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会津 不思議なご縁

父は、大正14年に会津高田町(今の美里町)の機織りの家に生まれた。
母も同年の生まれだが、伊達郡梁川町(今の伊達市)の生家は養蚕業だった。
ふたりは福島師範学校へ進み知り合った。
父は26年前に、母は一昨年亡くなったが、母方は蚕で父方は機織りだから、遠い秦(はた)氏のご縁でもあったのかもしれない。

福島市に生まれた私は、小学生の頃まで父の帰省に付き添い、会津高田の父の実家へ泊りに行った。
いつもきまって伊佐須美神社や柳津虚空蔵尊へお参りに行ったが、50才を過ぎたころから、その情景がなんども頭をかすめるようになった。
妙なことだと思いネットで会津を検索していると、「伊佐須美神社の主要社殿は平成20年の火災で焼失した。」と出てきたから大いに驚いた。
そして急に「何かに呼ばれている」気がして、さっそく旅の支度をした。

春の連休、早朝から車を走らせ、伊佐須美神社に到着したのはお昼前だった。年に一度の「太々神楽・花祝祭」の日で、満開の桜の下、大勢の人でにぎわっていた。
楼門を抜けると、正面に仮社殿が見えた。周りにはほとんど建造物がなく、焼け残った大木がいくつか並んでいた。子供心に不気味に感じた荘厳な雰囲気はみじんもない。

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複雑な思いで参拝をすませ社務所へ行くと、トラ猫がごろりと寝転がっている横で、宮司がせっせと御朱印を書いていた。
とても忙しいご様子だったが、宮司は筆を運びながら私の話に耳を傾けてくれた。そして「それはやはり何かに呼ばれたのでしょうね。」とおっしゃった。

その後、母のいる福島市の実家に立ち寄り、ひとしきりこの旅の経緯などを話すと、母は「やっぱりお父さんに呼ばれたんじゃないの?」といった。 
父は常々、会津の歴史は面白い、不思議な場所だと話していたらしい。子供の私にはそんなことは少しも話さなかったが、相当な歴史好きだったらしい。
父の本棚にはその類の本がたくさん並んでいたから、会津の縄文土器が表紙を飾る「福島県史」や民話集など何冊かを持って帰った。

このようなことがきっかけで、私は年に2度ほど会津を旅することになった。

私は古代史に興味があるから、会津の古墳や神社仏閣に関する本を集め始めたが、一番ひきつけられたのは、地元の研究者だった萩生田(はぎうだ)和郎(かずろう)氏の『青巌と高寺伝承』だ。
仏教伝来の頃に会津に庵を構え布教したという中国僧の伝説に惹かれ、いつかはその高寺山に登りたいと思っていた。

ある季刊誌で、会津の作家笠井尚氏が柳津虚空蔵尊について書いた文章を目にした。
私はさっそく笠井氏と連絡を取り、お茶の水の喫茶店でお会いすると、次回は一緒に高寺山へ登りましょうという話になった。
高寺山登山の当日は、会津ジャーナルの遠藤勝利氏も同行してくれたが、遠藤氏は『青巌と高寺伝承』の編集者だったとわかり、これまた驚いた。
今度は、著者の「萩生田さんに呼ばれた」のかと思った。
私の会津の旅は、このような不思議なご縁に支えられている。

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