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動物性生クリームと叔母。


私にはとても後悔している出来事がある。

その日は家族の誕生日で、手作りのケーキを用意することになった。
場所は実家で、私は20代の前半だったと思う。
母はなんでも手作りするしお料理も上手、パエリアやスペアリブ、おせちやパンにデザートまでとにかくなんでも自分で作るタイプ。
遠方からたまたま遊びに来ていた50代の叔母もいて
「手伝うよ、何をやればいいのか教えて」と少し自信のない声で言ってくれた。

母の妹である叔母は結婚して娘をふたり産み育てたけれど、娘が学生時代を終える前に離婚し、今は一人で暮らしている。

彼女の結婚生活は決して簡単ではなかった。
叔母の夫であった男性はお金を稼ぐことが苦手で今で言うとモラハラ夫、叔母は「母親らしいことをしたい」といつも思っていたけど朝から晩まで働かなければならず料理をする機会も少なかった。
大きな一軒家に暮らしていたけど、夫の収入の都合で離婚と同時に家を手放し愛娘たちとの成長の思い出が詰まったその城ともお別れとなったのだった。

姉である私の母は不満こそあるらしいが私の父と長年連れ添い、料理をして「台所」を楽しみ、それを得意としていた。
私や世間一般的な意見で「手作り料理で子育てする」ことへの価値観がどうであるかは別として、叔母は姉である私の母に対してどこか引け目みたいなものを感じていたのを私は知っていた。

母も良くない。
それは姉妹感のよくあることかもしれないけど、母のちょっとした一言が叔母の劣等感を大きくしているような気がしてハラハラしていた。

年齢で言うと50代、子育てもしてきた叔母が20歳やそこらの私に生クリームの泡立て方で指導されるのは嫌だろうと思い、私はボールに入った生クリームと砂糖と電動の泡立て器だけを彼女に手渡して「お願いします」と少しの可愛げのある表情も添えて托した。

私がフルーツを切り、スポンジや他の道具を用意して少しすると叔母が「あっ」と小さな声を出したので「できたかな?」とボールを覗くとぽってりとした生クリームではなくその姿は“バター”になっていた。

私は咄嗟に「あぁ動物性生クリームは植物性ホイップと違って短時間でかたくなっちゃうからね!かなりボソボソだ。」と言ってしまった。
私が後悔しているのはこの一言だった。
私に悪気はなく、状態を言語化しただけだと思っていた。

自信がある人だったり、関係性がしっかりしていればなんてことのない言葉で済んだ瞬間だったかもしれない。しかしそうではなかったこの時の
「やってしまった」顔の叔母の表情は忘れられない。

その気持ちは私には想像し切れていないものだと瞬間的に悟った。
母親が料理好きで、手作りのスイーツが習慣にあって、子どもの頃からずっと同じ台所で育った私には想像し切れない気持ちだったと感じたのだ。

彼女は必死に繕っていて「だって、こんなに早くクリームがかたくなるなんて知らなかった〜」と笑顔で嘆いて見せた。私や母も笑って共有することで彼女が感じているそれをできるだけ軽いものにしたいと必死なのは同じだった。

動物性の生クリームがかたくなってしまった時の対処法で牛乳を少し足すなどして分離したものを戻すことができるので生クリームの出来栄えについては問題なく、状態を少しよくすることができた。
でも叔母の心はどうだっただろう。
料理を得意としないことをコンプレックスに持ちながら「手伝う」と言ってくれた叔母の気持ちは。

誕生日もケーキもそんなことはどうでもよくなって、何気ない一言で傷つけてしまったであろう叔母の心境が気になってしょうがなかった。
とは言えみんないい大人、そのあとケーキはなんとなく完成し美味しく食べることができたしいつの間にか叔母も楽しそうだった。そう見えた。


私は人の失敗を目の当たりにすると、当事者が自分のことを責めたり恥ずかしいと思わないようにできるだけフォローしたい!と思う。
場合によっては余計なお世話・お節介なその気持ちが時に大きすぎて相手にギョッとされることもあるくらいに、何かハプニングがあるとその場をなんとかしようとする気持ちでいっぱいになり結局は私自身が失言をし迷惑をかけることもしばしば。

今思うとそれはこの一件からより強くなった気がする。
「今ので、この人、傷ついたかな?」そう思って仕方がないのだ。

冷静に考えてみればフォローのやり方なんていくらでもあった。
その場でパフォーマンスみたいに繕って話しかけなくても、後から2人きりの時に小さな声で激励したりメールで感謝を伝えることだって容易な時代に。
ただ、このケースでどんな言葉をかけてどんな雰囲気になれば叔母にとって傷が浅く済んだのか正解はわからないけど私の醸す雰囲気は間違っていたことだけは明白だった。無神経だった。

叔母の人生やその間に抱いていた、抱かざるを得なかった「母親らしくしたいのに叶わなかった」その想いに常々寄り添う気持ちは私なりにあったし「叔母さんは働きながら頑張っていてかっこいいね」なんて思うたびに言葉で伝えてきたつもりだった。そうして互いに優しい気持ちで紡いできた関係を一瞬で台無しにしたと後悔したのだった。


反省するのと同時に「これからも誰かにこんな想いをさせるかもしれない」と自分のことが恐ろしくなって未だに私は生クリームを泡立てるたびに、この一幕を思い出しては自分を恥じている。



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