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『あらしのよるに』を読んで ~自分と向き合うのに、なぜ、〝絵〟日記なのか?~


先日、古本屋さんで偶然見つけ、100円という破格だったので即買いした絵本『あらしのよるに』。

有名な作品なのでご存知の方も多いと思いますが、知らない方のためにあらすじをざっくり説明すると。
物語が起こるのは、タイトル通り嵐の夜。一軒の小屋に避難してきたヤギが一匹。そして少し後にもう一匹…なんとオオカミがやってくる!
これが晴れた日の昼間ならオオカミがヤギに襲い掛かり、ドタバタ劇が繰り広げられたかもしれませんが、真っ暗な嵐の夜。ヤギもオオカミも相手の姿が見えません。幸か不幸か、互いに鼻風邪を引いて匂いもわかりません(笑)。
そして、何も起きることなく、一方にとっては天敵で、一方にとっては恰好の獲物であるはずの二匹が身を寄せ合い、穏やかな会話を交わしながら過ごし、明るくなる前に別れていく…というお話。

この物語のおもしろいところは、二匹が繰り広げるその会話。
例えば「うまいえさ」の話をしている時、当然ながらヤギが頭に思う浮かべているのは草であり、オオカミの方はヤギ。だけど、それぞれにとって「うまいえさ」に間違いはなく、会話は噛み合ってしまう。思い込み故に生まれるちぐはぐ感に、絵本を読んでいるこちらは、おかしくって笑えます。

一方で、声を聞いてお互いに「オオカミのようだ」「ヤギのようだ」と思ったことは、〝言ったら相手に失礼かな〟と飲み込んでしまう。核心に触れず、お互いを自分の仲間だと思い込んだまま。
ふぅ~危なかったね、と読み手は胸をなで下ろすかも。

ユニークなイラストと、ユーモアあふれるストーリーに引き込まれながら読み終えて、ふと思いました。


「あれ、こういうことって、人間の世界にもあるよな」と。
思い込みで話をしていて、後からイメージが異なっていたことに気づき、喧嘩になったり。噛み合っているつもりが全然伝わっていなくて、仕事で失敗したり…。

そう、言葉ってとても便利だけど、表現できるのは物事やイメージの一部分に過ぎないことも多いのだ。
言葉の力に頼り過ぎると、大切なものを取りこぼしてしまう可能性がある。

『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』(金田一秀穂著、文芸春秋)の中で、詩人・谷川俊太郎さんもこう言っている。
「言葉って、本当に不便なもので、自分の感じていること、触っていることの三割も表現できない」と。
長年、言葉と向き合い、言葉を駆使し、数多くの素敵な詩を生み出してきた谷川さんを持ってしても、そうなのだ。

そうした時に、自分以外の誰かとのコミュニケーションはもちろんのこと、自分に対してもこのズレは生じる。
以前書いた、〝怒れなかった私〟が良い例だ。
「怒っちゃいけない」という考えを心の奥底に持っていた私は、本当は怒りが自分の中に渦巻いているのに、それを無理やり押さえつけ「怒っていない」ことにしていた。あるいは、ちょっと怒ることで「怒った」「これで気が済んだ」ことにしていた。実はそんなんじゃ全然足りなかったのに(笑)

そもそも「怒っちゃいけない」も私の〝勝手な〟思い込み。誰からもそんなこと言われた記憶ないのに。
思い込みで怒りを飲み込んで、そしたら相手にその怒りは伝わるはずがない。
本当は嫌なのにあれこれ頼まれちゃうのも、相手には嫌がってないと伝わっているから。

そんな、蓋をして見えなくしたり、思い込みでないものにしようとしたりしたものや、はたまた言葉にできないモヤモヤした感情、扱いにくく取りこぼしてしまいがちな、だけど自分にとっては一大事のものをちゃんとすくい取ってくれるのが、何を隠そう【絵日記】なのです。
言葉のみで綴る日記ではなく、〝絵〟日記だからこそ、それができる。
言葉になるまでに削ぎ落とされた様々なものをひっくるめて、自分の思いや感情を表すことができるから。
「怒る」ですら、その裏側で実は「傷付いた」とか、「相手にされなくて淋しい」とか、「思い通りにいかなくて悔しい」とか、「ないがしろにされている気がする」とかとかとか…が隠れていたり、絡まり合っていたりするのだから、その一言で過ごすのはちょっと危険だし、時にはもったいないですよね。

だから、絵(時に絵とすら言えないような場合もある)と言葉で綴ることが大きな意味を持つのです。
決して、絵を描いて芸術性を高めようということではないのです(それも立派な考えですが)

同じく『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』で、絵本作家の安野光雅さんが言っています。
「本来、絵とは言葉にならないことや気持ちを伝えるものなのです。」と。

なんだか上手くまとまりませんが、絵があるから気づけたことがあり、向き合えた問題があると、絵日記学を学んだ変化を振り返って思います。

言葉にならない感情、あなたは大切に扱えていますか?
自分の発する言葉にモヤモヤすることがあるならそれは、本当の自分の思いとのズレがあるのかもしれません。

大人の絵日記学が何かのきっかけになれば嬉しいな♪ → http://enikki-gaku.com/

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