『太陽の年』

監督:クシシュトフ・ザヌーシ

こういう映画を見るたびに、人物を通して社会を考えていいのかわからなくなる。ドイツ人とのやりとりからも分かるように、男はアメリカ的ヒロイズムを体現し、J-POPバリの愛の文句を囁く。女はそれに惹かれるが、祖国を捨てることに葛藤する。時代は違えど、ポーランド自由化の道のりに重ねられるのではないか。西側の自由に魅力を感じながらも、祖国から目を背けて生きていくことはできない。「どこで生きるか」ではなく、「どう生きるか」なのだ。叶わなかったアメリカへの道を辿りながら、場所や空間をすっ飛ばしたラストのダンスからのデカ岩山(『駅馬車』)へのパン、母が抱いていた桃源郷への想い。ここをもうちょっと理解したい(なぜジョンフォードの駅馬車?グランドキャニオン?インディアン?西へと進んだアメリカ独立への道のりと重ね合わせているのか。何やら示唆的なラスト。)でも彼ら彼女らは一人の人間なわけで‥。象徴として捉えてしまっていいのかいつも迷う。
言語の違いによるディスコミュニケーションが結構大事で、序盤は食い違いがおかしいのだけど、後半は二人の繋がりを強固なものにする道具にもなるし、その中で決定的な食い違い"Wait!"は物語の結末を決めてしまう。なんだか知らないけど略奪された後に入ってきた子どものシーンがすごい良かった。母の死を悟った瞬間、明かりをつけると隣室の明かりもついて叫ぶシーンをインパクトが強い。あと火葬場で二人のクローズアップからの唐突な上へのティルトとかも。

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