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8月のランブル「ウェルクラフテッド・ポップス」レポート、その①

8月のミッドナイト・ランブル・ショーは「ウェルクラフテッド・ポップスvol.1」をお届けしました!

流した曲(アルバム)の総売上枚数、もしかしてランブル史上最多なのでは!?のベストヒット感。おなじみチャット欄の盛り上がりも含め、ぜひアーカイブも楽しんで頂けると嬉しいです!ということで、ウェルクラフテッド振り返り、いくつかに分けてお届けいたします。

ウェルクラフテッド・ポップスの定義等、こちらもぜひご覧ください!

まずはやっぱり、ティン・パン・アレイ/ブリル・ビルディング

ウェルクラフテッド・ポップスの楽曲って、コンセプトが強固で、かつドラマチックな展開のものが多い気がします。そのルーツはやはり、音楽出版ビジネスの中心にあったティン・パン・アレイ/ブリル・ビルディングにあるのでは?とランブルは考えました。

19世紀後半の著作権法改正により、作曲者音楽出版社が儲かる仕組みができ、さらなる隆盛をみせたアメリカの音楽出版ビジネス。ニューヨーク5番街の西28丁目に音楽出版社が多数集まり、やがてこの場所が「ティン・パン・アレイ」と呼ばれるように。この頃に活躍していたのがジョージ・ガーシュウィンコール・ポーターといった名だたる作曲家たちですね。

やがて音楽ビジネスの中心が楽譜からレコードミュージカルへと形を変えると、ソングライターたちの拠点はブロードウェイ49丁目のオフィス街へ。このオフィス街にある「ブリル・ビルディング」という建物に、たくさんの駆け出しソングライター・チームや音楽出版社が入居し、のちのポップミュージックムーブメントでゴフィン=キングバカラック&デイビッドといった才能が花開きます。このあたりのストーリーはudiscovermusicの記事に詳しいです。

アメリカン・ポップスの源流のすぐそばに、併走するようにミュージカル文化があったというのは、ウェルクラフテッドなポップスの成り立ちに、大きな影響を与えたのではないかな、と想像しています。実際、次項で登場するビートルズビーチ・ボーイズはブリル・ビルディング系のソングライターに感化されていて、彼らが作り上げた強靭なコンセプトを持つアルバム群からは、どこかミュージカル的な展開を感じます。

勘違いから始まった?ビーチ・ボーイズとビートルズのコンセプト・アルバム応酬

ウェルクラフテッド・ポップスには、作曲はもちろん、楽器選びアレンジ展開力など、1曲を通して、またはアルバム全体に通底する強靭なコンセプトが必要です。その起点として、ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」(1966)、ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)この2枚のコンセプト・アルバムを挙げました。

元々はブライアン・ウィルソンが、ペット・サウンズ制作開始間もない頃にビートルズの「ラバー・ソウル」を聴いて、「フォークをコンセプトにしたアルバムだ!これはすごい!」と大きな刺激を受けてペット・サウンズの方向性が決した、という話なのですが。ちょっと待ってくれ、Drive My CarIf I Need Someoneもフォークかい、と恐れ多くもブライアンに物申したい気持ちが沸々と。

それもそのはず、「ラバー・ソウル」はアメリカ配給のキャピトル・レコードの意向で、UK盤とUS盤の収録曲が大きく異なっており(当然メンバーからはブーイングだった模様)このときブライアンが聴いたのはUS盤という説が濃厚なのです。せっかくなので、分かりやすくラバー・ソウルUK/US早見表を作ってみました。

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全然違うじゃないの!

道理で、フォーク・アルバムだと思うわけです。折しも当時のアメリカはバーズの大ヒットもありフォーク・ロックが大流行していたので、このラバー・ソウルもレーベルの意向によりフォーク・ロック的な選曲に変えられています。ビートルズを聴いてすべての楽器を売っぱらい12弦ギターを購入したバーズのロジャー・マッギンも、よもやビートルズ側からバーズに寄せてくるとは思いますまい。

こうして世に放たれた「ペット・サウンズ」、難解な内容からアメリカではヒットこそしませんでしたが、イギリスでは一定の評価を得ます。ビートルズのメンバーもその内容に衝撃を受け、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の制作に取り掛かるのです。

歴史的なコンセプト・アルバムがブライアンの勘違いからはじまった、というのが面白いところ。「ペット・サウンズ」での挫折と次作「スマイル」の頓挫によりブライアンが隠遁生活に入ってしまったのですが、もし「スマイル」が予定通り完成していたら、「ホワイト・アルバム」は無かったかもしれないし、もっとすごいアルバムをビートルズが産み出して、後のウェルクラフテッド・ポップス史が大きく変わっていたのかも。

