見出し画像

「やさしい」の理由~絵日記学を学んで私ができるようになったこと 番外編~

ここ数か月、人から「やさしい」と言われることが何度かあって、自分的にちょっと印象に残っている。
元々、人にやさしくありたいという気持ちは持っていたので、そう言ってもらえることは願ったり叶ったりではあるのだけれど、自分では全然そんなつもりがないから(笑)驚いている。


だって、人にやさしくありたいと強く意識していた頃、
自分としては人のためを思って行動していても、全然「やさしい」って言われなくて。
今は、あんまり意識していないのにそう言ってもらえるから、不思議さもあって印象に残っているのだ。「なんでだろう?」って、頭の片隅でずっと考えていて自分なりに行き着いた答えは

自分に対してやさしくなれたから

ということ。

「人にやさしくありたい」と強く意識していたころは、半ば機械的に「やさしくしよう」としていたのだと思う。

「人にやさしくしなければならない」という強迫観念があったと言っていいのかもしれない。
イライラしたりモヤモヤしたりしていたら、人を気遣う余裕のない時なんてそりゃありますよ。
だけど、有無を言わさず世の中の常識を正義と振りかざすキャラクターが自分の中にいて、「人にやさしくしろ!」と強制し、自分の気持ちは無視。
それって、自分に全然やさしくないし、
機械的なやさしさなんて、やさしくない。とんだ偽善者ですよ(笑)

そして、「今は自分のことで精一杯!気持ちがささくれ立っているから人にやさしくなんてできない!!」という気持ちを抱えている自分もいて、というかどっちかと言ったらそっちの方が本音なわけで、
そして本音の方がやっぱりエネルギーが強いから、表面上はやさしさを演じても「やさしくできない感」も漏れて伝わっちゃってたんじゃないかなと思う。
そんなもの、相手はやさしいって感じなくて当然だよな。

んで最近は、「人にはやさしくしなければいけない」から「やさしくしよう」ではなく、

シンプルに自分が「~したい」と思って行動したことを相手が「やさしい」と感じてくれている、受け取ってくれている。

そういう感じ。

自分の意思で素直に取った行動で、そこに強制や無理がない。
自分にやさしい。


それが、今回の「やさしい」の理由だと、自分なりの結論。



こうやって考えると、世界は本当に自分の写し鏡。それはしかも、深層心理・無意識を反映している。

思考や理性で「こうしたい」と考えていることは、実は自分の本当の願望とずれていることが往々にしてある。その場合、私のこの話もそうなのだけれど、実は「~したい」ではなく「~しなければならない」という思い込みかもしれない。
それは、自分軸ではなく【他人軸】。つまり、本当の自分の意思ではないんだよね。



それにしても、こんな風に思えるようになったのは、やっぱり絵日記学のおかげだな。
生きていれば自分にとって良い事ばかり起きるわけじゃないから、モヤモヤもするし、イライラもする。それは絵日記を始める前も後も変わらない。

だけど、絵日記を始めてからはモヤモヤやイライラに向き合って、
「なぜそういう状態になっているのか」、「つまり本当のところ自分はどうしたいのか」を把握できるようになった。

自分の本当の気持ちがわかるようになったから、自分が自分に嘘をついている時も自覚できるようになった。
これがすごく大きい。

そして、本当の気持ちがわかったら、それを叶えるように行動しようと舵を切ることができ、問題を解決できるようになってきた。
モヤモヤを抱えたままということがなくなり、ちゃんと前へ進むことができる。

「やさしくありたい(なければならない)」と思っていた頃より、どうやら私は「やさしく」なれているらしい。着実に、こうありたい自分に近づけているようで嬉しい。

これからも絵日記を書いて、本当の自分の気持ちと向き合っていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?