原体験?
人と付き合いたいと思いません、と言うと、
私のトラウマを知っている人は、「いまは無理だよ」「いつか自然と思う日がくるよ」と言う。
いま無理にする必要はない焦らなくていいんだと、ただただあたたかい気持ちで。
トラウマが影響している可能性は否定できないので(だってトラウマなしで他の条件まったく同じ人生を生きれるわけではないから)、そうかもしれません、と言う。
治療関係の人には、「そうでないかもしれません」と付け加える。さいきんは、はじめから「わかりません」とも言う。「そうかもしれない」は嘘をついているわけではないけれど、言いたいことばではないから。
でも、私の「好き」がかなわないことでまず思い出すのは、私の記憶と感情を占めているのは、
どうしてもその人の生活と人生にかかわりたくて、友達よりもちかい「家族」になりたくて、私にも関わりつづけてほしい、一緒に生きていきたいと思った人が、明確に異性愛の女性だったこと、
人生をつねに関わりながら(干渉されながら)生きていくのはしんどい、でもこの人の子供を見たいし、子供を抱き上げている姿を見たい、年に一度年賀状を交わし、何かあったときに数年に1、2度くらい会う「友達」の距離で一生関わっていたいと願った人が、私を異性として好きになって、別に大切な人や家族をもったあとに過去のそういう相手とちかいお付き合いをしない、「まともな」、「ふつうの」の枠を超えない人だったこと。
「家族になりたい」も「親友になりたい」も、どちらもかなわなかった思い出なんだよね。
私はずっと、親友の彼氏と、初めての恋人の親友、どちらもに嫉妬してた。そうやって小学生の終わりから高校までをすごしたの。
もうとっくに諦めも折り合いもついた感情だけど。今の彼女の彼氏と、彼と彼の親友との関係を思うと、今でもとても羨ましい。
※
男性どうしのわちゃわちゃを見てて、私もその中に入りたい、、と。
私が男だったとして入れる保証なんてないけどさ。女子会は素敵と思うだけで入りたいと思わないんだもの。
女性とも男性とも友達になれる自由さがほしいなんて思ったりしたわけです。
※
追記。
それだけ好きになった人たちと親友(彼女にとっては親友の一人、私にとってはたった一人の親友)になれたこと、付き合えたことは、とても幸福なことだと思っています。私たちの感情は合致はしなかったけれど、お互いをきちんと向いていた。……もうすこし時間をかけて、親友といまの関係を築いたように、恋人と別の関係を築けなかったかとは思うけれど。
※
もう一つ追記。(すみません。)
素敵な女性とお茶したり出かけたりする機会が、まあ最近は基本ひきこもりなのであまりないにしても、ありがたいことにたびたびある。中高とかわいい乳幼児をにこにこ見てたし、最近もあまり見ないようにしようとは思っていてもついつい見てしまう。たいてい、微笑ましく許してもらえる。
私が男だったらこういうのはけっこう厳しそう。女であることで得ている、手放したくない関係もいろいろあります。
都合のいい自由さがほしいですね!
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