【日記】ワンコインの創作を手に取る

 久々に友人と会った。エスカレーターを上がった先のお洒落なランチ、とりとめもない仕事の愚痴、減っていくコップの水、平成に残された履歴のカラオケ、タレントが起用された大きい広告を背に、スクランブル交差点。まあ、それはそれとして楽しかったけど。日記に残しておきたいのは別で。

 渋谷をたまたま歩いていて、百円の自動販売機で売られている小説を見つけた。正直、なんの事前知識もなく、偶発的に見つけた、それ。お姉さんが声をかけていたから見つけたのか、人だかりがあったからなのか。ちょっと思い出せないけど。手に取った理由は単純で、普段だったら絶対に見つけられないような、そんな小説をなんとなく読みたいなと思ったからだ。あと、創作意欲の一助にしたいという気持ちもあった。

 タイトルは「あおい(6)」を選んだ。あおい、という名前なのに表紙が藤色だったから。名前もかっこいいし。

 内容は「女の子として感じた感じるときはどういうときか」というインタビューから、経験談を語るものだった。なので、小説ではなく、エッセイ本と称するのが正しいのかもしれない。詳細の内容を記載すると、個人的なものになってしまうから伏せるけど。理解できるところも、まあ多かった。

 自分の経験に照らし合わせて考えてみる。正直、性別などの存在は怠惰と諦念の象徴のようなもので、あんまりちゃんと向き合ったことがない。いや、向き合わないようにしているというのが正しいかも。場に応じて変えなければならない億劫さや、考えてこないようにしてきた苛立ち、そして社会に適応してしまったほうが楽だという、そういう感覚。無視してしまったほうが、楽だった。でも、そういう感覚を丁寧に扱えて大切にできるみたいだから、そんな経験をしてきたその方はきっと素敵な人なんだろうな、と思った。私にはできないから。

 都内の真ん中で小説の自動販売機を置く、というのはなんというか、商業的プロモーションみたいな感覚があるんだけど。それが良いか悪いかの話をしたいわけではなくて、そんな商業的な中で、とてもプライベートに近い内容を垣間見るというのが、凄い不思議な感覚で新鮮だった。

 なんか、私が読んでしまってよかったのだろうか。その大切な気持ちは、きっと、別の誰かに届けるべきだったんじゃないか、とそんな感想を抱く。

 私はあくまで怠惰な人間だし、ね。共感できる人間ではない、別の誰かに届いたらよかったな。まあ、個人的には総じて、手に取ることができてよかったと思う。創作意欲の一助には、うーん、なったのかな。アイディアは既存の掛け合わせっていうし、意欲の種にはなったのかもしれない。

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