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歯磨きと人と自分と

みんな元気かい?私だ。
こうしてnoteを利用するのも随分久々な気がする。
まぁ、折角こうして長い月日を経て書くんだから何か為になることでも書いてくれるのかい?と思ったそこの君。
残念だったな。そんな事は全くない。
これからの記事はただの私が今日気付いたことをただつらつらと書く発表会なので、ハードルは激下げで頼みたい。



突然だが私は人が苦手だ。
いや、すまないかっこつけた。正確に言うと凄く怖い。

こんな大人になって何をというかもしれないが、でも怖いものは怖い。だが人が嫌いかと言われればそんなこたないし、なんなら友達100人欲しい。じゃあどうすればいい??
この答えを出せないまま、年単位が経過していたのだが、今日なんとなくその考えに1種の区切りができた気がするので少し記したい。それは、


「そんな考える必要無くね?」


いやいやいや、ここまでなっげえ文見せられて、この結論はやべぇんじゃね???って思ったそこの君。仲間だ。今度一緒に飲みに行こう。

いや、何を隠そうこの考えに至って1番驚いたのは私だからだ。


じゃあ何故そう考えたのか。
それはそもそも悩みの根本が違っていてる事に気付いたからだ。

私は人が怖いんじゃない。
私は(大切だと思った)人が(自分の事を思い出の一部として処理する事が)怖い
のである。

例えば、どれだけ時間を重ねて仲良くしていても、ある日を境に、それまでの事がなかったかのようにぱったり関わりが無くなることがある。
私にはそれが縁が切れてもう元に戻れないような気がしていた。そしてそれが自分が過去として取り残されるようで、どうしようもなく寂しく、悲しかった。

でも違うのだ。

それは、切れた訳でもなく、無くなった訳でもなくただ、伸縮してるだけなのだ。(もちろん例外はあるが、)

だから相手も自分も、話しかけたいときに話し掛けていいし、そっとして欲しい時には距離を取っていい。それが縁だし関わり合いってやつの正体なのかもしれない。というのが今日思い当たった事の全てである。

まぁ、ただこのことに気付いたのはさっきなので正しいかは分からない。だからこれからも多分しばらく人は怖いと思う。でも、子供の頃歯磨きが苦手で毎日やらなかったのに、今こうして深夜になっても磨いているのを見ると、何とかなりそうな気もしている。

知らんけど。


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