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第9話 ✴︎ 「ここが正念場」By"イーディ/InnocenceDefine✴︎

えっと久しく投稿ができていない間になんと2019年が終わって2020年に突入したのでありますが。そしてここに投稿できていない間、2019年の11月〜12月末あたりは大変に濃く、盛りだくさんのイーディでありましたがそれはまた近々ダイジェストでお伝えするとして。

(↑このブログにざっとその片鱗が)

2020年の「イーディ/Innocence Define」は年始から女主人のわたしがなんと肺炎で入院するという波乱の幕開きで、それと同時にバリスタ栞が昼の顔をつとめる「イーディ珈琲」が開幕するというカオスで始まった。

で、単刀直入に本題に入ると、イーディは今正念場を迎えている。
いや、正確にはわたしの感覚的に言うとこの3月と4月が正念場となる感じがする。

昔からわたしは観客や読者や、子どもやお客さんというものを絶対に甘く見ない、というモットーで人と接してきた。ライトノベル官能小説を連載していたとき「このような小説を読む人は難しい漢字や言語表現はどうせわからないから、なるべく簡単なものにしてください」と言われたことがあったけれど、わたしは絶対にそういう風なブランディングは失敗すると考えていた。実際わたしのライトノベル官能を読んで「面白い」と感想をくれた人のtwitterをのぞいてみるとその人のタイムラインは歌舞伎や落語や豊かな文化生活で溢れており、絶対に「難しい言語表現についていけない」人ではなかった。飲食店でも「どうせわからない」とお客さんを甘く見て、少しお会計を乗せたり、古くなったものを出したりする人がいるけど、実のところお客さんは言わないだけでみんな分かっている。そして黙って離れていくのである。

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だから今このお店で起きていることをわたしは正直に話そうと思う。
今、イーディは、イーディを愛するたくさんの人に心配されている。
みんながお店を、そしてわたしを、心配してくれている。
その心配というのはいわゆる「 イーディのゆくさき」のようなもので、
その心配の本質をわたしが沈思黙考した結果一言で語るなら「なんかいま、うまく回っていない気がする」「安定していない気がする」というようなものなのだと思う。そしてきっとその心配はわたしの年始の肺炎とは関係がない。もちろんお客さんの中にはそこからのストロークで心配してくれている人たちもいると思うのだけど、本質から紐解いていくと年始の肺炎はこのISSUE/課題に、全く関係ないからである。みんながざわざわした気持ちになるのは多分、2019年の6月に底辺で始まって、変な話瞬く間にーーだって実際3ヶ月ほどでーーたくさんの人で賑わう楽しいお店となったイーディ、年末にはクリスマスライヴなんかもして、ある一つの境地に到達したイーディ船が、ここのところどうも調子が出ない、停滞しているような感があるということに尽きると思う。

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[photograph by 郡司大地/最後2枚]

お客さん、特に常連さんというのはきっと中にいるわたしよりももしかしたら、自分が「なぜこのお店に行くのか」その答えを知っていると思う。
だからきっとそれがなんか”ちょっとこれまでと違う感じ”になっていることにも誰よりも早く気がつくだろうし、そして”それ”がその場所から完全になくなってしまったらとても悲しく残念に思い、その場所に来る理由がなくなってしまう。
だからきっと「そうならないように」わたしにサインを送ってくれる。

普通飲食店の人はそういう気配に対して「いやいやそんなことないですよ」と涼しい笑顔で対応しながら人知れず「うーむ」と悩むのかもしれぬが、わたしは普通ではないので正直に「そうだと思う」と答えたい。

同時にわたしが感じていることや、この状況をどう思っているのかも、
伝えてみたい。

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2020年から新しく加わった要素が「イーディ珈琲」なので、なんとなく今、
「イーディ珈琲が安定しないこと」が全体の揺らぎの原因に見えるのだけど、
わたしが思うに多分それはそうではなくって、課題は「コンテンツが増えたことによる重心の取り方」がいまいち安定しないことなのだと思う。

