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スペインで悪口考察

「売春婦の母親!」
「性交!」
「神様にうんこする!」

こんな怒声が聞こえてきたらあなたならどうする?
私は家に帰るかトイレに閉じこもるかしたかった。

だが残念ながらこれが私のいるスペインの学校の日常。

文字通り「日常」。
誰も喧嘩していないし暴走族もやってきていないけどこんな感じなのだ。

スペイン語の学校に行っている間は違った。先生も特に悪口の説明をしたりはしないし、授業中にも使用することはない。一度、「街中で見かけたときにもしかすると使用しているかもしれないけれど、気にしないで」と先生が言及したくらい。そう、スペイン語学習者の間はあまり触れることがないのだ。

なので学校で本格的にスペイン人に囲まれて生活するようになって初めてこの悪口問題に直面した。本文ではこの問題に対応するために調べたことなどをまとめたいと思う。


初めに、悪意のある悪口は実際のところ少ないことは断っておきたい。(ないとは言っていない)
特に私の住む地域では、「性交!あなたは売春婦の母親がいる」という挨拶を交わすおじいちゃん達がいるくらい生活に密着している。多分、日本人的には「やあ、元気?」みたいな感じなんだけど、そこを全て悪口で埋めてくる。スペイン語ではDELEというA1レベルから始まる試験があってC2が最高とされているけれど、これをマスターしたらC3だろう。


いくつか代表的な悪口を紹介してみたい。


まずは大便系。日本語同様スペイン語でもうんこは大変使いやすいらしく、いろいろな用法がある。

「¡Mierda! うんこ!」

と単体で使用することも出来れば、

「¡Me cago en la leche! 牛乳にうんこしてやる!」

と慣用句として使用することも出来る。
ちなみにこの「¡Me cago en la leche! 牛乳にうんこしてやる!」というのは怒っているときに使うが、基本的には自分自身に怒っていたり世界に怒っていたりする場合に使われており、対人で使用されることはない。

でもこれの対人バージョンももちろんある。例えば「¡Me cago en tu cabeza! お前の頭にうんこしてやる!」てやつだ。

想像するとシンプルにやめてくれって感じ。そのせいか、相手に怒髪天くらいじゃないと使わない。これを言ったときはその人と一生縁切り状態になるかもしれない。

これの上位バージョンとして「¡Me cago en tus muertos! お前の先祖たちの墓にうんこしてやる」版もある。何にでもうんこ出来る。非常に柔軟で使い勝手に幅がある便利な悪口だ。


次に性器系。全く納得がいかないんだが、基本的に男性器はポジティブな意味、女性器はネガティブ目な意味合いで使用される。

例えば「¡Qué coño! この女性器!」と言うと怒っている場合と単に驚いた場合があるがいいことには使われない。反面「¡Es la polla! それは男性器!」というと「それすごく良いね!」みたいな感じになる。なんでだ。

ただしかし、その昔スペインでは去勢することが面白いことだったのか、「Es un despolleそれは去勢だね」とか「Es un descojonoそれは去勢だね(玉の方)」と言うと「すごく面白いね!」という意味になる。もう一度問う。なんでだ。

ただ男性器も悪口と使用されることもある。「¡Giripollas! この馬鹿男性器!」というと「クソ野郎!」みたいな感じになるのがそれだ。でも具体的に馬鹿男性器というのはどういう男性器を指しているのかというと、かつて男児の方が尊ばれた時代に「女児しか作れない男性器」という意味で言われた始めたらしい。男尊女卑やばい。
今聞くと性差別ゴリゴリの表現で、正直どうなんだろうと思うけれど、ほとんどのスペイン人がこの単語の元々の意味を説明できなかった。皆意味を知らないまま幼少期から使っているからだ。


さて次に売春婦系。「Puta」は名詞でも使えるし、英語の「Fu★king」のような形容詞としても使えるし、もちろん慣用句の中での使用もある。

まず初めに慣用句。かの有名な「¡Hijo de puta! 売春婦の息子」という罵倒は英語のマザーフ★ッカーくらい広く使われている。そして人によっては良い時も悪い時も使う。私がうれしい時に「¡De puta madre! 売春婦の母親!」と言った人を見たときには、「こいつ大丈夫か?」と思った。でも後で話していたら良識のある普通の人だった。

このputa、前出の「うんこしちゃうぞ」シリーズにももちろん使える。「売春婦の母親にうんこするMe cago en la puta madre」なんて、どう考えても上品じゃない。外国人学習者として壁になるのは、翻訳して考えると売春婦とかお母さんのことを考えちゃうんだけど、ネイティブスピーカーは欠片もそういうことを考えてないってとこ。だから私はここで生きていると人の17倍くらい皆がうんこしてるシーンを想像している。

あとは形容詞としての売春婦。例えば「Estás en el puto medioあなた道のど真ん中にいるよ」。どこにも売春婦関係ないけれど、日本語でいうところの「超」のような感覚で使用されている。実はこの表現は私もよく使っている。何故なら皆道のど真ん中で止まりたがるから。どうして隅っこによけないんだ、きさまら。


