長いやつ⑬

 桜色が舞うのを見ていた。
 高校生最初の日、入学式。新入生の所属クラスが書いてある掲示板の前は、人でごった返していた。その様はまるで『無罪モラトリアム』。
 早くあの人混み、どうにかならねえかな……。なんて考えながら、桜の木の下に突っ立っていた。

 その時、俺の目の前を、ひとりの女子が通過する。
 春の陽気に今にも溶けてしまいそうな、長い髪。整った顔と、白磁のように白い肌。その歩く様は、颯爽の二文字が似合う―――。

 俺は、神崎冬香に出会った。

「高校生ってすげー。あんなきれいな人もいるんだな……」
 素直に感心した。中学との違いを見せつけられた気分だ。そして、自分自身が、高校という舞台に立ったのだという自覚も芽生えた。これで、高校生活に、淡い期待をしないほうがおかしい。
 見惚れていた。皆がクラス表にくぎ付けになっている間、俺は彼女にくぎ付けになっていた。不真面目極まりない。早くクラスを確認して、教室に行き、入学式を座して待つのが、新入生の模範的な態度なのだろうな、なんて取り留めのないことを考え、ぼーっとしていた。
 すると、背後から、俺より背丈の高い男にど突かれた。不意の一撃に驚き、振り返り、ファイティングポーズを取る。
「お? 悪いな、知り合いと間違えちまった。すまねえ」
「いきなりど突き回されるその知り合い君がかわいそうで仕方ないな」
「そんな警戒するなって。お前、新入生だろ? 名前は?」
「名前を訊くときはまず自分からって、中学数学で一次関数とともに教わらなかったか?」
「お前の数学のカリキュラムは礼儀作法を重んじるのな。……俺の名前は五十嵐誠也」
「桐島祐介」
「あ、お前が桐島? さっきクラス表見たときにたまたまお前の名前見たが、俺と同じ1年C組だぞ」
「お前、いい奴だな」
「人への信用に対する判定ガバガバ過ぎないか? とにかく、桐島。教室へ向かおう。初日から遅刻は笑えない」

 **

 五十嵐とは、席が前後で一緒だった。五十嵐が前で、俺が後ろ。入学式本番まで、俺たちは雑談していた。彼は野球をやっていること、好みのゲームと漫画が被っていることなど……すっかり意気投合した。そんな会話の中で、彼はこんなことを懇願してきた。
「……なあ、クラス表確認したお礼ついでに、入学式終わったら、スマホ貸してくんねえか?」
「なぜだ?」
「今日スマホ忘れちまってよ、入学式終わったらかーちゃんに連絡したいんだ」
「大変だな……いいぞ、後で貸すわ」
「サンキュー」

 そんなやり取りをしていると、担任教師が現れた。髪は短めで、全体的にやせ細っている。
「今日から一年間、お前たちの担任を務める、柳だ。気軽に『やっさん』とか呼んでくれていいぞ~。担当は物理だ。よろしく」
 なんだか気の抜けた担任だな……こんな奴で大丈夫か?
「入学式まで時間あるから……ここらでいっちょ、自己紹介とかやっとく? 俺としても、クラスメイトの顔と名前を一致させたい」
 柳の一言に、クラスメイトは各々の反応を示す。喜ぶ者や困惑する者、面倒くさがる者……。
「いいか! クラスにおいて一番偉いのは担任教師だ! 言うことを聞け!」
 柳の強引な決定により、自己紹介をすることになった。
 座席の列が男女で分かれていたため、男子の列になったらしばらく男子、女子の列になったらしばらく女子、といったように自己紹介が進んでいく。
 五十嵐と俺の自己紹介はつつがなく終了した。その後は、卒なく淡々と終わらす者、とにかく元気はつらつに挨拶する者、ひとネタ挟む者などが続く。目立とうとする奴はいるが、特段注目を集める奴はいない(あくまで俺視点)。
 ……あるひとりを除いて。

「―――神崎冬香です。白川中から来ました」

(あれは……)
 自己紹介も残り数名、そろそろ飽きが来た頃。その女子は、先ほど俺の前を通り過ぎた美少女だった。その耳障りのいいクリアな声は、クラスメイト全員の注目を集めるには十分だった。

「よろしくお願いしまひゅっ」

『……』

 噛んだ。こいつ噛んだぞ。
 ひゅってどうやったら出てくるんだろう。サ行に「ひゅ」とかあったっけ。

「ちゅうがきゅのときはバリューボールをやっていましゃた」
『(なんの値入れるんだろう…)』
「趣味はうぃんどう」
『(OS……?)』
「あと、おんりー、ロンリー、グローリー」
『(バンプオブチキン!?)』
「そして天才観測です」
『致命的にバンプじゃない!!!』
 耐え切れず、クラスメイト全員で総ツッコミをした。もはや何の趣味かわからんぞ、神崎冬香。
「……あ、アルエ? 皆さんどうかしましたか?」
『マイナー曲!』
「とにかく、よろしくおねがいしまうs」

 この日から、神崎冬香はクラスで一目置かれる存在になった。
 『噛み王』のあだ名を引っ提げて……。

牛丼を食べたいです。