『夜明けのすべて』

監督:三宅唱

三宅監督の映画は「想像すること」が繊細に描かれる。ケイコが踏切に佇み、通り過ぎる電車の風を頬に受けてその喧しさを感じるように、『夜明けのすべて』においては相手の痛みを想像すること、が主題になっている。それは今ここにいる相手の痛みだけでなく、相手が過去に感じた痛みであり、これから抱えていかなくてはならない痛みでもある。その主題は最後、上白石萌音が語るプラネタリウムのナレーションにオーバーラップする。夜があるから、周りが暗いからこそ夜明けがあり、星が見える。今ここにはないかつてあった星の煌めきに思いを馳せることができる。何もそれは人間の痛みだけではなく、松村北斗がカセットテープを聴くこと、あるいは朝の風景をおさめた映像を見返すことにおいても適用される。今ここにはない何かを想像すること、この主題が映画の至る所に張り巡らされているように感じた。松村北斗がスマホを届けに自転車を漕ぐところが特にお気に入りのシークエンスで、挟まれる移動撮影にワクワクする。苦手意識があった電車の音が響く線路沿いの道を、きつい坂道は一歩一歩踏みしめて、松村北斗は上白石萌音の自宅へ向かう。そこには豊かで穏やかな時間が流れている。トラッキングショットあるいは上白石萌音がベランダから松村北斗を見送る後ろ姿、それを覆うようなカーテンの靡の美しさはまるで、堀禎一『弁当屋の人妻』後半の一連のシークエンスを彷彿とさせる。人生で初めてできた彼女と手を繋ぎながら観た。彼女は途中で手が痺れてしまったようで、申し訳なかった。

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