私へ

今がとても幸せだから、今の幸せが崩れるのはしんどいから、今死にたいって笑いながら泣いた。

あのときの幸せな現実を構成する要素がすこしずつ変わりながら、そこそこ楽しく生きていける先を、ほんのわずかも描けなかった。
たぶんあのときすでに限界だった。あの幸せが生きていくのにぎりぎりのラインだった。

さいきん、「楽しもうとしない」ことができてるよ。
一生懸命がんばって幸せを見つけて積み上げなくても、幸せじゃなくても楽しくなくても退屈でも、泣き暮らさないことができるよ。
ただ息をするのは、そんなに苦しいことじゃない。

中学3年生の私に届くことはないから、
これは、中学3年生の夏を思って泣ける、今の私へのことば。

この数ヶ月、無理をする体力がついて、無理をしたいと思う気持ちができて、でもまだ「何のために?」とおびえてきた。
やってみて、嫌だと思えば止まればいいんだよ。こんどは止まろうよ。

心の整理がつかないまま、でももう一度歩き出すと決めて状況をつくった私へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?