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推しの体調不良に思うこと。

そのニュースは突然やってきた。

「推しが適応障害で一時活動を休止する」
まさに青天霹靂だった。

思えばこれまで推しは激動のスケジュールをこなしてきた。
オーディション番組でメンタルを削りながらもアイドルの道へ。
デビューが決まってからは歌やパフォーマンスの向上に努め、さらにはバラエティやラジオなどメディア出演も精力的にこなす日々。
プライベートでも過去や今何をしているかなどの一挙一動が注目される。
彼には心の底から安らげる日や場所があるのだろうかと勝手に心配してはいた。

「努力」を具現化したような存在の彼のことである。
きっとファンの思いに一生懸命応えよういう気持ちに、体が追い付かなくなってしまったのかなと思う。
あくまで私の一推測でしかないが。

私も去年、適応障害のようなものになった。
「ようなもの」というのは、お医者さんからきちんと適応障害とは言われていないからである。もっとも、私がお医者さんから言われたのは“抑うつ状態”だった。

去年の私は就職活動が上手くいかずストレスがピークに達していた。
しかもコロナ禍。外には出れず、友人たちとも飲みに行けず、実家にも帰省できない。元々、「外に出て行動すること」でストレスを発散していた私は、コロナ禍の閉塞した空間で気持ちの切り替えが上手くできなくなった。
思えばこの頃からだいぶ無理はしていたが、当時は気付けなかったのだ。

去年の7月ごろだったと思う。
急に体に不調が出始める。食欲がなくなり、涙が止まらなくなり、夜眠れなくなり、集中力がなくなり、ろれつが回らなくなった。
最初はちょっとしたストレスでこうなっているのだと思いやり過ごしていたが、やがて面接や筆記試験にまで影響が出てくる。とにかく頭が回らないし、上手く話せないのだ。当然結果は全部惨敗。
自分はこういったプレッシャーの類に強いと思っていたので、こんな情けない状態を見せるのがショックだった。
それでも内定がないから必死で頑張ったが、焦りが症状を悪化させる。
弱った自分を見せるのが嫌で気持ちが沈むばかり。
「消えてなくなりたい」と思う日もあったほどだ。

周りからは“あなたらしくない”と言われ、もっと元気を出して頑張れというアドバイスももらった。でもその頃にはもう“私らしい”がわからなくなっていたし、満身創痍だった。体重が10㎏落ちた。

ようやく親や友人たちが私の精神状態がヤバいことを感じ取り、休むことを進めてきた。しかし、未来が定まっていないのに休むというのはだいぶリスキーである。加えて休むのにも“休まなきゃ!”という思いが働く。一応休むことにはしたのだが、休んで3週間ぐらいはずっと頭の隅で“就活・進路”という言葉がよぎり、気が気じゃなかった。

現在は何とか立ち直ったが、あの時を思い返すと今でもやっぱり辛い。
毎日自分が自分じゃなくなるようで怖かった。
きっと推しも去年の私と同じような感覚なのではないかと思う。
去年の自分のエピソードから、推しのために今の私ができることについて考えてみた。

ファンである私が、今推しのためにできるのは以下2つだと思う。

①休んでいる間も離れずにファンでい続けること
②変なアドバイスをしないこと

①は私が辛かった時一番思っていたことだ。
自分らしさが失われていく中で、私が一番心配したことは自分の周りの人が消えてしまうのではないかということだった。ことが起きる前と起きた後とでは明らかに私の性格は変化する。精神が疲労した後に会った友人たちには「昔よりつまらなくなったね」と言われ、ショックだった。

昔の私と今の私は違う。昔の私の方を好いてくれていた友人は悉く私の周りから消えていった。人が大好きだった私は、友達が離れていくことが何よりも辛かった。それでも変わった後の私を受け入れてくれた人はいたし、そういう人の存在にだいぶ心救われたのは事実だ。これはあくまで私の推測でしかないが、推しも同じことを思っているのではないだろうか。「自分が休んでいる間、ファンが減ってしまうのではないだろうか」とか「活動復帰した後にファンが変わった自分を見てがっかりするのではないだろうか」とか。

だから、私は今もこれからも推しをずっと推し続けようと思う。
きっとそれが今の推しに私ができる唯一のことだし、推しが求めていることだと思うから。彼が帰ってきたときにすっと戻れるような環境があるといいなと切に願っている。

②は私がやられて一番ムカついたからやらないと決めていることだ。その人のためを思ってのアドバイスは多いが、実際にその人のためになっているとは限らない。特に私の周りにはそういう辛い思いをしてきた人が少なかったため、時にいらないアドバイスに何度も傷つけられた。恐らく当の本人は本当に相手のことを思って言ってくれてるのだろうが、薄っぺらい善意はかえって人を傷つける。だから私は何も言わずそっと見守っていようと思う。

もしかしたら、今はどんなメッセージを言っても推しの心には届かないのかもしれない。
それでもいい。とにかく今は心と体を労わることに徹してほしいと思う。
いつか前を向いて、活動を再開できる日がきっと来るはずだ。
また満面の笑顔で活動する推しを見られる日を信じながら、私は今日も陰ながら推しを推し続けるのである。