わたしがたった一人で始めたイーディは、最初に幸運にも2階で個展をしたいと言ってくれた画家の男の子の登場で、下はBar図書室、2階は実験的芸術スペース&Galleryという展開をすることがまずできた。次に昼間に”チームスピリ”たちが入ってくれることになって、特にSNSでは発信しなかったけれどイーディは昼間はThe ray of awakeningさんのセッションの場として活用されることになり、彼女たちがGalleryの留守番なども兼ねてくれることで、イーディの2階は土日も運営することがきるようになった。そこにまずは夜、バリスタが加わったことで珈琲が出せるようになり、まいうーマヤウとたくろーの参戦で食べ物が充実した。
ありがたくお客さんが増えてくれたことで、マヤウーや、最初は常連だったワタセミなどにカウンターの中に入ってもらうことが可能になり、ひいてはスペイン人がオムレツ作りに来てくれたりして、12月は本当にたくさんの人でカウンターの中も外も人が溢れた。

そういう流れで今昼間に珈琲屋を始めたわけなのだけど、今つまりイーディは核となる「小説家がいる芸術酒場」に加え「Gallery」「スピリチュアル」「たくさんの仲間」「珈琲」とまあ、これだけのコンテンツを抱える船になったのである。
だからまあ多少「あら?」「あらら?」という感じで船は揺らぐよなあと、わたしは思う。そしてまあポジティヴにいうなら、2019年の下半期が順調すぎたんではない? とも言えると思う。笑。

たくさんの人が集まってくれてたくさんの人が関わる場所。そこには当然「たくさんの人の想い」も集まってくる。その想いは、思い入れがあるほどに強く、強いほどにとりまとめるのが難しいこともある。

つまり「モカコさん入院してて1月は数字厳しいだろうし、2月もそんなに数字が立つ月でもないけどスタッフはいっぱいいて人件費とか結構かさむだろうし、おまけにイーディ珈琲は立ち上がりでまだまだ安定しないし昼間のケアは必須で、モカコさん今年は新作書くとか言ってるけど現状は回復途中の体で昼に夜に神経使って、このままでは、はてイーディはこの先大丈夫なのだろうか?」
と基本的に皆が思うのはすごくわかる。
で、実際、その通りである。

ただね、わたしはこう思っているんですよ。
「人がいてくれる」という悩みほど贅沢な悩みはないと。

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          [↑2019.6月初日]

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この一連の写真は全部2019年の6月のもの。
ありがたいことにカウンターの外には6月1日の初日から誰かしらが、ぽち、ぽち、と、入れ替わり立ち代わり来てくれて少ないながらにノーゲスではなかったけれど、カウンターの中はいつもわたしひとり、掃除から買い出しから何から何まで一人、網戸貼るのも一人、酒を作るのも一人、料理を作るのも、
当たり前だけどひとりだった。
基本的に何かに向かっているときはアドレナリンが出ているタイプなので辛いことも辛いと思わず、きついこともきついと感じず「わりと今日も楽しいな!」とか思える性格なので、そういう意味では幸せ者、このころも日々店を作り上げていくことが本当に楽しかったのだけど、こうやって2020年2月の今、この頃を振り返ってみるとわたしはとても孤独だった。

根津が赤字なのは聞いていたけど、開いてみたら店というより全部が全部、痺れるほど状況は圧迫してた。(根津をわたしに売って今は立て直ったはず)6月、売り上げは本当にマズイ状況で、この不安を唯一わかちあえるはずのオーナー(かつ当時わたしが愛していた人)は「君ならやれるよ」それしか言わないし、わたしが店長であってもそこは彼の持ち物で6月の売り上げは全部彼のものであるのに、わたしからのいくつかのSOSに一つも応えてくれなかった。「何か料理を助けてほしい」「大丈夫君ならできる、ローストビーフなんか簡単だよオーブンに放り込んでおくだけだし」「ビンテージボトルを売りたいからあなたの説明をつけたい」「大丈夫見る人が見たらわかるから」
業務用のオーブンなど使ったこともないわたしはとても孤独で不安で、孤独の中それを解決し続けたのである。”ひいらぎ”に電話をし、たくろーにオーブンの使い方を教えてもらった。その後もずっと、彼の店であるはずの6月イーディを支えてくれたのは、彼にクビになったこの店の元店長であり、今は他所の店のタクローだった。

