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友達追加、の話。

先週のこと。
仕事中に、携帯のディスプレイに
「電話番号で、●●さんがお友達になりました」とLINEのお友達追加のお知らせが表示された。

●●さんの名前は、おじいちゃんの名前。

10年近く前に亡くなった、私の祖父の名前だった。

私とおじいちゃんはちょうど60歳違い。

昭和初期生まれの、いわゆる厳しいおじいちゃんだったが、男ばかりの加藤家に生まれた初の女孫として、私にだけは滅法甘かった。

おじいちゃんは朝ごはんを食べない。
朝ごはんの代わりに、大好きなおばあちゃんが点ててくれた抹茶と共に、薄皮まんじゅうを食べながら窓際の大きな椅子に座ってお庭を眺めるのを日課にしていた。

ジジババっ子だった私は、よくおじいちゃんの朝のお茶っこタイムにお供した。

お庭にはたくさんの木々が植えられ、花が咲いていた。
おじいちゃんのお父さん、私からすると曽祖父が「四季がある家にしたい」と言って、庭師に作らせ、丁寧に手入れをしていた庭だった。

夏には、小さな池に涼しさを感じ
雪で真っ白に埋まる冬には、その下にちゃんとフキノトウが眠っていて、春を待つ強さがあるんだよ。
庭を眺めながら、四季を大切にして生きることの幸せを話していた。

そして、自分の小さい頃のこと
戦争中のこと
家族のこと
おばあちゃんとのラブストーリーなど
沢山の話をしてくれた。

そのおかげで、私は家の中の誰よりも、加藤家の歴史に精通した人間になった。

小さな私は成長し、気づいたら一緒に朝のお茶っこタイムをすることも無くなった。

大好きだったはずのおじいちゃんとおばあちゃんに辛く当たった時期が何年もあった。

学校が終われば直ぐに塾に行き
祖父母が寝た時間に帰る孫。
同じ家に住んでいたのに
まともにゆっくり話す時間も無いまま、学生時代を過ごした。

学生時代の私の合言葉は「私頑張るから」
魔法の言葉のように、毎日、毎日、自分に言い聞かせて暮らしていた。
兄の代わりに医者にならねばならぬのだ!と空気を読んで、勉強ばかりしていた。
感情を取り繕うことや、いろんな我慢をすることが、人生の美しさだと勘違いしていた。

私が、もっと頑張ればいい。
もっともっと頑張らなきゃ。
学校のこと、家族のこと、思いがけないことがたくさん起こる度、家族の前では泣かずに歯を食いしばって2メートル先を睨みつけるような可愛げのない孫娘に、おじいちゃんは頑張れとは言わなくなった。
何度も言われたのは


「あーちゃん、ゴーイングマイウェイだ。自分が好きなようにすれば良い」

「あーちゃん、『ケセラセラ』だ」

あれ?ボケたのかな?と勘違いするくらいに、何度も何度も言われていた。

わたしが中学生の時
おじいちゃんは最愛の妻を亡くした。
おばあちゃんが亡くなってから、おじいちゃんはとても落ち込んだ。

とても落ち込んで、落ち込んで
おばあちゃんのことが好きだった父もすごく落ち込んで

男2人で、おばあちゃんの思い出を連れて、よく飲みにいくようになった。
おばあちゃんが父も祖父も不在の時になくなったので、心配になったのだろう。
具合が急に悪くなっても、自分が居なくても、何かあったときにすぐに連絡出来るようにと買ったのが、おじいちゃん用の携帯電話だ。

ディスプレイに表示されたおじいちゃんの名前。
亡くなって10年経って
おじいちゃんの携帯番号を他の人が使うようになったということ
当たり前だけど、時が経つとはそういうことなのだと、改めて、考える時間をもらった気がした。

結局、あんなに一生懸命登録したけれど
おじいちゃんは携帯電話を使うことはなかった。
使うことがないくらい、私の父は、おじいちゃんに寄り添って、寄り添って毎日生活するようになった。
双子のように一緒に生きる2人の姿。
長男だからと父にも厳しく怖い父親として振る舞っていたはずのおじいちゃんが、おばあちゃんの代わりに、毎日父の名を呼ぶようになった。
そんなおじいちゃんが亡くなった時の父の痛みも、悲しみも、苦しさも、一番苦しく寂しかった時期。
当時の私は幼すぎて、父に寄り添うことも受け止めてあげることが出来なかったけれど
30歳を過ぎて、父の優しさ、祖父は寄り添う思いがほんの少しわかるような気がする。
そして、おじいちゃんが、私に本当に伝えたかったことも。

ケセラセラ

そう思えるようになったのは、ちゃんとおじいちゃんがいつも近くにいると思っているからだよ。

なんとかなるさ、なるようになるさは

楽観的、まるっと丸投げしてるんじゃない。
ちゃんと守ってもらってるから大丈夫だよ、と私を包んで、安心させようとしたおじいちゃんの優しさ。
深呼吸をして、肩の力を抜きなさいという魔法の言葉。

私だけしか知らない、おじいちゃんが伝えてくれた言葉たち。
忘れぬよう、風化せぬよう
もう一度言葉にして行こう。
そして、孫娘の役目として。
おじいちゃんの大切な息子である父の背中に手を添える存在でありたいと思う。

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