頑張る彼の目に、うつる世界は
私の恋人は、同じ大学院生で、よく無理も無茶もする。
「無理をしなきゃいけない時もあるねん」が口癖で、締め切り前は寝ないし食べない。
私と付き合うまで、かたいベッドパッドの上にそのまま寝ていた。その方が朝起きれる、とか言って、毎日3、4時間しか寝ていないようだった。(いまはもう少し寝ているらしい)
「ねえ、どうしてそんなに頑張れるの?」
画面越しに、ふと尋ねてみる。
返ってきた答えは、この人らしかった。
「無理し慣れてるから。あと、カミュとニーチェ読んだから」
*
カミュもニーチェも読んでいない(さして読む気もない)私に、彼が言う。
「元来世界は不条理なもんやって考え。その中に一度でも嬉しいことがあれば、それは素晴らしいなという考えだよ」
それで、どうして頑張れるのだろう。
こういうところで、私と彼は真逆だ。
光を信じていないと進めない私と、闇をじっと見つめながらも進む彼。この人は修行僧みたいだな、と思う。
「私は、あの人みたいにバリバリ研究して、かっこいい女性になりたいの」
ぽろっと、言葉がこぼれ落ちた。
「うん」
「でも、性根がよろしくない」
「どうして?」
スマホを手に、ごろんとベッドに横になる。
いまは、気持ちが不安定になりやすい時期だ。わかってるし、そう伝えてもある。
でも、あふれでる気持ちを止められない。息を小さく吸って、吐き出すように一息で言う。
「頑張れないくせに評価されたいし、才能だって欲しかった。でもそういうのが、一番むかつくし一番嫌い」
「人間やな」
彼は淡々とそう言って、笑う。そして続ける。
「あの人みたいになれるかはわからんけど、でもそうやって目指していると、どこかにはたどり着くんやで」
この人は、夢は叶うなんて言わない。努力したら希望通りになるなんて、絶対に言わない。私にはないそんな優しさや素直さが、好きだ。
芽が出るには”正しい努力”が必要なんだっていうのは、先輩だったこの人に耳にタコができるほど言われてきた。そして、”正しい努力”をしてもなお、思い通りにいかないこともある世界なのだということもまた、耳タコだ。
「はなの人間らしいとこ、好きやけどな」
「あんたはワンちゃんだもんね。毎日1時間も2時間も散歩しないと鬱になるんだから」
憎まれ口を叩く私に、愛嬌たっぷりにニコニコ笑っている。
「はなも読んだらいいのに」
「カミュとニーチェ?」
「うん」
「なんで研究で頭使ってるのにさらに頭使わないといけないの。無理〜〜〜」
「そういうとこだってば」
「うるさい、修行僧ポメラニアン」
おどけた顔でこちらを見て、やっぱりニコニコ笑う彼。子供みたいな笑顔で、難しそうな本を好む人には、あんまり見えない。
「ねえ、お散歩行きたい」
「ええ、今日暑いよ?」
「でも行きたい」
「もう、しゃーないなあ。じゃあ、あとでね」
ビデオ通話を切って、身支度をする。
「世界は不条理なんや」
先ほどの彼の声が頭に響く。穏やかで、優しい声。
ふーん、そっか。そうなのかもしれないね。
ほんの少しだけ立て直った気持ちとともに、玄関のドアを開けた。
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