彼がわたしを騙したのか数字を読み間違えてたのか、それは決算というものに対する商売感覚の相違だったのか、今もわからない。けど、彼はいつも数字を曖昧にぼやかしていて、同時に彼からくる連絡はほとんどが「売り上げを振り込んでくれ」と言うもので、わたしはとことん打ちひしがれた気分になった。
彼は、彼にとって荷重な数字と案件を、まるでキラキラの宝箱のような言い方で箱ごとわたしに投げ渡し、わたしが彼を好きだという気持ちを使って箱と一緒にわたしも捨てたのだ。そう感じた6月わたしはとても辛かった。同じように肺炎の病後だったけどその頃彼は、わたしが病後であることをいつも忘れて祝日とかに店を閉めると言うとすごく嫌な顔をした。わたしは人ではなく金のオブジェのように見えているのだ、そう思った。数字をあげても彼の収益、数字をあげなかったら期待はずれだと思われる、だから絶妙のバランスで全てを自身で切り開くしか無い。
向こうも会社の進退がかかって必死だったのだろう、だけどわたしはお金に窮して人が変わった彼が嫌だった。いやこれが本性なのだと思ったらもう彼を想っていた数年すらもなんだったのかわからなくなった。数年前、わたしにまとまった札束を見せて「こんな紙切れで人が死んだり、するんだよ、許せなくくだらないことだ」とわたしに言った彼。その景色はとても素敵な思い出として切り取っていたのに、今、彼がその紙切れでわたしを切り刻んでいる。わたしがやるなら店は売らない、と言って話を持ってきた彼が「根津は撤退して店を売るけど君はどうしますか、早めに教えてください」とlineで聞いてくる7月が目の前に迫る中、このころ6時頃まで営業した後よく1階椅子を並べたところでわたしは力尽きて寝ていた。

タクシーに乗れるほどの売り上げもなく朝焼けを待って電車で帰る、肺炎直後の40歳。まさに♩タバ〜コの匂いがわたしの髪に〜すがる、駅の冷たいホームさーって感じだったけど、この歌に同調するには40歳ってどうよって、40歳、売り上げたりないので始発で帰宅って、渋谷の道玄坂のドラッグまみれのClubからみんなが握った皺だらけのお札を持って帰るとき(こんなところで働くにはもうそろそろなんじゃないか)と絶望した、何者でもなかった27歳の頃をふと思い出したりなんかして、わたしはもしかしてそこへ戻ってきてしまったのではないかと、思ったりもして。(しかしそのClubでの日々がBarカウンターに入ることに動じない自分を作った礎にもなっているのだけどさ)
そんな孤独の中一人で貼った安い、布の網戸は予算700円、店の休みに一人まだ床も貼られていないイーディの2Fでそれを貼りながらーーひとりで網戸はるのは本当に大変だったーー繰り返し聴いたイエモンの「SUCK OF LIFE」先日大阪で、ライヴの終盤吉井さんがこれを歌ったとき、もうなんかいろんな時間を想い出してわたしは泣いたよ。

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そのころ隣のまさこさんはまだただただ隣のお店の女将さんで、その前で「辛いです」と泣いたりはできない、何かあったら張り紙をして店を閉めるしかない、このときわたしが自分の心を打ち明け「どう思いますか」と相談できるのは根津神社の文豪の石だけだった。そこにいつも30分ほど腰かけ、石を触りながら漱石先生や鴎外先生に相談をした。

次第にそこに常連さんが現れ、その人たちと話したりできるようになった。勝子やケントが現れ、りさこが現れ、マダムNが現れ、クラモチアキラが現れ、わたしの話し相手は、文豪の石から、生身の人間になった。

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あの頃の底冷えするような孤独と、ぞっとするような「ぜつぼう」を思うと(ぜつぼう、はお店自体のことではなくてオープン当時にわたしが目の当たりにしたぞっとするような数字のこと)、正直今のどんな悩みも、死ぬほど贅沢で幸せな悩みに思う。関わってくれる人の愛がてんこ盛でイーディ船がちゃぷついているなんて、これってノロけ、ごちそうさま案件でしょ。笑。

