日本画に一目惚れした話

大した話ではありません。単なる夏の思い出の日記です。読むだけ時間がもったいないかもしれませんので、ご注意ください。

一昨日の7月16日に美術館へ日本画を見に行きました。僕は普段から美術館に行く人間なわけではないのですが、最近Twitterで何度か日本画を見かけることがあり、どんなものなのだろうか一度見てみたいと思っていました。15日の夕方にテレビを見ていると、地元の美術館で日本画の展覧会が開かれているとのこと。これは行くしかないなと、翌日の放課後の予定を決めたのでした。

 翌日の放課後、授業の課題を友達と通話で駄弁りながら終え、じゃ日本画見てくるから切るね~、なんて言って家を出た僕は自転車を漕ぎ、美術館に向かいました。季節柄、焼けるような暑さではないですが、遠隔授業で家にばかりいた身に夏の到来を感じさせるには十分な気温でした。美術館につくと手の消毒、検温、感染者が出た時のための連絡先の記入を済ませ、受付に。入館料の600円を支払い、いざ中へ。

 展示の内容は《道産子追憶之巻》と日本画の名品道立近代美術館コレクション選。それから道産子日本画のニューフェイス葛西由香の世界。予備知識がない自分にとっては何が何だかさっぱり。見て感じるしかないです。美術館の中というのは静かで、空気が澄んでいるように感じました。授業でパソコンの駆動音と長い時間を過ごしていた僕にとっては、その静けさが心地良かったのです。

 とうとう目の前に日本画が現れました。橋本雅邦の十牛図。解説によると禅の教えを少年と牛で表現したものであると。色味が淡泊で綺麗な絵だなあ。正直、鑑賞が得意な人間でないので、あまり深い感想を持てませんでした。解説を読むたびに、これを書いた人はこんなにも深いことを読みとっているのか、すごい。と思わされてばかり。進んでいくうちに気づいたことは、必ずしも色味が淡泊ではないこということ。先入観で日本画はあまり濃い色を使わないのかなと思っていましたがそんなことはありませんでした。時間が明治から大正、昭和に進むにつれて鮮やかな色使いのものが多くなっていったように感じました。

 印象に残った作品は、片岡球子の富士と羊蹄山の秋色でした。富士の滝の色がとても好きです。流れ落ちる水の音と飛沫がキラキラ輝いて飛んでくるようでした。羊蹄山の秋色の色を見て、何度も見たことがある羊蹄山が片岡さんはこんな風に感じるのかと驚きました。それから岩橋英遠の道産子追憶之巻。北海道の冬と夜から始まり季節と時間が流れていく大作でドラマを感じました。あとは画材の解説も面白かったです。筆や膠、岩絵の具を実物で見られて、貴重な体験でした。

時計を見ると一時間弱経っていて、時間の流れが速く感じたなあと思っていると、とうとう最後の最後の展示に差し掛かりました。出口が見えるところまできたその時でした。

 少女がいました。後ろ姿で少し顔が見えるかどうか。何を考えているのかも分からない。僕はただそこに立っている少女に釘付けになったのです。ドキドキする。そして心の底から振り返って欲しいと願いました。振り返るはずのない彼女に願ったのです。逢魔時少女図。葛西由香さんの作品。その風景の中の少女に、僕は心臓を握られてしまったようでした。

 展示を見終え、売店に入ると先の絵が何か本やポストカードになっていないか探しました。しかしどこにもその姿は無くて、がっくりしました。画集と羊蹄山の秋色と道産子追憶之巻のポストカードを買い、美術館を後にしました。帰り道のことはよく覚えていません。家について荷物を置いてからもう一度自転車にまたがり、CDを買いに行きました。あの絵ことを思い出すと胸が苦しくなって仕方がなくて、関係ないことに意識をずらしておきたかったのです。そのあとはいつものようにご飯を食べて、お風呂に入って、本を読みました。昼間、通話していた友達とまた少し通話して、その日は終わりました。

 少し時間が経った今でも、あの絵のことを考えると胸が苦しくなります。多分これは一目惚れというやつなのでしょう。印象が焼き付いたままで、逃れられそうにない。でも時間が経ったとき、忘れてしまうかもしれない。なのでこの体験を、言葉にすれば忘れないでいられるだろうと思い、noteにまとめました。

 

 

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