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ソファを捨てた

ソファを捨てた。
夫が結婚前から使っていた古い古い古いソファ。
買い換えようと思いつつ、その都度タイミングをのがし、
かれこれ約20年。

愛犬ぼたがいなくなってからは、ぼたとの思い出とセットになってなおさら捨てられなくなった。

パピーの頃ガシガシ噛んだ歯痕が残ってたり、
いつもあごのせて寝てたな、とか、
いまだにマットの間から毛が出てきたり、
思いっきり嗅いだらなんとなくまだぼたのにおいがする、気がするとか。

捨てられなかったのよ、なかなか。

でもさすがに布はボロボロにやぶれて中のスポンジは出てきてるし、
暑くなってきて部屋がモワッとくさいし、
なにより不衛生。

「ああ、もういいかな」って、思えました。ふと。

ぼたが亡くなってすぐの頃、インスタで知り合ったわんこ友だちが「ぼたちゃんのもの、無理矢理捨てなくてもいいと思うよ。モノの方から自然に離れていく感じがする時が来るよ」って言ってくれたことがある。

その頃私の中では、
「ぼたのもの片付けねば」
「でもまだ片付けたくない!」
「片付けねば先に進まんであろう」
「嫌じゃ。片付けてなるものか!」
「ええい、わからずやめ。もう必要なかろう」
「なにを!片付けんと言ったら片付けん!何人にも手を触れさせてなるものか!」

と、”片付けねば軍”と”片付けたくない軍”の激しい合戦が巻き起こっていた。
そんなとき友人からの「先延ばししていいよ」の言葉に
「え、そうなの?保留あり?」と
心がふわっと軽くなった。
そして、合戦終了。

あれから一年半。
ソファが自然と私から離れていった。

ゴミ置場のソファに粗大ゴミ回収のシールを貼ったら、”ぼたのソファ”が”ただの粗大なゴミ”となった。
多少胸がチクっとはしながらも、
「ああ、すっきり」
声に出して言った。
あの強烈な執着はなんだったのだろうと自分でも不思議になる程の変化だ。

あのとき無理にぼたのものを片付けなくてよかった。
そんなことをしたらきっとかさぶたを無理やり引き剥がした時のような痛みがあっただろうと思う。

どんなに悲しくてもつらくてもそこにとどまっていることはできない。
だからこそ時がくるのを待てばいい。
いや、待つ方がいい。
今そう実感している。




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