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ピアノの話


久しぶりに乗った電車で
目の前の席に小さな女の子と、お母さんが座った。
開いたのは、黄色のピアノの本。
壁に寄りかかりながら眺める女の子に、お母さんが一生懸命音符の読み方の話をしていた。

ド・レ・ミ

ミ・ファ・ソ

たどたどしく、読み上げるたびお母さんが大喜びして、もっともっと次は、これは?と進めていく様子を見て
ぼんやりと、昔のことを思い出した。

その黄色の本をわたしは見たことがある。

30年近く前、私も毎日、開いていたピアノの本。

私は3歳からピアノを始めて、中学生まで習っていた。
家の近くの教室でなんとなく、習い始めたが、いつの間にか町の中でも1番有名な先生のところに通うようになり
いつの間にかコンクールに出るようになっていた。

始めた頃は、仲良しの近所のお姉ちゃんが教えてくれるから大好きだったピアノ

ピアノを弾いた後に食べるお菓子の時間が楽しかった、ピアノ

いつの間にか、練習をしないと毎日怒られるからやるようになっていたピアノ

怒られるから練習をするフリばかりするようになったピアノ

そのくせ、嫌いすぎて練習しない言い訳をたくさん考えるようになったピアノ

もう練習しないなら辞めなさいと言われても、辞める勇気もなくて
怖くてずるずる辞めれなかったピアノ

あまりに楽しくない記憶すぎてすっかり忘れてたけど、
私も最初はピアノが好きで、楽しかった。
正確に言うと、『ピアノを弾く時間があることで、たくさん楽しいことにつながっていたから、わたしはピアノが好きだと思いこんでいた』んだと思う。

多分、私のことだから
「あかねちゃんはピアノが好きね」と聞かれたら
「うん!大好き」と答えたのだろうし
「もっと上手になりたい」とも言っただろうし

「コンクールに出てみたら?」と言われたら「出たほうがいいのかな?」と空気を読んで「出たい」と言っただろうし。

私が歩んできたピアノとの関係性においては、きっと、私が言葉にしてきた通りに進んできたはずだから
何故、高いレッスン料を払ったのにこんなにもピアノが嫌いになったのか、親は全くわかっていなかった。

目の前に座る小さな彼女と、私は同じ人間ではない。

でも、もしかしたら
彼女が「楽しい」のは
ピアノ教室に通うこと、ではなく
音符を上手に読めたことをお母さんが褒めてくれるから、かも知れない。
お母さんと一緒に電車に乗りおでかけできること、かも知れない。

あのお母さんが、子供のためを思って一生懸命になる先に
彼女の「楽しい」を見失わぬことがありませんように。
彼女が本当に「楽しい」ピアノを見つけられますように。

電車を降りても、あの黄色い本が頭から離れなかった。

ちなみにそんな私がピアノを辞めると決め、辞めたいと言えた理由は
どうしても、どうしても中学校に入り剣道部に入りたかったから。
二つ上の兄の姿を追いながら、
小さな頃からずっとずっと我慢していた
「本当は剣道がやりたかった」ということをようやく親に伝えられたから。

あんなにピアノを一生懸命やらせたのに、と泣かれたけれど
本当に自分の心からやりたいと思い、何を言われてもやり通すと決めることの大切さを分かってからは、後悔なく歩けると気づけたことは幸せなのだと思う。

気がつけば私も「大人」になった。

今の私は、ちゃんと彼女の心の声に気づいてあげれる「大人」だろうか。

久しぶりに、もう一度、ピアノが弾きたい。

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