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「あれは、ごほうびだよ②」

大学4年の冬、父をみとり、きょうだいは軟禁されたり解放されたり、そして長靴で、チャレンジドの冬の全国規模のスポーツ大会のスタッフとしてゲレンデを駆け回り、
結果多大な感謝の意を、保護者から伝えられた。
その頃の自分を思うと、
「私はこれくらいのことしかできない」
と本気で思っていた。

保護者のみなさんも、
本当にすばらしい人たちばかりだったと思う。

あの出会いがなければ、
生きている自分の意義のようなものを
どこに見出していただろうか。
どこかで勝手に、
ハンディのある子どもを育てる親の
苦労や悩みの詰まっているであろう姿は
(とはいっても、皆さん明るかったので感じられることはなかったが)

明らかにどこかおかしいきょうだい、でも
どこがおかしいのか、
その時点では誰とわからなくて
「やる気の問題」「本人の努力不足」
そういう見方でそれまできていた。
しかし
ますますおかしなことになっていくので
おそらくは
ちゃんと、なんとか、しないと、
ますますおかしいことになるのだろう
ということはわかっていたので

世の中の少数派としての苦労をこれまで一身に受けて
なんとか前だけ向いてきた感がよくつたわってきた、
チャレンジドの親たちと対面することは
未来の自分へのエールをもらっているような
気持ちであったと思う。

今でいう
「ヤングケアラー」に近かったのかとも思うが
しかし、
高校時代は終わっていたので
近いけど当てはまらないといった
状況に思う。

そんな姿を、
私は自分で褒めたり労ったりすることはできなかったが、

親御さんが
感謝の気持ちと、
人生の先輩としてのたくさんの励ましの気持ちを
形にして現してくれた。

今思えば
あの時、自分はたくさん、
支えられていたんだな、と思った。


「ごほうび」をもらったように思う。

今思い出しても、
ずっと思い出してなかったけど、
あのときの自分て、
すごく頑張ったんだな、
他の人のため。
未来の自分のため。

その頃は、
長靴でずっとゲレンデを走り回っていて、
シーズン中、月に3、4回ゲレンデにいても、
おそらくその種目の道具に乗ったのは
シーズントータルで
10時間あるかないか。

さっぱりだった。
だから上達していない。

のだが、

しかし、
なぜだか、
結局、数年後、
「その種目がガチンコ趣味の上司に目をかけられて、月に、2〜4回山に通う」ことになり、

最終的には
外国にまで雪を求めて、に、同行するという
経験をすることに。
(長靴引率の話は上司は知らない)
今思えば、
(当時はボンヤリしていたというか、
イエスマンだったので、
へえー、そんなことってあるんだなあ、
と、とらえていた。)
これも、
「ごほうび」だったのだろう。

「ほうびをつかわすぞ。」
「ハハー。ありがたき幸せに候。ありがたく頂戴いたします。 」
と思う余裕も余白もなく。
だったけれど
いまさらながら

あのときの自分への慰労と、そしてまた
本当に今更ではあるけれども

周囲の人への 感謝 の気持ちを
過去と未来に向けて

念じようと思いました。
自分で自分をほめる。
今更ですが、
ほんとに自画自賛ですが、
かつてのことは
ほめるに値するなと思うのでした。

これからは、
自分と仲良くなること。
それと、
必要以上に厳しくしないこと。


お読みいただきありがとうございました。