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裏方が適役な私も、私の人生においては主役なのだ。

社会における役割として、私は「脇役」どころか「裏方」が自分にとって適役だと思っている。
リーダーキャラでも、人気者キャラでも、ヒロインキャラでも全然なく、
ひがみでもなんでもなく、そういうキャラになりたいという願望もほとんど持っていない。

一時期ヒーロー(女子なのにw)キャラには憧れていて、
小学校や中学校では生徒会長をやったり、
ドッジボールでは可愛い女子をかばって戦ったり(笑)していたことはあるけれど。
それは、裏方願望にも通ずる〝人の役に立ちたい〟という気持ちから派生していたのだと、今振り返ってみて思う。

高校の文化祭のクラスの劇では「照明」担当、
大学でも学祭のクラスの出し物として演劇があったのだけれど、似たかよったかで「大道具」担当だった。

みんなを引っ張っていくリーダー格の人の、さらにはその人についていく集団の、後方からついていって場面場面で自分のできることでサポートしたり、そこにいる人たちが心地良く過ごせるように動いたりすることの方に意識が向くことが多いタイプだと思う。

そしてそれが、自分にとってもしっくりきて、心地良い。


それなのに、ふとタイトルのようなことを思いついてしまった。当たり前と言えば当たり前のことだけど、こんな裏方が好きな私も、私の人生においては「主役」なのだ、と。

裏方なりに感じること、考えることがあるし、求める幸せ、心地良いあり方や生き方というものがある。

そしてnoteに、感じることや思いついたこと、考えたことを日々書いているのは、書くことで整理したり、真に理解したり深めたりするため、そして、いつか見返した時にまた気づきを得るため。それが幸せや心地良さのヒントになるかもしれないから。

普段、仕事では〝他者のため〟を第一の目的とした文章を書いている。
一方noteで、特にここ最近、〝自分のため〟が優先されている文章が中心になっているなという気がしていたのだけど、
それはもしかしたら、社会的には裏方な私を主に据えて表現しておきたい自分がいるからなのかもしれない。

だから、これら私のnoteを読んで何かを感じたり得たり喜んでくれる人がいればもちろんそれは嬉しいのだけど、
まずはいつか読み返すだろう未来の自分のために、自分が主役となって書いていることも良しとしよう。

そして、こんなふうに、人の目や、〝他者のため〟ばかりを気にせず、気負わず表現できるnoteという場があって良かったな、ありがたいなと改めて思う。

そんなんじゃ、もしかしたらnoteを正しく活用できてはいないのかもしれないけれど。


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※このテーマを考えている時に頭の中に思い浮かんだイメージ。


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