「好き」は環境によって思わされている

「好き」はもともとの好みとかもあるけど、環境によって思わされていることもある。

人は慣れ親しんだものを好む傾向にあり、それがよいと思うという習性があるから。

それが良いとか悪いとかではない。

mochicco自身、テレビが好きだと思い込んでいたけれど、確かに好きだった時期もあるけれど、テレビなし生活に慣れているとむしろテレビが煩くて嫌いだと感じてきた。

でも、たまに見るバラエティーとかはおもしろくて好きだと感じるし、テレビ自体が好きというよりも、その番組が好きだった。

そして、そのなかでも、バラエティーとかで真面目な話しようとする人のことをいじる芸人さんとかがいるけど、個人的にそこをもう少し深堀して聴いてみたいと思うところがあるから、それは見ていてあんまり心地よいものではない。

けれど、それを笑いをまじえながらも話をちゃんときいているトーク番組はとても愛のある感じがしていて、聴いていてとても心地よいもの。

単なる好みの話になってくるのだけど、どちらかというとmochiccoはこういった方が好きなようだ。

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こどもの頃って、自由に使えるお金は限られていて、自分が欲しいものを買ってもらったり生存のために親中心に生きていたところがあって、親基準になってたところがあったし、学校でも協調性を学ばされる環境が当たり前。

親や他人へ同調することがひとつの処世術になっていて、学校という狭い世界では会話についていけないことも。

そこで頑張って合わせることで、

あの子が好きで言ってたなぁ。

見てみよう。

あ。わたしも好き♡

なんとなくから入って、何回もリピしてるうちに好きだと思うのがどんどん濃くなっていったり。

特に夏休みや冬休みのアニメの再放送。

いま思えば別に最初はそこまで好きとかじゃなかったけど、他に見るものもなくて仕方ないから何回も何回も見ていたら、知らぬ間にむくむくと「これが好き」という感覚が出てきて、「わたしはこれが好き」という錯覚がうまれた。

おもしろいから嫌いというわけではもちろんないけれど、周りに合わせようと/追いつこうと必死だったことからそうなっただけで、事実はただ単に何回も見ていてそうなった部分もあった。

そうしてみると、実は「好き」っていうのは案外曖昧なところがあるもののようだ。

逆に馴染みがないものは嫌いとまではいかないまでもそもそもの段階で全然興味なかったりなんてこともある。

その時点で何が馴染んでいるかによるものでもある。

それならば、新しく取り入れたいものを馴染ませていけばいい☻

あなたは何を馴染ませたいですか?

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