オカンの身体機能(その3)

2020年5月、初期の認知症(アルツハイマー型)だと診断されてから、投薬が始まったのだけど、オカンの頻尿は相変わらず。
この頃は、尿漏れ、というレベルではなくなっていて、尿取りパッド的なものを買いに行く頻度も上がっていた。

歩けるようになってからは、オカンが自らドラッグストアまで買いに行っていたので、どのくらいの消費量だったかは不明なのだけど、そこそこの頻度で買いに行っていたように思う。
匂いがすごいのでね、専用のごみ箱を設置したけど、結構な勢いでたまっていたので。
この時はまだ要支援2で、おむつとかを支給してもらえるって状況でもなかったのよね。

そして、7月。
事件は起こる。
ある朝部屋に行くと、ベッドの上でタオルを巻いて座っている。
尿取りパッドが足りなくなったようだ。
だからと言って、タオルを巻いていたところで、駄々洩れは駄々洩れなわけで・・・どうにもならないわけ。
この頃には、にじみ出る、じゃなくて、駄々洩れ、という表現が正しい。
いつからそうしていたかわからないけど、とにかく、ベッドマット全体がおしっこまみれになり、床に水たまりができている始末。

くそ暑い中、ベッドマットを消毒し、乾かし、尿取りパッド・おむつパンツ・介護用の敷シーツなどを走って買いに行ってはかせる、とか、在宅勤務じゃなかったら無理だったし、在宅勤務でもはぁ?なレベルの重労働。
いや、まぢに何が起こってるんだ・・・と本気で思った。

本人に尋ねてみたんだけどね、わからないっていうんだよ。
なのに、漏らしてしまっていること、は判って、なぜそうなっているかわからないない、自分はどうしてしまったんだろう、という感じの悲観的な思考に陥っていた模様。
この時の落胆ぶりは、今思い出しても、ちょっとかわいそうだなと思う。
うなだれていたもの。
そりゃそうだよね、特に変わったつもりはないのに、おしっこの制御だけができないのだもの。
なので、夜のことも考えて、おむつ着用を提案した。
夜だけでもね。
それで安心できるならそのほうがいい。

けど、一度着用を始めると、楽になったのか、昼間もおむつのことが増えた。
そのせいで、ごみもどんどん増える。
なので、専用のごみ箱は常にいっぱいになるので、一週間に一度くらい捨てに行くようにした。
一方、この先ずっとおむつなんだろうな、と思いながら、どうやったら一番いいかを探る感じ。
特に、ごみ箱に大量にたまる成人のおむつは、その匂いがすごいのでね。
匂い対策がものすごく必要だった。

そんなある日、またもや事件が起こる。
あれは、9月の頭くらいだったか。
ちょっと様子がおかしいな、と思っていた時のこと。
あ、排尿障害による膀胱炎については、時々危うくなっては、近所の内科に抗生物質をもらったりして、やり過ごしていた模様。
模様、というのは、この時は、近所の内科(認知症外来の紹介状かいてくれなかった例の先生のところ、徒歩で3分くらいなの)には自分でかよっていたので。

膀胱炎からくる腎盂腎炎を起こしかけていたのだね、多分。
朝、声かけた時、少し、朦朧としている印象だった。
それなのに、おむつと尿取りパッドが必要だと思って、私が在宅で仕事をしている間に、手押し車を押して自分で買い物に出かけたようだ。
午後、多分、14時過ぎだったかなあ、ちょうどオンライン会議していたんだよね。
暑かったからエアコンつけて、部屋も締めきっていたと思う。
だから出かけたのに気付かなかった。

と、いきなり、滅多に鳴らない自宅の電話が鳴る。
一回目は出そこなって、二回目で出ると、消防局からだった。
自宅のすぐそばで倒れていたのを通行人に発見されて、救急車を呼ばれたそうだ。
そして、母の持っていた所持品から自宅の電話番号を探して、かけてきたとのこと。
まぢか・・・
で、状況を聞くと、倒れた場所は川向の道路あたり、自宅ベランダに出ると、救急車が止まっているのが見えるくらいの位置だった。
今すぐ行きます!
ダッシュで行き、話を聞くと、熱が結構あるねと。
脈も速いし、病院行った方がいいから、かかりつけは?と聞かれて、精神科で通院している病院を告げると、すぐ電話をしてくれ、熱があるけど、コロナじゃなさそうだから、と伝えてくれて、そのまま搬送するとのこと。
うーん、こりゃ一緒に行ってもいいが、入院の可能性も高いし、自分の帰りが困るな、と即座に判断し、いったん自宅に戻って車で行きます!と伝え、ダッシュで家まで戻り、上長には緊急事態なのでこのままFLEXで上がることを伝えて、車で救急車の後を追従。
病院に到着すると、すぐ脳神経の先生と泌尿器の先生が来て、検査に回すからと伝えられる。

そして、検査の結果、腎盂腎炎になりかかっているので、このまま入院です、手続きしてください、と伝えられる。
この時、入退院の時だけは病棟にはまだは入れてね(今はそれすらできず、待合で話して終わり)、それも良かった。
飲み薬も、携帯も、着替えも何もなかったから、すっごい大変だったけど、再度自宅に戻って届ける(もう家とのピストン何回目だよ、くらいの勢いね)を繰り返して、夜になってようやく解放・・・
帰宅したのは、21時。

ほんと、この日を思い出すと、われながら大変だったなと思う。

ただ、この事件で、精神科と同じ病院の泌尿器科にお世話になれることになって、病院が一個減ったのはある意味助かったよね。
だって、通院が一回で両方いけるんだもん。
ここだけはけがの功名だな。

そしてオカンの入院は、2週間ちょっとに及ぶのです。
いや、この際、泌尿器の原因、骨盤臓器脱?とかいうのかどうかは知らんけど、しっかり診てもらおうよ、うん。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?