見出し画像

「勝つことよりも負けないこと」を考える

 今回の企画は、「勝つことよりも負けないこと」がテーマです。先週の企画で、不軽菩薩の名前が否定形で表現される意味を考えた時に、Tくんが感想で挙げてくれた言葉です。
 池田先生も折に触れて「負けじ魂」の大切さを語ってくださいますし、奥様も『香峯子抄』のインタビューで池田家の家訓として答えられています。

 今回は、「勝つことよりも負けないこと」というテーマから、「不退の信心」、また男子部の部活等「小会合の意義」について考えていきたいと思います。

画像1

 池田先生は、創価学会永遠の5指針の5番目「絶対勝利の信心」を学ぶ講義の中で、次の御文を引用されています。

法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く·一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得·広宣流布大願をも成就す可きなり(祈祷経送状、御書1357頁5行目~7行目)
〈現代語訳〉法華経の行者は信心において退転なく、身において偽り親しむことなく、一切、法華経に身を任せて金言の通り修行するなら、確かに後生はいうまでもなく、今生においても息災延命で勝(すぐ)れた果報を得、広宣流布の大願をも成就することができるにちがいない。

 この御文では、「絶対勝利の信心」のための実践が、3点にわたって御指南されていますが、その1つ目が「信心に退転無く」です。
 池田先生は、この箇所について、次のように講義されています。

『大切なことは、何があっても「負けないこと」です。「負けないこと」は「不退」です。断固たる「不退」の一念から、「勝利」への反転攻勢が始まるのです。』
【『池田SGI会長講義 世界を照らす太陽の仏法』第13回「創価学会永遠の五指針(5)絶対勝利の信心」「大白蓮華」2016年5月号】

 「負けないこと」から「勝利」が始まることを教えてくださっています。「勝利」のためには、まず「負けないこと」が必要であると分かります。

画像2

 次に、今確認した先生の指導にあった「不退」に関連して、我々が勝利のために日々実践している唱題行の姿勢を示した『一生成仏抄』の有名な御文を確認したいと思います。

深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(一生成仏抄、御書384頁4行目~5行目)

 ここでは、唱題行に励む上での2つの要件を教えられています。1つ目「深く信心を発して」とは、勇んで挑戦すること。2つ目「日夜朝暮に又懈らず」とは、持続することです。
 唱題行に限らず、この2つの姿勢は、今回のテーマである「勝利」を見据え「負けないこと」のためにも重要だと考えます。
 まず「勇んで挑戦すること」ですが、実は100%「負けない」方法があります。それは何でしょうか? 答えは「挑戦しないこと」です。そもそも、勝負を避けていれば、負けることはありません。しかし、それでは勝つことも100%できません。だからこそ「勇んで挑戦すること」が絶対に必要です。
 次に「持続」とは、「負けないこと」を続け、積み重ねていくことです。その先にこそ、勝利があるといえます。ただし、単に続けるのではなく、惰性になっていないか、常に意識する必要があると思います。

画像3

 最後に、勝利に向かって、日々「負けないこと」に、勇んで挑戦し、持続していく上で、この部活のような小会合が大切になるという点を確認します。

 聖教新聞や大きな会合で紹介される信仰体験は、時間や紙幅の都合上、どうしても華々しい勝利の実証に焦点を当てた構成になりがちです。そのため、どこか自分とは関係のない遠い世界の話と捉えてしまうことがあります。それは、勝利に至るまでの日々の「負けなかったこと」が見えづらいからだと思います。


 これは、人間の本能にも関係していて、世界的なベストセラーになった『ファクトフルネス』という本によると、人間は「世界をドラマチックに捉える本能」があるそうです。
 例えば、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロと聞いて、どんな映像が思い浮かぶでしょうか? ほとんどの人が、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだところを答えると思います。
 しかし、もし9.11同時多発テロが通常の軍事攻撃だったら、アメリカの軍事的な中枢を破壊したペンタゴンへの攻撃が最も注目されていたはずです。なぜ我々はペンタゴンの攻撃を思い浮かべなかったのでしょうか? それは、ペンタゴンがどちらかというと平たく、地味な建物なのに対して、世界貿易センターのツインタワーは高くそびえており、その崩壊は劇的な印象を与えるからです。

 話を戻すと、信仰体験で地道な努力や活動が紹介されていたとしても、華々しい勝利の実証に比べて、印象に残りづらいということがあるかもしれません。
 つまり、聖教新聞や大きな会合では、勝利のために必要な、日々の「負けないこと」について、どうしても共有しづらいといえます。しかし、全ての勝利の実証には、そのプロセスが必ずあるはずです!
 だからこそ、「負けないこと」は小会合でこそ語られるべきであり、それが共感を呼び、触発になるといえます。創価学会が草創以来、座談会を始めとした小会合を大切にしてきたのはそのためではないでしょうか。

 部活では、まだ勝利の実証とは言えなくても、それに至る日々の「負けないこと」の積み重ねを共有し、共々に励まし合ってまいりたいと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?