長いやつ⑩

ごめん 本当にごめんなさい 本当に あの 悪気はなかったんです 悪気は

7月14日



「びえええええええええええええ!!!!」


 開口一番、女の子が号泣する様を見せつけられた経験はあるだろうか。俺はある。今がそれ。

 後輩の弓木絵里の泣き叫ぶ声が放課後の文芸部室に響き渡る。それを河合凛子があたふたしながら宥める光景。俺も動揺を隠せない。


「な、何!? どうした!?」


 絵里に駆け寄る。


「ぐす、びぇ、せんぱい、えっと、あの……うええええええええん」


 ダメだこいつ、会話にならねえ。


「なぁ、凛子。何があった」


 仕方ないので、凛子に事情を聞く。すると、絵里とは違い冷静な面持ちで―――


「何があった……そうですね、私と祐介さんとの関係がまた一歩進展した、とかですかね……」


 ダメだこいつ、会話にならねえ。


「帰る」


「あっ! いや、冗談です! 帰らないでっ」


 引き止められ、俺はしぶしぶ部室に留まる。帰りたい。非常に帰りたい。焦った様子で俺を引き留めた凛子が言葉を紡ぐ。


「えっと、祐介さん。夏休み中の8月にある『創設者祭』ってご存知ですよね?」


「……ご存知でない」


「え……一応、臨海の生徒では……?」


 怪訝な表情を浮かべられた。

 ……学校行事には疎い方だ。夏休み中に行事を行うなんて苦行では?


「まぁ、夏休み中の行事なんて珍しいし、存在を知らない人がいるのも仕方ないですね……

 創設者祭というのは、臨海高校の創設者の誕生日である、8月5日に毎年行われるお祭りです」


「そんなのがあるんだな。で、その創設者祭が、絵里の号泣と何か関係あんのか?」


「実は、絵里ちゃんと私は創設者祭でバンド演奏をすることになっていたのですが……他のメンバーの結城くんと坂野くんが……」


「結城と坂野……どこかで聞いたことあるな……」


「そのふたり、野球部で……」


 野球部……もしかして。


「煙草吸ってて謹慎になった奴らか!」


「そうなんです。謹慎になってしまって……」


「出られないんですぅぅぅぅぅぅうううう!!!」


 絵里がまた泣き出す。なるほどな。まさか、野球部の事件がこんなところにまで影響を及ぼすとは。凛子も俯き、元気が無さそうだ。


「だが、野球部の謹慎は二週間って訊いてるぞ。創設者祭自体はだいたい三週間後だから、出られるんじゃないのか?」


「一応、自宅謹慎ということになっているので、練習参加は厳しいかと。町のスタジオを借りて練習しても、もしバレたら大変なことになります」


「む……確かにな」


「あと」と凛子がさらに続ける。


「創設者祭のステージ担当が、生活指導の田中先生なんです」


「ああ……それはまずいな」


 創設者祭がどうかは判らないが、学園祭ではステージ、出店、部活発表と各分野ごとに先生と生徒会役員が取り仕切ることになっている。申込書類などは生徒会役員に提出するのだが、必ず一度は担当教師のチェックが入る……というシステムだったはずだ。当然、先生のチェックが通らない場合、イベントの企画は叶わない。創設者祭もそのシステムで運営しているとすると、煙草を吸って謹慎になった生徒の名前が入った申込書類は、その場で破り捨てられるだろうな。特に生活指導の田中は、曲がったことが嫌いな男だ。普通に生活している分には良い先生なのだが、校則破りや問題行動にはかなり厳しい。そんな田中が仕切るステージに、煙草を吸った生徒が出られるはずがない。

 

「……絵里ちゃん、張り切っていたんです。臨海高校の創設者祭は、バンド演奏がかなり有名で。夏休み中にも関わらずかなり人が集まるんですよ。入学前からそのステージに立つのが夢だったみたいで」


「ぐす……出たかったのに……」


「そういえば、軽音部員に協力を仰ぐことはできないのか? 正直、毎日野球部で練習していた奴らより、上手いんじゃないか?」


 うちの学校の軽音部は規模が大きかったはずだ。人が多すぎて、軽音部とロックミュージック部のふたつに分かれているレベルで。それだけ人がいるなら、声をかけたらある程度人は集まりそうなもんだが。