とはいえ、「スマイル」の影を追い続けたレニー・ワロンカーワーナー/バーバンク勢の試みも意義深いものですし、後のブライアン復活劇もウェルクラフテッド・ポップス史に残る出来事であります。事実は小説より奇なり、というお話でした。

ウェルクラフテッド・イン・ウエスト・コースト

1960年代も中盤に差し掛かると、アメリカン・ポップスのトレンドはすっかり西海岸に。野心溢れる若者が集い、新興レーベルが春の筍のように誕生しました。東海岸に比べるとスタジオミュージシャンのギャラが安く、実験的なことをやりやすかったという説も。所謂レッキング・クルーが大活躍していた頃のお話です。

そんな中、今回ランブルが取り上げたのは、ロックンロールスター、ジョニー・リヴァースが名門リバティ傘下に立ち上げたレーベル、ソウルシティのスター、フィフス・ディメンション「Up, Up and Away」(1967)。

デビュー当時のR&Bから路線を変更して、ママス&パパスのようなコーラスを重視したスタイルへ。そこで招聘されたのが、当時まだ無名だった作曲家のジム・ウェッブでした。彼は元々モータウンで働いていて、ジョニー・リヴァースのアルバムに楽曲(「By The Time I Get to Phoenix」)が採用されたことがきっかけで、フィフス・ディメンションを手がけることになります。

「Up, Up and Away」の湧き上がるようなメロディ、大胆なコード進行。全米9位を記録する大ヒットの末、グラミー最優秀楽曲賞を獲得します。驚くべきは、ジム・ウェッブが分業制が当たり前だった当時にしては珍しく、作詞・作曲、そしてオーケストレーションまで手がける総合的な職業作曲家だったことです。極めてシンガー・ソングライター的な曲作りのスタイル、そしてインナースペースを具現化するアレンジメント。まさにウェルクラフテッド・ポップスの旗手と言えましょう。

1970年代に入ると、イージーリスニングの王者A&Mレコードがウェルクラフテッドな兄妹を送り込みます。そう、ランブルではおなじみのカーペンターズですね。配信当日は彼らの「(They Long To Be)Close To You」までなんと一曲も流れず、「我慢して聴くカーペンターズは最高!」という名言も生まれました。アホすぎる。

言うまでもなく、当曲は全米ナンバーワン、ゴールドディスク認定の大ヒット。カレン・カーペンターの伸びやかな歌声はもちろん、ブライアンと並ぶ完璧主義者とも称される、リチャード・カーペンターの大胆アレンジ力に拠るところも大きかったのです。

作詞作曲はご存知バート・バカラック&ハル・デイヴィッドのウェルクラフテッド黄金コンビですが、初出は遡ること1963年に俳優のリチャード・チェンバレンがシングル「Blue Guitar」のB面として吹き込んだもので、ビルボードは42位とスマッシュヒット止まりでした。

お世辞にもカーペンターズ版ほどの展開力、アレンジの緻密さは感じられません。コーダ、つまりエンディングの印象的なコーラス(カーペンターズ版は47テイクも録り直したといわれる)もありませんし。バカラックはリチャード・チェンバレンのオリジナル・バージョンをこう評しています。

だれもこのレコードは聞いたことがなかったし、聞くべきでもなかった。ひどい出来だったからだ。アレンジがひどく―書いたのはわたし―プロデュースもひどく―プロデューサーはわたし―チェンバレンもうまい歌手ではなかった。下手をするとわたしの生涯で最悪のレコードだった可能性もある―

バート・バカラック「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ」(2014)より引用

バカラックがここまで自虐するほどの内容でもないと思うのですが…実際、カーペンターズ版にも引き継がれた印象的なピアノの下降フレーズ(チェンバレン版の1:16〜、カーペンターズ版の1:12〜)はすでにオリジナル・ヴァージョンのときに誕生していますし、リチャード・カーペンターは「“Close To You”はカレンと僕の能力を発揮するにはパーフェクトな楽曲だった」と語っています。ソングのウェルクラフテッド=バカラックサウンドのウェルクラフテッド=リチャードの幸福な融合、といったところでしょうか。

②に続きます、後日公開!

次回のミッドナイト・ランブル・ショー

次回は「ウェルクラフテッド・ポップスvol.2」と題し、9/25(金)神保町試聴室&YouTubeにてお届け。そして9/11(金)には「ランブル通信9月号」を配信予定です!お楽しみに!

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