ここのところいつも店を閉める時は、ひいらぎのたくろうかワタセミがいたので(たくろーは1,2月の赤字に悩むイーディを何の思いこみか儲かりまくってると思い込んで3万円の低温調理器を買ってもらおうと毎日洗い物とかをしにやってくる、笑)先日ひとりで店じまいをした際、何だかすごく静かでさびしく感じた。
電気を消してかちゃり、鍵をかける。そうか今日はわたし一人なんだ。
そう思って気づく。ほんの11月くらいまで、毎日一人だったよ、お店を閉める時はね。わたしは賑やかなイーディに、こんなにも慣れてしまったのだ。

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わたしは絶対に、みんなに出会う前の6月のイーディに戻りたくない。
それがコンパクトで支出の少ない経営だとは思わない。


それはもう、火のない暮らし。

たとえばイーディ珈琲のことで栞ちゃんをきつめに叱って「きつく叱ったんだけどあとお願いします」と言えるチームスピリのいないイーディ。「店のことが大変過ぎて男とか恋愛とか入ってくる隙間ないんだけど」とかって愚痴れるワタセミのいないイーディ。いつも的外れなこと言って長居するたくろーのいないイーディ。
何も話さなくても目があっただけで通じ合えるマヤウのいないイーディ。
「モカコさんが新作を書くためにわたしは何でも頑張ります!」とかいう割にはくだらないことで毎日メソメソ泣いてはエモさ100倍の手がかかる栞のいないイーディ。今となっては関西弁と東京弁を自在に操り「あんた繊細すぎんのよ」「切れてへんがな!」と言いながらローストビーフをくれるまさこさんのいないイーディ。
そんな暮らしはわたしにはもう、耐えられない。

だからわたしはこのメンバーで未来を切り拓く。「モカコさんこのままでいいの」「人雇いすぎじゃない」「栞ちゃんにもっと優しく」「昼の珈琲のブランディングはモカコさんが」「した方がいい」「しないほうがいい」これらのみんなの声もさ、結局は愛しきみんなのいる暮らしなのである。
絶対にどこかに、ここというバランスがあるはず。わたしはそれに賭けたい。

Last Hope.

So if let go of control now   I can be strong
入院中にスペイン人のエミが送って来てくれたこの曲の中で一番わたしが心惹かれた歌詞。
ーー今コントロールを投げわたせば きっと強くなれるーー

コントロール[制御]しようとしないこと。
もちろんそれには勇気がいるけどね。

でもわたしは思うわけよ。
たくさんの人が愛を持って関わることでダメになることなんて世の中に存在するわけ? そんなの世界の方程式じゃないじゃない。

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イーディが正念場なのに間違いはない。3、4月でわたしの所信とする世界の方程式が成立しなければ、船はどうしても小さくなってしまう。だからこそ、わたしは全力でそれに賭けたい。

ここのところこの案件で沈思黙考タイムが続き、体調もまだ万全ではなかったので、時々じぶんに”抜け”をつくるために暇な時間に、一気に「Doctor.X」を見続けた。あの中の大門未知子の生き様、「わたし失敗しないので」という言葉は、ハッタリとか強がりとかじゃなく、彼女の覚悟なのだよね。つまり失敗してはいけないから。イーディもそうなのだよね。
そう。

「わたし、女帝なので」

多少やりかた、普通の経営者と違います。
だって女帝で小説家なんですもの。
そんなわけでみんな色々心配だと思うけど、
ちょっとわたしのやり方で、やらせてもらうわ。笑。
とりあえず、愛を持って関わってくれている仲間は全員箱舟に乗せるというやり方。そのままだと沈むかも。知らない。多分沈まない。
だっていざとなったら、多分、船ごと浮くもの。

そんなことできるの?

できるよ、だって女帝ですもの。
そして女帝が乗る船は、宇宙くらいまでなら飛べるって、
相場が決まっているしね。

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とにもかくにもイーディはここからが正念場。







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