最後に性交系。断トツで使用率が高いのは「Joder」。もはや人はこの動詞が性交を指していることを忘れているくらい悪口でのみ使用される。還暦過ぎの紳士が「No me jodas 私を犯すんじゃないよ」と隣人のマダムに言っているのを聞いて、本格的にこの単語を受け入れなければいけないんだと理解した。

この単語もやはり良い意味、悪い意味の双方で使用される。しかし動詞なので性器名称のような単体での使用のされかたはせず、「Joder,ーーー」のような形で引き続いて状況の説明や感想を述べることが多い。日本語にするなら、「わあ」とか「えー」ってあたりだ。
特に続く言葉がなく「¡Joder!」と言い捨てる場合は、鬱憤を晴らしたいときの使い方だ。


ここまで悪口の一部を簡単に紹介してきたが、ここからは何故そんなに悪口を使用するのか、そもそもどうしてそんなに語彙が豊富なのかを考えてみたいと思う。

スペイン人は何故悪口を多用するのか。それには環境と文化が密接に結びついていると考える。

まず圧倒的多数の人が悪口を常用している。そのため、ほとんどの人が程度に差こそあれ幼少期から悪口を聞いて育つことになる。仮に小さい子供の家族が非常に気を付けて家庭内で悪口の使用を控えている場合であっても、悪口を常用している家庭が確実に学校内やクラス内にいるので、気が付くと子供は悪口を覚えている。

一つ例を挙げてみたいと思う。夏前に会った3歳の甥っ子が「Ostris!」というかわいらしい悪口を使用し始めていた。意味はちいさい牡蠣、みたいな感じで、驚いたときなんかに使うための子供用悪口である。とにかくかわいかった。
ところがどうだろう、夏が終わるころに会うと「Giripollas」と言い出したのだ。夏の間に何があった・・・
3歳の子供が発する「この馬鹿男性器」という罵り言葉はなかなか破壊力がある。

こんな感じで、本人は意味も知らぬままどんどん悪口の語彙が増えていって、大人になるころには完全なデータベース(単語の意味は不十分)が出来上がっているのだ。これは環境のなせる業である。

完全に個人的な見解だが、子供の社会に馴染むためにもこの悪口が大きな役割を果たしていると考えている。日本でもそうだけれど、ちょっと悪いことするのって大人びた感じがしてかっこよく見えてしまうものだ。大人たちに許されていない悪口を子供たちの中でこっそり使うことによって、その社会の中で恰好を付けたり友達同士の絆を深めるのに一役買っているのではないだろうか。知らんけど。


次に文化的な側面。スペインはローコンテクスト文化で、ハイコンテクスト文化の日本とは対照的な文化を擁している。
とにかく全て話す。何故そうなのか、どうしたいのか、この後何をするのか。ちなみに空気は読まない。「Entre líneas」(行間)という慣用句が使われることもあるけれど、行間を読むのは恋が始まる時くらいのもので、例えば日常生活や仕事の中で読むような酔狂な真似はしない。言ったことが全てだし、言っていないことは一生伝わらない。

これは私の個人的な見解で、誤解を恐れずに言うけれども、このローコンテクスト文化がスペインでの鬱憤を晴らす、ストレスを発散するための悪口の使用に大きくかかわっていると思う。

例えば嫌なことがあったとき、嫌なことがあったと言う。それによって聞いた周りの人がどのように受け取るかということはあまり考慮されない。それを感じたのはその人で、それを吐き出すことが自然なのだ。

なのでイライラしたときに悪口を言う。誰かを傷つける悪口じゃない。ただただ鬱憤を晴らすための、自分や世界に向けた悪口。そうなのだ、もちろん人にもよるけれど、溜めこむ人が少ないのだ。むかついたらむかついたって言う。嫌なものは嫌と言う。この感覚が悪口の使用を加速させていると思う。だって悪口で吐き出しちゃう方がストレスが発散されやすいもの。

私の実体験で、ある日友人に尋ねられたことがある。「あなたはイライラしたり悪口を言っているのを見たことがないけれど、どうやって発散しているの?」と。「そんなときは歩いたり体を動かしたりしているよ。」と返すと、日本人ってやっぱり抑圧的なんだね。と言われた。自分では感情のコントロールが出来てこそ一端の大人だと思っていたんだけれど、視座を変えると大分異なる評価になるものだと衝撃だった。


驚くことの多いスペイン語の悪口の文化。
初めて聞いたときは恐ろしくって嫌悪感、恐怖感しかなかったけれど、言葉のルーツを調べ、どのような意図で使用しているのかを本人たちに聞き、自分も実際に使用してみることでその奥深さに夢中になっていった。特に興味深かったのは、自分の感情を吐露することへの人々の抵抗の無さだった。
日本で生まれ育った私には、周囲を気にせずに自分の感情を出すという感覚が知識として備わってもまだ理解出来てはいない。自分の言葉で相手がどう感じるか考えてしまうし、私の怒りは私の中で消化する方が恰好が良いと思う。

それでも、せっかく違う文化の土地で暮らす機会に恵まれたので、いつか頭に来た時に「¡Joder!」なんて口をついて出るようになれば良い。ネガティブな感情を言葉にして解消するのはとても健康的だと思うし、私は私の感情を殺すばかりでなく、もうちょっと優先してあげたいと思うから。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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