あれから

 もう1年もたったのだなぁ。なんやかんやあって、結局自ら手放したけど、それってただやり返したかっただけなのかもしれないな。自分だけが向こうによって作られた運命を受け入れるだなんて、許せなかったんだ。
 なんていうか、私のブロ解癖って、いつか捨てられるんなら自分から先に捨てちゃおうってだけの話なんだよ。喪失感に、耐えられないから。でも自分でした選択なら受け入れられる。自分の気持ちが大きければ大きいほど、費やした自己が多ければ多いほど、失った時に辛くなる。でも、自分から手放したんなら、それは失ったことにはならない。私の中ではね。大事なキーホルダー、うっかり落として失くすのと自分でゴミ箱に捨てるのではわけが違うでしょ?そういうことだよ。
 なんとなくさ、この人私に飽きてきてるなーとか、前より冷めてきてるなーとか、わかるじゃん。そこからまた前に戻って仲良くなれるかもしれないけど、私は1回飽きられた人に対してずっと一途でいられるほどお人好しにはなれない。友達だろうが、恋人だろうが、家族だろうが。そのあとなにがあっても、「あのとき捨てたじゃん」が来てしまう。根に持つタイプだしね。それがずっと続くのは辛い、だから、捨てる。
 自分で捨てたことに後悔はなくても、捨てられた時の喪失感はずっと残る。だからそれが、辛くて辛くてたまらない。いつもだったら、捨てられる前に捨てるから。でもそれができないほど大事だった…。
 ずっと思い出さなかったのに最近になってまた思い出してしまうのはどうして?やっぱり体が覚えているのかな。飛び降りようとした景色も、下にいた人たちの顔もこびりついて離れないよ。帰りに出会った少年の、モンエナと交換した充電器も、未だに覚えてるよ。覚えてるんじゃなくて、忘れられないだけ。
 しんどいなぁ、はやく、死にたい、ずっと、去年から今日までずっと死にたい。死にたくない日がない。去年の今頃は死ぬ死ぬ騒いで大変だったね…と言われたが、口にしないだけでずっと死ぬ気でいる。
 あれからまだ、死ぬこと以外で人生に意味を見い出せないでいる。

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