやそりゃそうでしょ・・・」で思考が止まりがちだ。しかし公式を知らない人間が、ああでもない、こうでもない、と考えていると「なるほど!」と突き抜ける瞬間がある。(ちなみに考え方はいくつかある)この試行錯誤してこその「なるほど!」の気持ちよさが、後々数学で必要となってくる原動力なのだ。

エラそうに言ったが、私自身はどちらかと言うと公式を先に知ってしまったタイプである。なので、高校前半までの数学はそこそこ行けたが、思考能力が問われる高校後半の数学では点数がみるみる落ちていった。・・・が、数学好きの友人らを見ているとこの「謎解き」感覚がよく養われていたのだな、と今では思うのだ。帰ってきた数学のテストで間違った箇所を、ああでもないこうでもないと楽しそうに解き直していた姿は今でもよく覚えている。

娘のノートを見ながら一緒に復習していると、先生があえてここら辺を意識的にじっくり教えていることがよくわかる。学校もしくは先生にもよるかもしれないが、私立ではこういった勉学の本質的な所を養ってくれる良さがあると感じた。

親がしっかりしている。過保護な親は多いだろうと覚悟していたが・・・?

やはり親がしっかりしている。これは間違い無いだろう。保護者会が開催されるたびに、自分がこの中で一番ズボラな親かもしれない、と思うほどだ。そして、親がしっかりしていると子供もしっかりする・・・と思っていたのだが、これは残念ながら違うようだ(笑)。いや、女子は多少親を真似てしっかりしている子が多いが、男子の様々な武勇伝は私の耳にも入ってくる。

私立はきっと過保護な親が多いのだろう、と思っていたが、今のところそうでもないように感じる。些細な出来事に対して都度、先生に相談しにいく親も確かにいるにはいる。・・・が、親同士の交流がそもそも少なめな事や、先生からも「子供の不確かな情報を鵜呑みにはしないで」「親同士で噂話を広めないように」など事前に警告があった事もあり、入学して数年経つがそう言った噂話に振り回されるような事は一度も発生していない。

また、子供がある程度良い意味で放任されているのを感じる。価値観が悪い方向に逸脱している家庭がいないのと、保護者もみんなしっかりしているのを目で見ているためか、クラスメートの子に対しても安心感がある。もちろん問題はその都度発生するのだが、何かしら理由はあるのだろう、と思える心の余裕は常にある。クラスメートや保護者に対して疑心暗鬼にならなくて良いのはとても恵まれた環境であると思う。中学受験を控えていない分、親もそこまで気を張る必要がないのだろう。

親のフォローが何かと求められるが、それは公立も同じ。違うのは、「うっかり率」の少なさ

娘の学校では、親の3割ほどが共働きで、7割が専業主婦であると推測される。(ただの予想なので、実際とは異なる可能性大)もしかしたら低学年ではもう少し共働きが多いかもしれない。そのせいか、親が家にいる前提でカリキュラムが組まれている事が多いように感じる。

持ち物の多さはとても小学生の手には終えるように思えないし、何かと親のサインや確認が必要となってくる。学校行事も平日の昼間に入る事もあるし、これ共働きだったらどうするんだ!?と思うような事が度々ある。・・・ただし、これはどうやら私立に限った話ではなく、公立でもそうらしい。

ただし、違うのはその結果「忘れてきちゃった」と言う子の圧倒的な少なさである。2週間前、プリントの端っこに小さく書いてあった連絡事項を、2週間後に40人中39人がぴったりその日に提出しているのだ。何を隠そう、その残りの一人が我が子だったのだが、話を聞いた時は内心、「まあ他にも忘れた子、いるでしょ〜大丈夫大丈夫〜」・・・と思っていたのに、まさかのオンリーワンである。これには驚いた。

日が暮れるまで友人と遊べないのが残念

自宅の近くには、近所の小学生が集う公園がある。その公園では、17:00の鐘が鳴るまでずっと小学生達が友達同士で遊んでいるのだ。親の目から離れた所で学校の友人と心ゆくまで遊ぶ経験は、私立では残念ながら味わうことができない。家は皆バラバラだし、そもそも3,4年生ともなると、電車通学で帰宅する時間が17:00近い。