「ああ……絵里ちゃん、ちょっと軽音部とロックミュージック部に恨み? みたいなものを買っていまして……」


「恨み?」


「その、絵里ちゃん……ギターが滅茶苦茶上手いんです……それで……」


「皆まで言うな。何となくわかった。こいつ、その部活で魅せるプレイして、無神経に煽るような発言したんだろ」


「手に取るようにわかっててすごいです、祐介さん……」


「文芸部に所属するタイプの人間だぞ……わかるさ」


 文芸部に所属する人間だぞ。まともなはずがない。目を腫らしているこの後輩も、きっと軽音部やロックミュージック部に行って「あれ?w 私、また何かやっちゃいました?w」みたいなことを言い放ったのだろう。悪意0%で。本人には至って悪気はないのだが、こういうところで無神経に敵をつくってしまうのだろう。そのツケも同時に回ってきたというわけだ。


「……創設者祭は、一般の生徒も、バンドさえ組めれば出場することが出来るので、楽器をやっていて、なおかつ軽音部やロックミュージック部に所属していない結城君と坂野君は、貴重な人材だったんです。彼らも、本来なら地区大会で忙しい身ではあったのですが、一年生だからレギュラーじゃないんです。逆に、一年生である今が、彼らの出場の、最初で最後のチャンスでした」


「なるほどね……」


 しかし、出場できないのであれば仕方がない。絵里が落ち着くまで待つしかないだろう。

 絵里が泣き、凛子が慌てふためく。何をしていいかわからず、その場に立ち尽くす俺。

 その時。ガラガラガラ! と大きな音を立てて、部室の扉が開いた。


「話は訊かせて貰ったわ! 絵里ちゃん、私が何とかしましょう!」


 そこにいたのは、我が文芸部の部長・五ヶ谷華子だった。


「華子先輩……何とかって、何ですか?」


 目元を擦りながら、絵里は問うた。目元は真っ赤になっていた。


「ふっふっふ……実は私、ベースできるんです」


「!」


「任せんしゃい……! 私は先輩よ! 後輩のピンチに立ち上がるのが、先輩! そんでもって、部長の役目!」


「は、はなこしぇんぱ~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!」


 絵里は、五ヶ谷に抱き着く。絵里の頭を撫でるその姿は、頼もしい先輩の姿そのものだった。五ヶ谷、頼りになるときは頼りになるんだな。


「でも、華子先輩がベース、絵里ちゃんがギターで、私がドラムをやるとして……後、結城くんのパートのギターとメインボーカルが足りないですね……どうしましょう」


 ……五ヶ谷は、先輩として、彼女たちの危機を救おうと立ち上がった。なかなかできることではない。

 

 さて、俺はどうだ。夏休みを忙しくする必要なんてない。夏休み中に消費エネルギー量が多いイベントに参加するなんて、考えられない。家にこもってゲームしたり。遊んだり。ダラダラしたい。せっかくの休暇だ。後顧の憂いなく遊んでいたい。

 だいたい、夏休み中に行事をやるなんて、普通じゃない。創設者をまつりすぎだろ。夏休みが明けてしばらくしたら、体育祭に学園祭……行事が盛りだくさんだ。祭りばっかりやっていていいのだろうか。陽キャかよ。夏の祭りくらい、町の商工会のもので満足すればいいさ。

 バンドだって、ライブハウスでライブを企画してやったほうが、音響的にも優れているだろうし。わざわざ学校でやる必要がない。

 

 もう俺たちは高校生だ。もっとエネルギー消費を抑えよう。大人になるんだ。


「……俺、やるよ」


 馬鹿野郎がひとり、ここにいた。俺にメリットはない。これに参加したらお金がもらえるわけではない。これから練習しなければならない。夏休み前から夏休み初めが、バンド練習で潰れる。正直面倒くさい。俺以外にいるなら、是非ともお願いしたい。


「俺、ギター弾ける。歌も歌おう」


「祐介先輩……!」


「だが、あまり期待するなよ。お世辞にも上手いとは言えない」


「嬉しいです……! 出られないと思っていたのに……本当に、嬉しいです! そして、私の大好きな文芸部で、ライブに出られることが……最高に嬉しいんです!」


 絵里は歓喜の涙を流した。今度は嬉し涙だ。泣いてばかりで、目が腫れてすごいことになってるぞ。


「祐介、やるじゃん。私ひとりが参加しても、メンバーが欠けてたら意味がなかったから……」


「五ヶ谷がやるって言ってるしな」


「祐介さんが、ギターボーカル……? は? ちょっと待って尊い……泣きそう」


 ひとり、反応がおかしい奴がいるな。こいつはいつもこんな調子だよね。

 

 こうして、俺たち文芸部は、創設者祭に参加することになった。今までの俺なら、こんなことは絶対にあり得ない。


 最近の俺、何かおかしい。



牛丼を食べたいです。