休みの日に遊びたいのであれば、幼稚園の時のように親同士で連絡を取り合う必要がある。きっと合流してからも、子供を放流し慣れていない家庭同士で遊ぶと、家の中や施設へ付き添いなど、あくまで親の目があるところで遊ぶことになるのだろう。

私立学校に通っていると、子供だけで遊び、自分達で考えルールを作り・・・と言う経験が、学校の休み時間や放課後でしか味わえない。本来はそう言った近所の公園遊びを補う、「放課後の校庭開放時間」があったりするが、今はコロナの影響でどこも放課後遊びは無しになっている。特に長期休みには遊び相手が近所におらず、サマースクールなどに入れたり積極的に親が遊ぶ予定をとりつけないと、時間を持て余すことになる。(長期休みにこそ児童館に繰り出す事も可能だが、それこそ近隣の小学生で輪ができているので、うまく輪に入っていくのは厳しい)

世間の大人からの視線が異常に厳しい

私立学校に通っていると、当然、校章入りの制服を着用しての登校となる。電車やバスに乗り、公共交通機関を使っての登校となる。そこで毎度問題になってくるのが「子供たちの通学マナー」なのである。電車の中で友達と盛り上がっていてうるさいだの、道では横に広がって歩いているだの、すれ違う時にぶつかったのに謝らないだの、毎日のようにクレームが入る。

なので、各家庭では、子供に狭い道では一列で歩いて、電車では極力喋らず、人の邪魔にならないように歩くようにと、どの家庭も子供に何度何度も教えている事でしょう。我が家も口酸っぱく教えている。・・・が、所詮は小学生である。

小学生が、友達がいるにも関わらず、会話を切り上げて1列に並ぶだろうか?仲良しの友達と電車に乗っているのに、お互い黙っていられるだろうか?物理的に視野の狭い子供達がみな、人の流れを読めるのだろうか?否、我が家でも娘に出かけるたびに細かく指導しているが、友達と合流した途端頭からすっぽ抜ける。

大人側も、きっと普段なら「子供か、まぁいいか」と流せるような事でも、制服を着ているとわかると、「○○学校の子供か、調子乗ってるんじゃないか?」などと、人々の沸点は途端に低くなるようだ。

稀に制服姿の娘と電車に乗る事があるのだが、息苦しさが凄まじい。降り注がれる視線の数がすごい。無遠慮にジロジロ見られる。(ちなみに私服で電車に乗る時は視線は感じない)子供自身のマナーを向上させることはもちろん必要だが、クレームの多さ・頻度からして、目を引きやすい事に加、多分にやっかみの心も加わっているのだろうなあ、と感じているのが正直な所だ。

公共の乗り物は子供だけの乗り物でない事は確かだが、大人だけが乗るものでも無い。子供がマナー向上に務めるのはもちろんだが、大人側ももう少し寛容な心を持って欲しいものだ、と個人的には感じている。もう一度言うが、中身は所詮、小学生なのだから。

総括 学校の中では素晴らしい経験ができるが、学校以外の時間の使い方は家庭次第

以上が、私立学校における中間感想である。総じて言えば、学校内は先生の目が行き届いている事もあり、親同士の信頼感もあるため、子供にとっては良い環境であると言える。多少の合う・合わないがあるにせよ、全体的に「根はいい子」の集まりであると感じている。そんな友人の中で育つので、女子の中で発生しがちな、変に背伸びしたり、マウントを取ったりとられたり、仲間外れにしたり、、みたいなドロドロ問題は少なめであると感じている。一方、男子に関しては、見ている限りでは現時点では私立・公立での著しい違いは感じられないが、何せ我が子ではないのでわからない、と言うのが正直な感想である。

しかし、上記でも触れたように、学校が無い時には友達と遊ぶことができないので、個人的にはその経験不足がもったいないと感じる。ただ、子供を私立に入れよう、と決断している家庭は、我が子にいろんな習い事をさせたいと思っている家庭が多い。放課後は毎日違う習い事が入っている、といった生活の子が多いので、たとえ公立に行っていたとしても、公園で友達と遊ぶ事はしていなかったのかもしれない。ここは各家庭の考え方次第で、子供の生活は変わっていくのだろう。

また、高学年になってきて本格的に受験する子としない子との明確な違いを経験すると、私立に対する感想も変わるのだろう。追って追記しようと思う。

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